瀬戸内寂聴が子供の頃の記憶を元に描いた生涯最後の小説 『あこがれ』試し読み

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 昨年11月に99歳で大往生を遂げた瀬戸内寂聴さんが、亡くなるひと月前まで雑誌に連載していた最後の小説『あこがれ』が刊行されました。
 ハアちゃんと呼ばれた子どもの頃の記憶を辿り、おばあちゃんから届いた西洋人形に魅了される「赤い靴」や、飛行機であの世へ到着したという設定で書かれた「星座のひとつ」まで、晩年の自由な想像力を飛翔させた作品など17篇を収録した自伝的小説集です。
 幼いときの自身の視点から外国の船へ思いを馳せる表題作「あこがれ」を公開いたします。

 ***

あこがれ

 生れた家から大人の脚で七分も歩けば、町の中央を流れている富田川の河口に達した。そこは、町で唯一の港になっていて、本土の大阪と、四国の徳島をつなぐ連絡船の発着所だった。
 白い、さほど大きくもない連絡船は、朝早く港に着き、夜遅く、大阪へ向って出発する。
 その度、小ぢんまりした胴体に似合わない大きなさけび声をあげて、船の発着を知らせる。その声は、ささやかな町の隅から隅まで響き渡る。はじめてそれを、いきなり聞いた旅人は、思わず腰を浮かせ、おびえた顔になる。
 取りすました大人が、突然、間の抜けた顔になっておどろくのが、四歳のわたしには面白くてならなかった。
 赤ん坊の時から聞き馴れているせいか、異様な船のだみ声も、町の中央の城山から、毎日、正午を告げて鳴り渡る「ドン」と、同じようにしか感じなかった。
 二歳の夏、悪性のはしかにかかり、産後から肋膜炎にかかって、赤ん坊のわたしの面倒を、五歳上の姉の時のようには充分に看られなかった母の衰弱のせいもあって、わたしははしかをすっかりこじらせてしまい、滲出性体質になり、年じゅう体のどこかを痒がり、やせ細った体を、切なげにゆすってぴいぴい泣いてばかりいた。
 胸の病いが重くなり、死ぬかもしれないと思いこみ、娘たちに形見の写真など、ひそかにとっていた母は、誰かにすすめられた漢方薬と、父が朝毎に食べさせる鰻の肝のせいで、すっかり体力を回復させ、病気前より肥って、いきいきしてきた。同じ薬屋の漢方薬なのに、わたしのはしかには一向に効き目がなかった。滲出性体質は、はしかが一応治ってからも重くなり、わたしは年じゅう体じゅうを痒がり、かきむしり、おできだらけで薬臭く、近所の子供たちにも遊んでもらえなかった。
「ハアちゃん、臭い、あっちいけ」
 子供特有の残酷さで、追われるのにも馴れてくると、わたしは独り遊びの工夫をして、近所にある硝子工場にしのびこんだり、河口の港へ行って、白い連絡船の前で膝を抱いて、何時間でも坐りこんで飽きなかった。そこには連絡船ばかりでなく、大小の舟が往来していて、一休みするようであった。何もかもまる見えの小舟の中で、七輪を破れうちわであおぎ、火をおこしている親子がいたり、まくわ瓜にかじりついていたりする幼い兄妹がいたりするのに出逢うと、なんとなく心がほっこりやわらぐのであった。
 昼間の港の連絡船は、人の気配もなく、ひっそりしていた。港の背後は広い魚市場になっていたが、そこが賑うのは朝早くだそうで、わたしの遊ぶ昼間の時間は、どっちを向いても人気もなく、ひっそりとしているのが、なぜか好ましくて、わたしは誰もいない魚市場の魚臭い壁にもたれて膝を抱き、だるまさんのように動かないで、飽きもしないのだった。
 この動かない白い船が、夜になって出航して行く時を知っていた。父は、二ヵ月か三ヵ月に一度、この眠った象のような船に乗って、出かける時があった。「須磨」のお婆ちゃんを見舞うのと、仕事の打ち合せのための旅だと云っていた。「旅」という言葉を覚えたわたしは、姉や母にうるさがられるほどつきまとい、旅について訊きたがった。
「ここと、ちがう所へ行くことや」
「どして、いくのん?」
「そこに用事があるけんや」
「どんなようじ?」
「そんなん知らん、人それぞれちがう用事や」
「どして、ひとのようじがみな、ちがうん?」
「そんなん知らん。うちはお魚や肉が大すきやけんど、ハアちゃんは、豆ばっかり好きで豆しか食べへんやろ? それ、二人はちがうやないの」
「うちは犬や猫が大好きやけど、ハアちゃんは動物は何でも怖がるから、うちんくは猫も犬も飼うてもらえへん、それも、ふたありのちがうとこ」
「ふうん……そんで、よそへいったら、なにがあるん?」
「ここと全然ちがう町があって、全然ちがう人がおるんよ」
 わたしはびっくりして黙りこんでしまった。しばらくして、
「うちも、いきたい!」
 と言った時には、もう姉はそこにいなかった。船に乗ったり汽車に乗ったりして、ここではない所へ行くことを「旅」とか「旅行」というのだとは、お母さんからも聞きだした。それ以来、わたしはまだ見ぬよその土地や町に憧れるようになった。独り遊びする時も、いつの間にか河口の港へ来て坐りこみ、白い連絡船を見あげながら、まだ見ぬ町や人に憧れて、勝手に想像をめぐらせては、退屈することがなかった。
 父が連絡船に乗って大阪へ行く時は、いつも夜も遅い時間で、わたしたち姉妹はもう寝床に入っていたので、見送りは母ひとりでしていた。旅にあこがれを持ちだして以来、わたしはその夜は眠ろうとせず、母と一緒に夜の港へ行き、船の出航を見送りたいと切に思った。もう眠っている姉はそのままにして、わたしははじめて母の袂をしっかり握りしめ、父を見送りに、港へ行った。出航の時間が迫っていて、港には昼間の森閑さはどこへやら、祭りの夜のように人が大勢集っていた。眠った象のような昼間の船の代りに、港には電球をまぶしいほどつけた白い連絡船が、優雅に横たわっていた。
 昼間の連絡船が、すねた動物のようにしか見えないのに比べ、夜の満艦飾の白い船は、優雅な絵物語の中のお姫さまにしかたとえられなかった。象や牛からたおやかなお姫さまに化けきった連絡船のボーイさんたちが、やはり絵物語の王子さまか、若殿さまに見えてきた。彼等も化粧したように美しい顔に変容していた。乗客たちから「ボーイさん」と呼ばれている彼等は、誰も愛想がよく、中の一人はいきなりわたしを抱きあげ、両親に目だけで許可を取ると、わたしを肩車に乗せて甲板へつれだした。わたしは愕きで声も出なかった。明りはこの船だけでなく、川の向う岸の民家にもあかあかとともっていて、昼間の風景とは見ちがえた。川と平行につらなっている眉山の上空には、大きな月が上っていて、町の民家の灯は蛍をばらまいたように光っている。
「わあ、きれい!」
 思わずつぶやいたわたしの声を聞くと、ボーイさんはいっそう弾んできて、ダンスをするように甲板を廻りはじめた。押えきれない楽しさにそそられて、わたしはきゃっきゃっと声をあげ、男の肩の上で体を弾ませていた。
「お嬢ちゃん、お名前は何ていうの?」
「ハアちゃん」
「ああ可愛いいね、ハアちゃん、聞いて! ぼくの奥さん、今朝、赤ちゃん産まれたのよ」
 おめでとうということばがすぐには出ないので、わたしは男の肩の上でからだを強くゆすった。足音がして母さんがわたしをさがしに来た。
 いきなり「ヴォー」と汽笛が鳴り、見送り人下船のドラが鳴りひびき、わたしたちは船を追われた。
「心配したんよ、海に落ちたか、子取りにつれていかれたかと思うて……」
 母さんが文句をもっといいそうな時、父さんも出てきて船を降りるわたしたちを見送ってくれた。人々の後ろにさっきのボーイさんが首をのばし、手を振っていた。
 ――赤ちゃんを産んだ奥さんは、どんな顔してるのだろう――
 新しく買ってもらった絵本のページをめくる時のような胸のどきどきが湧いてきて、わたしは母さんの掌に思わず爪を立てていた。
「痛っ! 何するのよ、この子!」
 ほんとに怒った時の母さんの声だったが、わたしは何だかエヘラエヘラ笑いだした。
 未知へのあこがれ。その時のわたしは、そんなことばも知らなかった。けれどもそれから生きのびて、九十六歳にもなったわたしに、生きる未知へのあこがれをしっかりと植えつけてくれたのは、あの夜だったと確信している。

続きは書籍でお楽しみください

瀬戸内寂聴
1922年、徳島県生れ。東京女子大学卒。1957(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。1973年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。1992(平成4)年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、2011年に『風景』で泉鏡花文学賞、2018年『句集 ひとり』で星野立子賞を受賞。2006年、文化勲章を受章。著書に『比叡』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『現代語訳源氏物語』『秘花』『爛』『わかれ』『いのち』『私解説 ペン一本で生きてきた』など多数。2001年より『瀬戸内寂聴全集』(第一期全20巻)が刊行され、2022(令和4)年に同全集第二期(全5巻)が完結。2021年11月9日99歳で逝去。

新潮社
2022年10月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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