魂を持ったダッチワイフとのラブストーリー!?『やけっぱちのマリア』|中野晴行の「まんがのソムリエ」第67回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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手塚治虫生誕90周年記念・第2弾
手塚治虫の「黒歴史」は性教育マンガ?

『やけっぱちのマリア』手塚治虫

「まんがのソムリエ」手塚治虫生誕90周年特別版の第2回は、手塚治虫の黒歴史のひとつと言える作品を紹介しよう。『週刊少年チャンピオン』1970年4月15日号から11月16日号に連載された性教育コメディマンガ『やけっぱちのマリア』だ。

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 手塚マンガは「良いマンガ」の代表のように思われているかもしれないが、実は何度も大人たちを怒らせた反逆のマンガだ。49年に東光堂から描き下ろし単行本として出した『拳銃天使』では、子ども向けマンガでは初めてヒーローとヒロインのキスシーンを描いたために、京都のPTA会長から「子どもに害毒を流す敵」と糾弾され、左翼からは「アメリカかぶれの売国奴」と脅迫を受け、『おもしろブック』付録の「ライオンブックス」57年5月号、5月号に描いた『複眼魔人』でも、男装の女性が着替える足元を描いただけで某デパートの書籍売り場から不売処分を受けた。それ以外にも、学校の先生やマスコミなど、さまざまなところから「荒唐無稽」「残酷」などと批判の的にされてきた。

 ところが、68年に永井豪の『ハレンチ学園』が登場したことで状況は一変した。初めのうちは「スカートめくり」程度だったエッチ表現はどんどんエスカレートして女の子の裸シーンも登場。少年マンガ全体に女の子の裸が蔓延するようになったのだ。裸があるだけで「性教育マンガ」ともてはやされたり、「これこそマンガの持つ反逆の精神」と持ち上げられたりするようになる一方で、評論家たちは「手塚マンガはお上品すぎる」と批判を浴びせるようになった。
「こっちはかけなくて控えていたのじゃない、かきたくてもかけない苦労なんか、おまえたちにわかるものかといったやくけそな気分で、この駄作をかきました」と講談社版手塚治虫漫画全集のあとがきにはあるが、「そこまで言うなら本物の性教育マンガを描いてみせよう」という敵愾心もあったはずだ。
 なにしろ手塚治虫は、『ハレンチ学園』が登場するよりもはるかに前、56年5月から57年3月まで『中学初級コース』に連載した『漫画生物学』の中で、生殖の仕組みを、卵子や精子を擬人化した形で描いているのだから。

 主人公のやけっぱちこと焼野矢八(やけの・やはち)は中学生。母親を幼い時になくして今はビニール製品の加工工場を営む父親との二人暮らし。学校では真面目な生徒からも、番長グループからも距離を置く一匹狼で、喧嘩に明け暮れる毎日。そのため「1年落第」していまだに1年生のままだ。
 そんな乱暴者が妊娠した、と言い出して学校内は騒然とする。妊娠だと思ったのは、彼のお腹の中でエクトプラズムが成長していたため。どうやら、母親が恋しいという潜在意識がエクトプラズムとして発現したらしい、と考えた担任の秋田先生は父親に、エクトプラズムに形を与えるよう進言した。
 父親が出してきたのは、工場で密かに作っているダッチワイフ。エクトプラズムはダッチワイフの体に入り、マリアという女の子として、やけっぱちの学校に通うことになる。

 マリアはやけっぱちの分身なので、男っぽく乱暴な性格。そこで、女らしくするために使うのが女性ホルモンのスプレー。ここで早くも、性ホルモンと男女の違いが説明される。
 さて、マリアが学校に現れると男子生徒たちはたちまちマリアの魅力にメロメロになる。
 これが面白くないのは、番長グループ「タテヨコの会」のボスであり、学校内の女王として君臨する雪杉みどり。彼女は、学校の男たちの中でただひとり従おうとしないやけっぱちを憎んでいるが、内心ではやけっぱちに惹かれていた。だから、マリアは二重の意味で敵になるのだ。
 みどりは「タテヨコの会」の手下たちに、どんな卑怯な手を使ってでもマリアを葬り去るように命じたのだった。
 何度も何度もマリアをピンチから救い出すうちに、やけっぱちの中にはマリアに対する恋心のようなものが芽生えるが……。

 学園モノのドタバタ・アクション・コメディに性教育を加えたところが当時としては斬新だった。しかも、性教育部分は、さすがに医学博士。今にしてみれば時代遅れの部分もあるが、ポイントをしっかり抑えていて、あの時代なら教材にも使えたほど。ストーリーも、この作品として並行して『週刊少年キング』に連載された、愛と性を描く『アポロの歌』に比べるとずっと明るくて親しみが持てる。ラストもハートウォーミングで泣かせる。
 ところがこの作品は、70年8月に福岡県児童福祉審議会から有害図書に指定されてしまう。はじめに「黒歴史」と書いたのはこのことである。性表現や暴力描写が問題になったようだ。今のマンガと比べればぜんぜんおとなしいものなのだが、一罰百戒のターゲットになったのかもしれない。
 マンガと性表現の問題を考える上でも、欠かせない作品である。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年11月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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