「ドラえもん」の空き地に土管があるのはナゼ?今は見かけぬ土管と“うんち”の意外な関係とは

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最近はあまり見かけなくなった土管

「おいのび太!いいもん持ってるじゃねーか。俺様によこせ!」「……ドラえもーーん!」

漫画『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)でお馴染みの光景の一つに、近所の空き地がある。放課後、のび太やジャイアン、スネ夫、しずから子供たちは空き地に集い、物語が繰り広げられる。

この空き地には、欠かせない存在がある。中央に置かれた「土管」だ。ジャイアンがふんぞり返り、のび太は中に入って隠れることもある3本の土管……。

ところで、なぜ空き地に土管が置かれているのだろうか。そもそも、その理由を考えたことがある人はいるだろうか。

この土管の謎に、変わった方向からアプローチした本がある。『うんちの行方』(神舘和典・西川清史、新潮社)だ。『ドラえもん』の空き地の土管とウンチには、密接な関係があるというのだ。『ドラえもん』の連載が始まった頃の日本は、高度成長期の真っただ中とはいえ、今とは比べ物にならないくらい衛生環境が良くなかった。それゆえに土管の置かれた光景があちこちで見られたということらしい。

当時を知る世代には懐かしいが、今では信じがたいような、土管と排泄物のにおい立つような関係を見てみよう。

(以下は『うんちの行方』をもとに再構成したものです)

 ***

あちこちに土管があった昭和のニッポン

 日本では、奈良時代あたりから排泄物が農家の肥料として使われ、鎌倉時代には排泄物の有効利用がほぼ機能していた。

 ところが太平洋戦争後、そのバランスが崩れていく。日本の人口は急増し、都市部では徐々に畑が減り始め、安価な化学肥料が使われるようになり、し尿が余り始めたのだ。

 いまでこそ日本の水洗トイレ率(汚水処理人口普及率)は91.7%、東京は99.8%。しかし、1970年代は東京23区ですら、鼻をつまみたくなるようなにおいが充満する汲み取りトイレの家庭は多かった。高度成長期の東京の人口は増え続け、当然排泄も増え続ける。

 下水道の新設が人口増加に追い付かなかったのだ。

 1969年に連載を開始した、藤子・F・不二雄さんの漫画『ドラえもん』で描かれている昭和時代の原っぱには、たいていコンクリート製の土管(厳密には粘土で焼かれたものを「土管」といい、コンクリート製のものは「ヒューム管」)が置かれている。キャラクターの、のび太やジャイアンをはじめ子どもたちは土管に上ったりくぐったりして遊んでいる。女の子は土管を家に見立てて、中でおままごとをしている。

 あれは、東京中で下水道工事が行われていた時代だからこそのシーンだ。実際に、当時はあちこちで土管を見た。地中に埋められる前の土管が原っぱに置かれていたのだ。

ボットン便所から肥溜め、そして畑へ


懐かしのボットン便所

 私事で恐縮だが、筆者(神舘)が生まれ育った東京・練馬区の石神井の家は汲み取り式のボットン便所だったし、杉並区の阿佐谷にある公立高校に進学したら、そこもボットン便所だった。家でもボットン。学校でもボットン。入学式の日にとても悲しい気持ちになった。

 練馬区あたりでなぜボットンが長く続いていたのか――。

 その理由の一つに、武蔵野のエリアが良質な関東ローム層の土壌に恵まれ、すくすくと育つ練馬大根やキャベツ畑が多かったことがある。有機肥料を有効活用していたのだ。

 1970年代の石神井には、大きく分けて3種類の人が暮らしていた。広い畑を持っていた地主、地主から土地を買って家を建てた人や地主の持つ賃貸物件に住む人たち、地主が東京都に売った土地に建った公団住宅に住む人たちである。

 農業従事者が減り、地主たちは土地を手放していったものの、残っていた土地では家族で野菜を作っていた。そのためには、コストのかからない有機肥料があったほうがいい。石神井の周辺では化学肥料だけでなく有機肥料も使っていた。自分たちが経営する賃貸物件のトイレは汲み取り式にして、肥桶でし尿を畑に運んでいた。

 1950年代以前、農業従事者が多く一面の畑だった時代はし尿が足りず、地主たちは各家庭をまわっても集めていた。しかし1970年代になると畑も減り、地主が経営する賃貸物件のし尿でほぼまかなえるようになったのだろう。

 汲み取ったし尿は畑にある肥溜め(「野壺」ともいった)に入れる。人体から排泄されて間もない新鮮なし尿は濃度が濃すぎて、そのまま畑に撒くと作物をだめにしてしまう。そこで、一度肥溜めに貯蔵し発酵させる必要があった。自然の微生物によって熟成させてから畑に撒くのだ。肥溜めはいわゆる“熟成庫”だった。

肥溜めに落ちたらどうなるか……

 子供のころ、家の前の原っぱに肥溜めがあった。もともとは畑で、そこにあったものが残っていたのだ。小学一年生の時、肥溜めに落ちた。魚釣りの真似をしていたら、ふちの地盤が崩れたのだ。

 死ぬかと思った。手を伸ばして土をつかむと崩れる。草をつかんでも、根から抜けてしまう。じたばたともがき、自力でなんとか這い上がったものの、体中熟成ウンチだらけ。どろどろのまま家へ歩いて帰った。

 自宅に着くと、両親も祖父母も驚き、全裸にされ、風呂で徹底的に清められた。洗ったはずなのに、その日は夜まで、鼻の中にウンチの臭いが残っていた気がしたものだ。以後、肥溜めには怖くて近づかなかった。

流した後どうなるか知ってる? 現代のうんちが辿る10プロセス


『うんちの行方』より引用

 ほぼ水洗トイレが普及した日本での、水洗トイレに流してから先の大まかな流れは次の通りだ。

(1)ウンチは、水洗トイレの「排水管」から、キッチンや浴室の生活排水と合流し、汚水として流れていく。この時点での排水管の太さは、地域差はあるものの、80~120ミリメートルくらい

(2)汚水が、家庭、集合住宅、ビルや商業施設から出ると、いくつかの「貯蔵ます」で周辺の建物の汚水と合流する

(3)マンホールの下にある公共の「下水道管」に流れ込む。下水道管には、汚水と雨水を一緒に流す「合流式」と別々に流す「分流式」がある

(4)下水道は、周辺の汚水と合流しながら太くなり、なだらかな傾斜にしたがって流れていく。ただし、そのままでは際限なく深くなっていくので、途中にいくつか「ポンプ場」が設けられている。ポンプ場では汚水を地面の浅いところまでくみ上げる。そこから汚水はまた傾斜にしたがって流れ、下水は増え続け、下水管も太くなっていく。その太くなった下水管を通って「下水処理場」へ流れていく

(5)下水処理場(「水再生センター」と呼ばれることも多い)にたとり着いた汚水は、まず「沈砂池」に溜められて、大きなゴミや土砂が取り除かれる

(6)沈砂池の次はポンプで「最初沈殿池」へ流し込み、細かいゴミや汚れを沈殿させて取り除く

(7)汚水は最初沈殿池から「反応タンク」へ流される。この反応タンクで行われる作業が下水処理のメインイベント。ゾウリムシ、カイミジンコ、ツリガネムシ、ミドリムシ、セン毛虫など、微生物を汚水に加えて、そこへ空気を入れてかき混ぜる。微生物が有機物を分解し、汚水を浄化してくれる。これを「活性汚泥法」という

(8)汚水はさらに「最終沈殿池」へ流れ、反応タンクで生じた微生物の排泄物や死骸を沈殿させる。汚泥(沈殿した泥のかたまり)は腐敗しやすいので速やかに取り除く

(9)浄化された上澄みの水を塩素や紫外線、オゾンなどで消毒する

(10)消毒された水を海や川に放流する

 以上が、ウンチが浄化されて自然に還るまでの大まかなプロセスだ。もちろん、下水に流れてくるウンチやオシッコなどの有機物以外のトイレットペーパーやキッチンの油、洗剤、ゴミなどは、注意深く排除して処理されている。

(※東京都下水局『浸水ゼロ・安全・快適!下水道』『半地下建物・地下室にご用心!!』、東京都小平市『ふれあい下水道館 ガイドブック』を参考)

 ***

 ドラえもんが野比家に来た時には、まだこうした水洗システムが東京ですら普及していなかったわけで、さぞかし驚いたことだろう。

 下水道が整備された今、見かける機会が減ってしまったあの土管。もしまたどこかで見ることができたら、「これが地中に埋められて私たちのウンチを運んでくれてるんだ……」と胸が熱くなるに違いない。

神舘和典(こうだて・かずのり)
1962(昭和37)年東京都生まれ。著述家。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『墓と葬式の見積りをとってみた』『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』など著書多数。

西川清史(にしかわ・きよし)
1952(昭和27)年生まれ。1952年生まれ。和歌山県出身。上智大学外国語学部フランス語学科卒業後、文藝春秋に入社。雑誌畑を歩み、「CREA」「TITLE」編集長を経て、2018年副社長で退職。現在は瘋癲老人生活を満喫中。著書に『にゃんこ四字熟語辞典1、2』(飛鳥新社)、『文豪と印影』(左右社)、『世界金玉考』(左右社)がある。

Book Bang編集部
2023年5月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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