『訴歌』
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訴歌(そか) あなたはきっと橋を渡って来てくれる 阿部正子編
[レビュアー] ドリアン助川(明治学院大学国際学部教授、作家・歌手)
◆療園で紡がれた慟哭と希望
表現者たちの生きた証(あかし)がこの一冊に収められている。商魂や自己顕示欲とは縁のない、純粋な、命を燃やしたがゆえの短歌、俳句、川柳の連なりだ。ハンセン病療養所のなかで紡がれた文字は、時を越えその慟哭(どうこく)を今に伝える。
「しんしんと深まる夜(よ)なり線路上に一度寝かせし吾子ぞ抱き取る」(千本直子)
子どもといっしょに消えようとした母は、生き別れの運命を受け入れ、療養所に収容されたのだろう。この病を得たというだけで、親族までもが破滅的な差別を受ける時代が長く続いた。
「会いに来てください明りが消えるから」(辻村みつ子)
病が治癒しても、囲いのなかから出られなかった人々。国が定めた「らい予防法」は社会から患者を排除し、個の声を抹殺しようとした。
全国の療養所を回って千冊もの作品集を手にいれ、「ハンセン病文学全集」(皓星社)完成のために尽力したのは、二〇一一年に早世した編集者、能登恵美子だ。彼女の遺志を継ぐように、同じく編集者の阿部正子が「全集」より作品を抜粋し、この「訴歌」を編んだ。阿部もまた社会の一隅に光を当て続けてきた人だ。
「恋人をも殺す冷たき眼といへり永き虐(しい)たげに堪へ生きて来にしを」(横山石鳥)
歌や句を受け止める私たちは、悲嘆の重い扉をあけ、その闇の深さに茫然(ぼうぜん)となる。
だが、表現者たちの心に寄り添ううち、哀(かな)しみもまたきらめきの仲間であることに気づかされる。なにかを照らし出すのだ。
それは、個が生きたからこその歌であるという真実だ。
「濃き闇の向(むこ)ふになにか在る思ひ心に持ちて歩みつづける」(赤沢正美)「白杖(はくじょう)に夢の火種は絶やすまい」(五津正人)「生きのびる力句となり詩(うた)となり」(茅部ゆきを)
飛翔(ひしょう)する蛍のように、闇のなかから希望が顔を出す。読む者はそれをすくい取り、自らの心にそっと留まらせるだろう。療養所の表現者たちの生きた証は、編集者たちの、そして読者である私たちの生の息吹と重なり合う。
(皓星社・1980円)
1951年生まれ。元三省堂編集者。共著『夢みる昭和語』(小暮正子の筆名で執筆)。
◆もう1冊
『増補 射こまれた矢 能登恵美子遺稿集』(皓星社)