あーまたこの二月の月かきた

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母

『母』

著者
三浦 綾子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041437179
発売日
1996/06/21
価格
528円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

あーまたこの二月の月かきた

[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「母」です

 ***

 日本のプロレタリア文学を代表する小説『蟹工船』で知られる小林多喜二が築地警察署で虐殺されたのは、1933(昭和8)年2月20日のことである。

 自宅に運び込まれた遺体を見た仲間たちは、凄惨な拷問の跡に息を呑んだ。下半身は赤黒くふくれ上がり、釘か針が打ち込まれて肉がえぐれた傷が無数にある。

 その場に居合わせた佐多稲子の「屍の上に」という文章には、多喜二の胸をなで、その顔を抱えて「もう一度立たねか、みんなのためにもう一度立たねか!」と話しかける母セキの姿が書きとめられている。

 セキの生涯を三浦綾子が小説化したのが『母』である。貧しい家に育ち、読み書きができなかったセキは、60歳近くになって手習いを始めた。それは、当時獄中にいた多喜二に手紙を書きたい一心からだった。

 そのセキが晩年に書いた文章が、『母』の終盤に、そのまま引用されている。

〈あーまたこの二月の月かきた/ほんとうにこの二月とゆ月か/いやな月こいをいパいに/なきたいどこいいてもなかれ/ないあーてもラチオて/しこすたしかる/あーなみたかてる/めかねかくもる〉

 二月は多喜二が殺された月である。変わり果てた息子の姿は最後までセキの頭から離れなかっただろう。だがセキは人前でほとんど涙を見せることはなかったという。

 わずか8行のたどたどしいこの文章は、どんな詩人の作品にもまさる、子を思う母の絶唱である。

新潮社 週刊新潮
2023年6月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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