【「耳もぐり」全文公開】Netflix「呪詛」と「縄の呪い」の監督が“驚異的な作品”と絶賛した怪奇小説 小田雅久仁『禍』試し読み

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「月」をモチーフとする3作を収めた中篇集『残月記』で、2022年本屋大賞7位入賞を果たしたほか、第43回吉川英治文学新人賞と第43回日本SF大賞で史上初のW受賞を達成。いま最も次回作を待望される作家、小田雅久仁さんの最新作『禍(わざわい)』が刊行された。

 口、耳、目、肉、鼻、髪、肌といったヒトの〈からだ〉をモチーフに、ありとあらゆる「恐怖」と「驚愕」が紡がれる短編集だ。

 伊藤潤二氏、小島秀夫氏、恩田陸氏をはじめ各界の著名人から激賞を受けているほか、2022年にNetflixで世界的ヒットとなった「呪詛」の監督ケヴィン・コー氏や2018年に台湾で大ブレイクした「縄の呪い」の監督リャオ・シー・ハン氏からも推薦されている本書は、世界からもオファーが相次ぎ、複数言語での翻訳版刊行が決定している。

 台湾と韓国では既に電子版での先行配信がスタートし、“恐怖”と“驚愕”で世界の注目を集めている本書の中から、短編「耳もぐり」を全文公開します。

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耳もぐり

 この手です。誰もが両腕の先に特段、不格好だとも不気味だとも思わずに平気でぶらさげている、まさにこれです。ほら、こうして目の前に翳してじっと見ているでしょう? すると、ふとした瞬間を境に突然、見慣れたはずの自分の手がぬっと正体を剥き出しにしたようで気味が悪くなってきたりはしませんか? 何か物をつかむ以外の嫌らしい役割を与えられた特殊な器官のように見えてきたりはしませんか?
 ああ、中原さん、あなたの手はやっぱり繊細ですね。何も壊せない、何か小さな物でもつくるしかない小さな手です。でなければ学者の手です。とにかくああでもないこうでもないと知恵を絞って生きるほかない人間の手ですよ。しかし肉体に鞭打って生きるしかない人間と脳味噌に鞭打って生きるしかない人間とどちらがより憐れでしょうね。どう思います?
 ああ、そう言えば、あなたは本当に学者でしたね。まだ非常勤講師だけれど、東京の私立大学で社会学だの英語だのを教えている。そう、初めてお会いしましたけどね、あなたについては色々と知っているんですよ。あなたが思っているよりずっと多くのことをね。中原光太、交際相手の香坂百合子からは“光太君”と呼ばれている。三十七歳、神経質で慎重なA型、いくつもの大学を掛け持ちするどさ回りのような仕事から抜け出して専任の大学教員になれる日を待ち焦がれる疲れはてた知的労働者……。
 いや、違うな。会うのは初めてじゃない。一度だけ、たった一度だけですが、三年ほど前にこのアパートの廊下ですれちがったことがありますね。憶えていますか? あなたは例によって私の隣人の香坂百合子と一緒でした。仲睦まじい二人が自然と笑みの浮かぶ口を押さえあうようにして孤独な私とすれちがい、隣の四〇五号室に入っていきましたよ。ええ、私にはひと目でわかりました、あなたたちの交際の長いことが。二人はそっくりに見えましたからね。何と言うかこう、同じ土から捏ねあげられたような、そして大雨でも降ろうものならまた同じ土に戻ってやがて溶けあってしまうような、そんなお似合いの二人に見えました、私には……。
 それはまあいいでしょう。とにかく手です。私がいまから話そうとしているのは、人間の手が長いあいだ隠し持ってきた、知られざる能力のことなんです。つまりそれが“耳もぐり”なんです。もちろん初めて聞く言葉でしょうね。耳もぐり、耳もぐり……なんとも無粋な響きではありますけどね、私も昔、ある男からそう呼ぶよう教わったんです。だいいちほかに言いようがありますか? 無粋な行為、そしてそれを駆使する無粋な輩には無粋な呼び名がふさわしいということです。
 ああ、わかっていますとも。中原さん、あなたがなんのために私に会いに来たかは重々承知しています。香坂百合子のことでしょう? 聞きたいことは山ほどあると思います。しかしとにかくあなたは香坂百合子の行方が知りたくて私のもとへやって来た。七年ものあいだ彼女の隣人だった私のもとへ。いや、誇りに思っていいですよ。あなたは正しかった。香坂百合子の行方を私は確かに知っています。ほかの誰も知らなくとも私だけは知っています。そしてあなたに極めて重要な何事かを語ってあげられる。
 実を言いますとね、彼女がこのアパートから姿を消してからの三カ月間というもの、私はずっとあなたを待っていたんですよ。いや、本当です。いっそのことこちらから会いに行こうかと思ったことも一度や二度ではありません。しかし結局その勇気を持てなかった。怖かったんです。あなたと対峙するのが。でも、彼女を捜すためにあなたのほうから会いに来てくれたら、と心のどこかでずっと願っていたのも本当なんです。そして、もしその恐ろしい願いが叶えられたなら包み隠さずすべてを話そう、そう思っていました。あなたと彼女は何しろ高校のころから二十年近くも交際してきたんですから、彼女がなぜどこへどんなふうに消えたのかを知る権利があるというものですよ。
 ええ、私はあなたについてもいくらか知っていますが、彼女についてはもっと多くのことを知っているんです。彼女とはこのアパートの廊下や階段で何度すれちがったことでしょうね。彼女は女の一人暮らしですから、男の私をどこか警戒した様子でいつも目を伏せ、曲がらぬものを曲げるような固い会釈をしたものですよ。どうですか? 私を初めて見たとき、あなたはどんな印象を持ちました? いかにも何かをやらかしそうな危なっかしい男だと思いましたか? これでもつい先日までは作り笑いで顔を引きつらせながら真面目に保険の代理店に勤めていたんですよ。まあいずれにせよ、私と彼女とはただの隣人というだけの関係では終わりませんでした。私たちは、何と言いますか、あるきっかけがあって知りあうようになったんです。これ以上ないほど深く知りあうように。
 あなたがどう思っていたかはわかりませんが、彼女はあなたを本当に好きだったんですよ。もう何年も東京と大阪で別れて暮らし、たとえ月に一度しか会えなくとも、彼女はあなたを本当に好きだった。あなたもご存じのとおり彼女は器用な女じゃありませんでした。人生にわき道なんかないと思っているから、よっぽどのことがないとハンドルを切れないんです。あなたはあなたで自分が一人前になるのを長いあいだ待っていたんだろうと思いますが、彼女もあなたを待っていたんですよ、二十年もね。これは何十万年ものあいだ続いてきた、神話的なまでに古い、そして美しい物語じゃないでしょうか。男は狩りに出る。立派な獲物を手にするまで帰れない。女は待ちつづける。男が何かを持ち帰るのを。あるいは男があきらめるのを。そしてあなたはとうとう帰ってきた。いまだ獲物を手にしてはいないけれど、あなたは休みのたびに彼女を捜すために大阪へ戻り、そしてついに、何かを知っているかもしれない私に会いに来た。一縷の望みをかけて、この四〇四号室の呼び鈴を押した。ある意味、隣人である私のほうがあなたよりもずっと長く彼女のそばにいたわけですからね。一枚の壁を隔ててではありますが。
 いや、それにしても私は嬉しいんです。あなたが来るのをずっと恐れていましたが、それでも嬉しいんですよ。率直に言って私は真っ当な人間ではありませんが、そういう気持ちまで失ってしまったわけではないんです。いや、それどころか私は男と女のそういうセンチメンタルな物語が好きなんですよ。なんて陳腐なんだろうと内心貶しつつそれでも泣けてくるんですから、ほとんど肉体的な感情でしょうね、これは……。

 ああ、あの窓際の猫が気になりますか? このアパートは本来ペットを飼ってはいけないんですがね、実際はみんな色々飼っているらしいですよ。兎やらハムスターやらフェレットやら、やかましく鳴き立てないやつをね。私も含めて孤独な人間は節操がありません。愛の蛇口がゆるんでいるとでも言いましょうか、少しずつであれどこかへ向けて垂れ流す必要があるんですよ。あの子はね、六年前でしたか、まだ子猫のときに拾ったんです。どうやって昇ったのか、すぐそこにある公園の藤棚の上でみいみい鳴いて近所の子供の注目を集めていました。でも誰もあの子のことを笑えませんよ。人生だってなんだって昇るより降りるほうが怖いものです。違いますか? ええ、子供に騒がれながら私も藤棚に昇りましたよ、あの子を助けるために必死になって。ほら、あの目を見てください。左右で色が違うんです。青い目と黄色い目、月と太陽を一個ずつ嵌めこんだみたいでしょう? 白猫に多く現れる特徴で、オッドアイと言うんです。あの不思議な目で切なげに見おろしてくるんですからたまりません。そしてあのきゅっと閉じた口。もし犬が口を利けたらどんな秘密も守れないでしょうが、猫は違います。私が語って聞かせた多くのことをすべて墓場まで持っていきますよ。ああ、あの子の名前はアニエスと言うんです。私は女優のアニエス・リヴィエが好きでしてね、そこからとったんですよ。
 そう言えば、香坂百合子も私が猫を飼っていることを知っていました。私がアニエスをベランダに出したとき、彼女は手すりから少し乗り出すようにして、間仕切り越しにあの子を見たんです。あ、と声を洩らすのがかすかに向こうから聞こえましたよ。あの子の目に気づいたんです。彼女もまたあの子の目の虜になったんですよ。私がはっとして見かえすと、彼女は頬笑みを浮かべていました。絶対に人間の私には向けないような無防備な頬笑みでしたよ。あの人も猫が好きなんだな、と思って私も胸が温かくなりました。言ってみれば、あの子が私と彼女を結びつけたようなものなんです。
 実は、私が最後に彼女を見たのもここのベランダでなんですよ。彼女は見ているこっちが冷やひやするぐらいに手すりから身を乗り出し、この子を抱く私をじっと見て手招きしてきたんです。そして世界が耳をそばだてているのだというふうに小声で話しかけてきました。何と言ったと思いますか? 意外なことを言ったんですよ、彼女は。私にとっては実に意外なことを。まあその話はまたあとでするとしましょうか。言ってしまえば、付け足しのデザートのような話に過ぎませんからね。
 ところで、あの子の目を見ていると、いつもある映画を思い出すんです。『殺し屋、あるいは愛猫家』という題名の古いフランス映画でしてね、平気で人を殺す冷酷な殺し屋が大きな屋敷でたくさんの猫と暮らしているんです。主演を務めたルイ・カリエールがまた猫のような顔をした男なんですよ。いつも何かの隙間から世界を覗き見ているような、そんな目を持った二枚目で……。
 さて、その殺し屋ですが、おかしなことに、仕事をこなすたびにどこかから猫を一匹手に入れてきては、殺した相手の名前をつけて飼うんです。まるで自分が殺した人間はただ死んだわけではなく、すべて猫として生まれ変わったんだというように。誰一人殺してなどおらず、本来あるべき猫の姿に戻してやっただけだというように。でもそのせいで愛しはじめた女刑事に正体がばれてしまいます。そして最後は屋敷を警察に囲まれて、銃で全身を撃たれて死ぬんですがね。
 なんと言っても結末がいい。血塗れになった殺し屋は最後の力を振り絞って、手にかけた者たちの魂を解放するかのように屋敷の扉を開けはなつんです。そして死者の名を受けついだ猫たちがどっと外に溢れ出てくる。息絶えた殺し屋の死体を乗り越えて現れる無数の猫、猫、猫……。フランスじゅうの人間をすべて猫に戻そうと企んでいたかのように、決して途切れない夥しい猫の奔流です。それを掻き分けるようにして殺し屋に近づいてゆく美しいブロンドの女刑事。それがさっき言ったアニエス・リヴィエです。しかもその場面こそが彼女の女優人生のなかでもっとも美しかった瞬間ですよ。そして不思議なことに、リヴィエ演ずるその女刑事の姿がいつのまにか真っ白な猫に変わるんです。誰が見ても、あっ、と思いますよ。ほかの猫はみな屋敷から出てくるというのに、その白猫一匹だけが帆のように大きなしっぽを立て、その流れに逆らって歩いてゆく。またその白猫が格別に美しい。愛されないというだけで死に至るような、そんな美しさです。と言うのも、その猫もまた夜と昼の境に生きつづけるかのように左目が青色で右目は黄金色なんです。そして女刑事だった白猫は、扉のところでむくりと立ちあがった黒猫に近づいてゆく。暗闇に目が付いたような真っ黒な黒猫です。殺し屋もまた猫に生まれ変わったんです。やがて白猫は黒猫のもとにたどり着き、二匹は猫の群れに紛れて取り囲む警官たちのあいだをすり抜けると、パリの街へ出てゆく。いまや猫の楽園と化したパリへ。何度見ても私はその場面で泣いてしまうんですよ。でも本当は実にグロテスクな場面のはずなんです。猫の数だけ人が殺されたわけですから、死体が群れをなしてパリを徘徊していると見なしてもいいぐらいのものです。しかし、ああ、欺瞞というものは美しければ赦されるのでしょうか? わかってはいても、それでも、私の頬を涙が伝います。恐ろしいものです。罪深いものです。物語というやつは……。

 ああ、そうでした。耳もぐりの話でしたね。余談が過ぎました。私が初めて耳もぐりを目撃したのは二十六歳のとき、中原さん、あなたが生まれる以前の話です。昭和四十七年、浅間山荘事件が世間を騒がせた年でしたからよく憶えているんですよ。その当時、私は北大阪市の町工場で旋盤工として働いていました。父親のいない貧しい家、しかも四男でしたからね、姫路の中学を出てすぐ十五のときから働きはじめたんです。ちょうど集団就職の時代でしたが、泣く泣く夜行列車に詰めこまれて東京へ、などというわけではありませんでした。私の場合は、遠い親戚が尼崎でやっていた町工場と母とのあいだにいつのまにか話がついていたんです。うじゃうじゃいる子犬の貰い手がまた一人見つかったとでもいうふうに。結局そこは三年ほどでやめましたが、嫌々ながらでもほうぼうの町工場で十年も旋盤を回していましたから、そこそこの腕だったと思いますよ。
 と言っても、私は旋盤に囓りつく油虫として一生を終えるつもりはありませんでした。いかにも若僧らしく、これといった計画も展望もない痛々しい野心家だったんです。無知と蒙昧に巣くった叶える当てのない野心、母に言わせればこれは遺伝ですよ。父のことはまったく記憶にありませんが、わしはこんなんでは終わらん、というのが口癖だったそうです。実際には、こんなんで終わりましたけどね。父は小さな印刷所で版下職人をしていたんですが、私が生まれてすぐのころ、首のところを大きく腫らせて、瘰癧か、癌か、それともまた別の病気かはわかりませんが、とにかく干物みたいに痩せ細って死んだらしいです。阿呆くさ、阿呆くさ、と何もかもを呪いながら。これもまさに遺伝ですよ。いつのころからか私も知らぬまに同じことを言っていましたからね。阿保くさ、阿呆くさ、と。実際、野心というのは質の悪いものです。私に耳もぐりを教えてくれた男に言われたことがありますよ。お前と話してると、腐った野心のにおいがしてくるぞ、と。どきりとしました。実際、野心というのはいつまでも抱えつづけていると徐々に腐敗してくるものです。死体か何かみたいに。

小田雅久仁
1974年宮城県生まれ。関西大学法学部政治学科卒業。2009年『増大派に告ぐ』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。2013年、受賞後第一作の『本にだって雄と雌があります』で第3回Twitter文学賞国内編第一位。2021年に九年ぶりとなる単行本『残月記』を刊行し、2022年本屋大賞ノミネート、第43回吉川英治文学新人賞と第43回日本SF大賞のW受賞を果たす。

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※この記事の内容は掲載当時のものです

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