子育ては「思ってたのと違う」の連続 そういう日常を見つめ続けた父親の優しい答えが詰まった記録

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ぼくらは人間修行中

『ぼくらは人間修行中』

著者
二宮 敦人 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103502937
発売日
2022/07/14
価格
1,595円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

父親があざやかにすくい取る成長のグラデーション

[レビュアー] 古賀及子(ライター)


子育ては思ってたのと違うけど、それ自体が特別な日常なのかもしれない(イラスト:土岐蔦子)

作家・二宮敦人さんによるエッセイ本『ぼくらは人間修行中―はんぶん人間、はんぶんおさる。―』が刊行。東京藝大に通っていた女性と学生結婚した作家が、子育てに奔走する日々をあたたかな目線でリアルに綴った本作の読みどころを、ライターの古賀及子さんが紹介する。

古賀及子・評「父親があざやかにすくい取る成長のグラデーション」

 子育ては、めくるめく「思ってたのと違う」の連続である。

 私は赤ん坊とはベビーカーに乗って移動するものだと思っていた。ところが、息子も娘も、乗せて歩けば10秒ももたずにむつかった。頭上の産毛が風を切り、ふんわりした両頬が振動すれば驚きおもしろがるだろうと、ずんずん速度をあげてもだめで、むしろむつかりに火がついて泣き出してしまう。こうなると、あきらめて抱っこ紐を装着しぴったりお腹を合わせて抱かなければしずまらない。だからうちのベビーカーはベビーカーというよりもスーパーで買ったものを乗せる荷車だった。

『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』は作家の二宮敦人さんが、乳児と幼児、ふたりの男の子の成長の様子を「親の欲目に惑わされず観察したい」とあまさず記録したエッセイだ。子どもというはじめて出会う生命体は向き合うほどに底が知れず、ページをめくってもめくっても「思ってたのと違う」が続いて終わる気配がない。予想不能な毎日に茫然とする二宮さんの様子には、育てることを経験しながら、育つことも追体験している生の姿を感じる。どんな人にも身に覚えがあって共感できるのではないか。


ニ宮敦人さん(撮影・新潮社)

 子どもはある日突然成長するのではない。徐々に大きくなっていく。うっかりしていると久しぶりに出会ったご近所さんが言う「いつの間にかこんなに大きくなって」を、毎日顔を合わせているはずの親にもかかわらず感じて驚くことになる。二宮さんちはそこが違う。父の記録は成長のグラデーションの、隣り合うドットの色味のささいな変化を見逃さない。子どもの成長によるじんわりした日常の変化を、そのどったんばったんとともにあざやかにすくい取っていく。

 0歳児が、おもちゃを取られてもシャワーのお湯が顔にかかっても、なにをされてもぽかんとすることについて、「されている」という感覚がなく、すべてを世の理として受け入れているのではないかと夫婦で話し合う一節がある。「されている」感覚を知ることではじめて、子どもは泣いてうなって抗議するようになるのだとふたりは考える。父親の想像力、母親のひらめきに、私の目は見開いた。

 子どもたちのふるまいを事象としてとらえるだけではなく、そのすべてが成長につながっていると理解しようとする夫婦の様子は、子を育てることの興奮を生の手ざわりで伝えてくれる。

 子育てがエキサイティングであるいっぽう、子を思う愛は、ほかの種類の愛にくらべて退屈なのかもしれないとも思わされた。

 二宮さんが子どもの頃、父親が色とりどりの車が載ったカタログを机いっぱいに並べながら結局毎回、白い車を選んでいたと思い出すシーン。面白みのない選択だと感じていたけれど、子どもと一緒に乗るから白だったのかもしれないと思いいたる。統計上事故率の低いのは白い車だ。

 白い車の意味には、誰もが気づけるわけではない。親の愛は子どもの無事の成長を願うものだから、子の生がマイナスにならないように、損なわれないように手を当てるようにそこにある。愛の地平が「ゼロ」なのだ。結果退屈で、ちょっと見えづらい。

 子育ては思ってたのと違うことが起こるばかりで、親の愛は劇的ではなく退屈だ。これが家族というものなんだろうか。つい感じてしまう疑問に手探りでたどりつくアンサーもこの本には満載で、例えば長男であるちんたんの5歳の誕生日のエピソードがそのひとつだ。

 この日、一日かけて実施されるはずのお祝いのプランが思わぬことで出だしからうやむやになる(思ってたのと違う!)。うやむやな中でも喜びエンジョイするちんたんをながめ、父母は子どもの誕生日をだしにして親の方が楽しむつもりだったのではないかと自問する。バースデーケーキを食べても、お誕生日の歌を歌っても、なんとなく、ピンとこない。

 でもこの後だ。次男のたっちゃんが音楽に合わせて踊り出し、つられて家族みんなが踊り出す。輪になって、手をつないで、回る。

 家族ってなんだろう、これで合ってる? いいのかな? そんな思いが、4人で踊ってぐるぐる回って、一気にどうでもよくなって、ああ、これが家族なんじゃんと、急に腑に落ちる。その様子はなごやかでちょっと滑稽な、家族という瞬間そのものだ。

 ともに過ごすうちに起こる、ふいにきらめく時間の積み重ね。それこそが、それぞれに生きる人々をゆるく家族としてとりまとめる。

 だから家族の生活はおもしろいし、続いていくのだ。

新潮社 波
2022年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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