「それは、可能なのだ。」重度障害の当事者たちが切り拓いた地域での自立生活

レビュー

6
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当事者に聞く 自立生活という暮らしのかたち

『当事者に聞く 自立生活という暮らしのかたち』

著者
河本のぞみ [著]
出版社
三輪書店
ISBN
9784895906883
発売日
2020/03/09
価格
3,300円(税込)

書籍情報:openBD

「それは、可能なのだ。」重度障害の当事者たちが切り拓いた地域での自立生活

[レビュアー] ドリアン助川(明治学院大学国際学部教授、作家・歌手)

 大型不発弾の撤去作業のため、東京のある地域の住人すべてに退去命令が出されたことがある。自転車通勤をしていたボクはその日偶然そこに入りこみ、列をなして避難する人たちと一緒になってしまった。そして車いすやストレッチャーに乗った、実に多くの人々と遭った。知っているはずの街に、独力では歩けないみなさんがこんなにもいらしたのか。その驚きに加え、多数の介助者がともに笑顔で歩いている光景に胸を揺さぶられた。
 なぜ、10年以上も前の爆弾騒ぎに今触れているのか。それは本書を読みながら、あの日ふと浮かんだ言葉がよみがえったからだ。
「命のパレード」である。
 本書の半分以上は、自立を目指して奮闘してこられた障がい者のみなさんのドキュメントだ。当事者のすぐ近くで呼吸する著者の河本のぞみさんだからこその密度の濃い、体温のある取材と、その果実としての文章に圧倒され続けた。
 頸損で四肢麻痺になりながらも岸壁釣りに勤しみ、ついにはパートナーまで釣りあげてしまった男性。機敏に走り回る電動車いすでケーキを売り歩く脳性麻痺男性の夢と葛藤。事故によりすべての肉体的表現を奪われ、心で訴えてもだれにも気づいてもらえない「閉じ込め症候群」に陥った少女。やがて彼女が頭にスティックを付け、透明な文字盤を利用して意思の疎通を図ることで、本人にしかできない仕事を得ていくまでの道程。
 こうしたそれぞれの自立への企てと、その固有の「暮らしのかたち」が成立すること。
 著者はまさにそこで、排除されがちな人々の命の在り方を描く。介助者との間に生まれる緊張や笑い、歌、苛立ちのあまりの罵倒、これらひとつひとつの命の火花が伝わる筆力で、歩ける人になろうとするのではなく、今与えられているその状況のまま、「生活にまつわるさまざまな管理を自分でする」という意味で自立を具体化していく人たちの心の旅立ちを描きだす。
 このドキュメント群はまた、障がい者の自立を現実化させようと踏ん張ってきた介助者たちの物語でもある。
 表情を含め、ほぼすべての肉体的反応を失った筋萎縮性側索硬化症の男性。その介助チームの一員として長年汗を流し、身体と心についての感慨をステージにまで昇華させていく舞踊家。あるいは、「歩けないってどういうこと? 動けないってどんな感じ?」と問うところから重度の障がい者のヘルパーとして働きだし、ついには一人娘の大学卒業を見届けるシングルマザー。彼女の飾らない、それでいて人と人との関係の芯に迫る言葉は、どんな自己啓発本のメッセージよりも効く。
 ここに於いて、当事者は自立を目指す障がい者ではなく、「ある程度、人生あきらめがついたら、いい仕事ではないかな」とつぶやく介助者の方へと移り変わる。
 つまり、双方ともが当事者なのだ。この新たな認識は、関係性があってボクら人間の命は初めて存在できるという真理をわかりやすく浮かび上がらせる。
 単独で存在できるものなどどこにもない。自分だけ幸せであればいい。自国だけ富んでいればいいという願いが哲学としても物理としても否定されるように、存在とは個のことではなく、個と個の関係によって成り立つものである。まさに本書は、地を這うようなドキュメントを通じてそのことを語っている。
 となれば、ボクがまずよみがえらせた「命のパレード」という言葉は、もう一段深い意味で使われるべきだと読後に思った。ボクらは今回の命の表出を、人間という形で体験している。人の数だけこの体験の種類があるのだ。そして絡まり合い、関係することで存在している。そのような意味での「命のパレード」が、爆弾ではなく、巨大な花火として仕掛けられている稀有な一冊が本書である。

作業療法ジャーナル
第54巻7号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

三輪書店

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