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- 遠い家族
- 価格:1,650円(税込)
俳優の前田勝さんが18歳の時に、母親が義父を殺し、自らも命を絶った。
2018年、前田さんはドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に出演し、事件の謎を解くため、母の知人や親戚を訪ね、音信不通になっていた実父を探す旅に出た。その内容は大きな反響を呼び、同番組の放送時点での年間最高視聴率を更新した。
その取材過程で明らかになった内容と事件の詳細を記した手記『遠い家族~母はなぜ無理心中を図ったのか~』(新潮社)が2023年3月に刊行され、注目を集めている。
韓国人の母と台湾人の父の下、韓国で生まれた前田さん。物心つくころに両親は離婚しており、韓国、台湾を経て、12歳の時に日本人と再婚した母に呼ばれて来日するという複雑な家庭で育った。そして、日本での幸せな時間も束の間、義父の浮気と別居が、少しずつ母の精神を苛んでいった。
前田さんの著書の中から無理心中の事件現場に立ち会ったエピソードを公開する。
***
高校の卒業式から約二十日後、大学入学まであと1週間となったときに、バスケ部で最後の合宿をすることになった。下級生たちは通常の合宿として、卒業する僕たち3年生は、最後の思い出作りとして。
合宿先までは母に車で送ってもらった。家から車で約40分。これが母と過ごした最後の時間になった。母は車の中で、「今までのように、外食ばかりしていたらお金が掛かるよ。炊飯器でご飯を炊いて、外でお惣菜を買ってきて食べたら、節約になるからね。洗濯も大変だけど、自分でやるしかないからね」「これからはお母さんからも、お義父さんからもお金をもらえるわけじゃないからね」などと言っていた。
まるで自分はもういなくなるかのように。そんな風に言われて、僕はどう返したらいいんだ。
合宿先に着いたときの母の最後の表情。僕をじっと見つめたあとに、涙が溢れそうになって、それを隠そうとした母。その顔が今でも忘れられない。本当に情けないが、このときに、母から五万円ほど渡された僕は、大金をもらったという嬉しさしかなかった。
母からのSOSの信号を、僕は結局最後の最後まで見て見ぬふりをするか、気づかないまま終わってしまったのだ。母はそんな僕をどう思っていたのだろうか。帰り道、車の中で一人でなにを考えていたのだろうか。
この合宿中は、家のことを考えないようにして、必死に友人たちとの最後の時間を楽しもうとしていた。しかし、2日目の夜の練習が終わり、部屋に戻って携帯を見ると、知らない電話番号から着信があった。すぐに折り返してみると、知らない女性が電話に出て、切羽詰まった声で、「いま家で大変なことが起きているから早く家に行って!」と言った。事情がわからなかった僕は、「今バスケ部の合宿中です」と答えた。するとその女性が「なに言ってんの! 家が大変なことになっているからすぐに戻りなさい!」と、さらに強く言ってきた。そこで初めてただ事ではないと感じた僕は、慌てて合宿先にタクシーを呼んでもらい、家に向かった。
タクシーの中で、電話の女性の切羽詰まった声を反芻した。そして、母と義父のケンカや、母の最近の言動を思い返す。まさか、いやいや、そんなはずはない。でも、家でなにが起きているんだろう。どうして母や義父ではなく、知らない女性から電話が掛かってきたんだろう。早く家に着きたい気持ちと、怖くて家に着きたくない気持ちでパニックになり始めていた。
マンションに着くと、パトカーが何台も止まっていて、映画で見るような黄色いテープが、周囲にたくさん張られていた。警察官も何人もいた。その中の一人に、家に入れないから鍵を開けて欲しいと言われた。言われるがままにドアを開けようとしたが、鍵穴に鍵を入れる自分の手が小刻みに震えている。
なんとか鍵を開けると、警察官が一斉に家の中に入って行き、僕は外で待っているようにと言われた。3月末の夜、寒さのせいなのか、恐怖からなのか、手の震えが体全体に広がる。それまで体験したことのない震えだった。
しばらく待っていると、家の中に入るように促された。「部屋の中で、男性の方が亡くなっています。その遺体を確認して欲しい」と言われた。男性の遺体。それは、もしかして。案内されたのは、玄関からすぐそばの、義父が使っていた部屋だった。
そんなはずはない。絶対にない。祈るようにして部屋の中に入っていくと、見覚えのある背格好の人が床に横たわっていた。半年前に比べると、お腹の膨らみがとても大きくなっていて、ああ、あっちの家で幸せに暮らしていたんだなと場違いな思いが頭をよぎった。
顔全体にガムテープが巻かれていたが、義父に間違いなかった。顔の他にも、首と両足首の二か所をネクタイで縛られ、すぐそばのテーブルの上には、ハンマーが置いてあった。床と壁には、たくさんの血が染みていた。
ちゃんと顔を見て確認をして欲しいと言われ、顔のガムテープをめくってくれたが、とてもじゃないが見られなかった。それでも間違いなく義父だった。だから僕は、間違いありませんと答えた。およそ半年ぶりに見た義父は、死体となっていた。ただ、今すぐにでも起きてきそうに思うほど、現実感がまったくなかった。
義父の遺体確認のあと、僕の部屋に、母らしき人からの手紙があると教えられた。でも、それは今はまだ見せられないとのことだった。そして息子に手紙を残していることから、「突発的な殺人ではなく、計画的な殺人と推測できる」と言われた。
突発的とか計画的とか、そんなことよりも、母が今どうしているのかを教えて欲しかった。そのあとは、僕の事情聴取のために、パトカーで警察署に向かった。
警察署の案内された部屋で、一人不安に駆られながらしばらく待機していると、「もう一人の遺体確認もして欲しいからついて来て」と言われた。もう一人。母の今までの言葉を思い返すと、それは愛人なのか。それとも……。
廊下を歩きながら、どちらでもあって欲しくないと願ったが、ここまでくると、それはないと悟ってきた。そして気がつくと、涙が流れ始めていた。こんな考えはだめだと思いながらも、どうか母であって欲しくない。そう願いながらついていくと、屋外に出た。その先に倉庫のような建物があり、入口が大きく開けられている。その真ん中に、なにか台のような物があるのが、遠くからでも見える。
一歩ずつ近づいていくと、それが棺であることがわかった。枕元には、線香と火が灯された蝋燭が立てられていた。どうか、どうか母ではありませんようにと、泣きながらも必死で祈り、ゆっくりと棺の中を覗くと、そこには母の体が横たわっていた。
義父のときとは違い、母の顔がすぐに見える。目はうっすらと開いていて、口もほんのすこし開いていた。そこで母の死因を知らされた。11階建てのマンションの屋上からの飛び降り。自殺で間違いない、と。飛び降りて死んだ人の死体を見たことはないが、それにしても母の体は綺麗だった。ただ眠っているようにしか見えない。右半身は見えないようになっていたが、見えている左半身は、傷一つなく綺麗だった。ただ眠っているだけで、揺すり起こせば、すぐにでも起きてきそうだった。
でも、間違いなく二度と起きてくることはない。母と今まで過ごした日々が、急に頭に浮かび、涙が止まらない。母が死んだ。僕のことを愛していると言っていたのに、結局は義父を取った。一番愛している義父を殺し、自らも追いかけて死んでいった。
無理心中。ニュースで何度か聞いた言葉。その言葉の意味がわからなくて、母に聞いたことがある。人を無理矢理殺して、そのあとに自分も死ぬこと。それが目の前で起きた。僕は泣きながら母が憎いと思った。僕はまたしても母に捨てられた。
この頃の僕には、一つの夢があった。それは、母と台湾の父と、僕の三人で一枚の家族写真を撮ることだ。すぐには難しいかもしれない。何十年とかかるかもしれない。でも、いつの日か、共に60歳、70歳を過ぎた頃、母が穏やかになり、父の色々なことを許せたときに。僕も40歳くらいになって、母のことを、ちゃんとお母さんと呼べるようになって、みんなが今よりも、お互いのことを受け入れられるようになったときに、家族写真を撮る。今は無理でも、その夢は持ち続けよう。そうすればきっといつか。そう信じていたのに。その夢は叶えることができなくなった。
母の遺体確認をしたあと、再び狭い部屋の中に戻された。泣きすぎて頭がぼうっとする。どうやってその部屋に戻ったかは覚えていない。そこで改めて事情聴取されることになった。
義父の遺体確認で、すでにパニック状態になっていた僕は、母の遺体確認をしたあとは、溢れてくる涙を止めることができなかった。警察の人からなにを聞かれても、ただ泣くことしかできなかった。「辛いと思うけど、なにか答えてくれると助かる」と言われても、なにも答えることができなかった。ただただ、ずっと泣いていた。
僕があまりにも泣いているからか、警察の人も、途中から涙をこぼし始め、泣きながら調書を書いていた。なにも答えていないのに、それでもその人は、一緒に泣きながら調書を終わらせてくれた。僕は泣きすぎて、最後の方はもう涙も流れず、ただ呆然としていた。人は悲しすぎると、涙が出なくなるんだと、このとき初めて知った。
母がどんなに義父を殺す、殺してやると言っても、本当に実行するとは思えなかった。義父は屈強な男性で、母は小柄な女性で、体格も倍ほど違うから、できるわけがないと思っていた。人が人を殺すなんてこと自体が簡単にできるとも思えなかった。
でも、母はそれをやってのけた。そして、宣言通り、自らも命を絶った。母の覚悟をどこかで甘く見ていたんだ。できるわけがない。やれるわけがない。万が一、本当に義父を殺そうとしたとしても、体格と力で勝る義父に止められるだろうと。後悔。母のことを止められなかった後悔。そのせいで義父を、母を失った。ちくしょう。ちくしょう。
深夜だったこともあって、朝まで警察署で過ごさせてもらった。つけていたコンタクトは乾いて目が痛いし、泣きすぎて頭がぼうっとする。朝まで一人で部屋の中で呆然と座っていた。
前田勝
1983年、韓国人の母と台湾人の父の下、韓国で生まれる。7歳まで韓国、12歳まで台湾で暮らす。日本人と再婚した母に呼ばれて12歳で来日。大学入学直前、母が義父を殺して無理心中を図る。大学中退後、東京NSCに入学。卒業後は舞台俳優となる。客演の傍ら劇団を主宰し、母の事件を描いた舞台を上演。2018年、ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に出演し、母の生涯を辿る。同番組は北米最大級のメディアコンクール「ニューヨーク・フェスティバル2019」ドキュメンタリー・人物伝記部門で銅賞を受賞。2021年『茜色に焼かれる』(石井裕也監督)で映画初出演。舞台にも立ち続けている。
株式会社新潮社のご案内
1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。
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