ミッションは「どん底をトップに」

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ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ

『ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ』

著者
野副 正行 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103347910
発売日
2013/10/25
価格
1,296円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

ミッションは「どん底をトップに」

[レビュアー] 北谷賢司

「片道切符だよ」と、当時のソニーの実力社長・出井伸之さんから“出向”を告げられたとき、野副正行さんは、テレビドラマの主人公のように出井さんを睨みつけたりはしなかった。しかし、腹の中では「アイタタタタ、これは大変なことになった」と感じていたという。それも当然、“出向先”のソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)は、ハリウッドの大手映画会社(スタジオ)六社の中で業績最下位、どん底に喘いでいたからだ。

 ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収したのは一九八九年のこと。「バブルに浮かれる日本が、カネに飽かせてアメリカ文化の象徴を奪いにきた」と、さんざん誹謗中傷されたものだった。経営を任せた米国人たちの無能や乱脈、乱費から、新たにソニーの名を冠したSPEの業績は低迷、こんどは「ウォークマンで得た利益を、アメリカでの“映画道楽”でドブに捨てている」と、日米双方のメディアから叩かれる破目になった。

 そんな時の“出向命令”だから、「アイタタタタ」と唸ったのも無理はない。しかし、彼は、不安などおくびにも出さず、ニューヨークの米国ソニー本社からハリウッドへ向かった。その出発の直前、私は野副さんに進言した。

「スタジオでは、どんな車に乗っているかでまず値踏みされる。ソニーの社内規定に構わず、高級車を調達すること。それから、スタジオ幹部や業界人を家に招けるよう、これも遠慮せずに豪邸をビバリーヒルズ周辺に借りること」

 私は、長年、アメリカのエンタメ・ビジネスの世界を見ており、こうした“演出”も大事だと痛感していたのだ。初日に小型のレンタカーでSPEに乗り付け、幹部用駐車場係のおじさんからすげない扱いを受けてしまった野副さんだったが、豪邸のほうは私の忠告を守ってくれ、スタジオ関係者との相互理解を深める。だが、「しょせんノゾエは映画の素人。きっとソニー本社のデジタル機材の購入を押し付けにきたのだ」と疑っていた社員たちに一目置かせ、やがて「これは大した経営者だ」と信頼を得るに至ったのは、彼の類稀なコミュニケーション能力と論理性、そして機転ゆえだった。

 こうしてSPE副社長となった野副さんは、幸いにもコンビを組めた信頼の置ける米国人上司とともに改革に着手。足かけ五年ほどで、どん底から常にトップを争う企業に変えて見せた。映画界にスターや監督の自叙伝ならごまんとあるが、ハリウッド経営者が実体験をもとに作品の制作決定などのプロセスを詳述した書物は、実は米国にもこれまで無かったのである。しかも、ハリウッド・ビジネスの仕掛けや裏側が、分かりやすく、面白く綴られている。

 中でも読みどころは、「アメリカ版ゴジラ」の興行的な大失敗を、結局、どんぶり勘定の企業文化を根本的に変える起爆剤にしたくだりだろう。「テンプレートとポートフォリオ」の導入がその一つで、投資理論を映画という感性のビジネスに持ち込み、融合させ、見事に「計数化」「可視化」を成し遂げたのである。さらに、「スパイダーマン」の映画化権を、機転を働かせ、戦略的な交渉の末に獲得し、ドル箱の「シリーズ化路線」のビジネスモデルまで築いてしまった。

 数々の功績にもかかわらず、野副さんは少しも自慢顔をしていない。だが、本書の内容は、企業経営に腐心する者にも、映画・テレビ・出版・ゲームといったコンテンツ産業に働く人たちにとっても、眼を見開かせるものがある。彼は日本人として初の(そして、今後、二度と生まれないかもしれない)メジャースタジオ社長にまでなったのだが、なぜかソニー本社はあまり積極的に広報せず、その功績はほとんど知られてこなかった。今回、この自伝によって一端なりとも記録に残されたことは、映画ビジネス史上、大きな価値があると思っている。

新潮社 波
2013年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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