狙撃された「國松長官」が語った“警察最大の反省点”…オウム真理教事件で組織はどう変わったか

エッセイ・コラム

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日本の警察(写真はイメージ)

 帚木蓬生著『沙林(さりん) 偽りの王国』は、オウム真理教事件をテーマにした小説である。主人公の医師こそ架空の人物であるが、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等、事件に関する記述は基本的に事実に基づいている。また、教団信者をはじめ多くの関係者も実名で登場する。

 教団、警察、マスメディア等への怒り、あるいは問題意識が詰まったこの作品は、2021年の刊行時に大きな話題を呼んだ。

 その『沙林 偽りの王国』が最近文庫化された。上下巻で計835ページの大作を読み終えた読者は、解説を読もうとして、執筆者の名前を見た際に、ちょっとした驚きを感じたのではないだろうか。

 そこにある名前は、「國松孝次」──言うまでもなく、オウム真理教事件のただ中、警察庁長官を務め、また自身、狙撃事件の被害者ともなった、あの「国松長官」である。

 オウム真理教事件についての小説を解説するには適任という印象もあるだろうが、よく引き受けたなと思われる方もいるかもしれない。
 
 
 実際、解説の依頼を受け、最初は断ったそうだが、著者との「ある縁」から引き受けることにしたのだという。

 元警察庁長官と作家・帚木氏の意外な縁とは何か。オウム真理教事件について今、国松氏は事件について何を思うか。

 解説の全文を以下にご紹介しよう。

(一部、小説の内容に触れている点はご承知ください)

解説 國松孝次

 帚木蓬生さんの『沙林 偽りの王国』は、一連のいわゆる「オウム真理教事件」について、この事件に関与した「医学者」の視点から、詳細に書き著した小説である。

 私は、警察庁長官として、この事件の捜査に携わっていたので、本書が単行本として発刊されたとき、大いに興味を持ち、早速、書店で求めてきて一読している。

 本書が文庫本化されるということになって、私に巻末の「解説」を書けという依頼が編集者から来たのには、いささか面食らい、最初は、お断りした。

 そもそも、私は、文学作品を「解説」するような能力はまったく持ち合わせないし、柄でもない。それに、事件の捜査に携わった者が、その内容について、あれこれものを言うのには、「守秘義務」との関係もあって、結構面倒臭い注意が必要になる。気が進まない話であった。にもかかわらず、結局、引き受けることになってしまったのは、帚木さんとは、「剣道」を通じてまんざら知らぬ仲でもなかったという事情がある。

 帚木さんは、東大剣道部で私の9年後輩に当たる。9年も年次が違えば、一緒に道場で稽古(けいこ)をすることはなかったので、彼の「剣才」については、あまりよく知らないが、彼の「文才」については、今でも記憶に残る想い出がある。
 
 
 東大剣道部は、部の活動を記録しOBとの交流を図るため「赤胴(あかどう)」という機関誌を毎年発刊しており、今も続いているが、帚木さんは、この「赤胴」に、本名の森山成彬(なりあきら)名義で、中国唐代の詩人・張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」と題する有名な漢詩―「月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船」―について「新解釈」を寄稿したことがあった。

 この七言絶句の起句「月落烏啼霜満天」は、「月落ち、烏啼(からすな)きて、霜(しも)天に満つ」と読むのが通説である。それを、森山君は、『いや、そうではない。現地には、「烏啼山(うていさん)」という山があり、この詩は、月が「烏啼山」の山陰に落ちていく情景を詠(うた)ったものである。ここは、「月 烏啼に落ちて」と読むのが正しい』という解釈を示した。

 この解釈は、他にもそう主張する者がいるようであるが、どうやら少数意見である。

 しかし、私には、「月が落ちて、烏が啼いて、霜が天に満ちる」という通説の読み方は、いかにも散文的で感興に欠ける感があり、「月が、峩々(がが)たる烏啼山の山陰に沈んでいって霜が天に満ちてくる」とする森山説のほうが、詩人・張継の旅情を慰めるその場の情景を描く表現としてより相応(ふさわ)しいように思える。「赤胴」誌上で、この森山説に接したときは、彼の該博な勉強ぶりと文才に大いに感心したことを憶えている。

 帚木さんは、東大の文学部仏文科を卒業後、九州大学の医学部に入り直し、医学を修めて医師になった。そして、天性の文才を開花させ、医師と作家を両立させながら、出世作の『閉鎖病棟』など多くの優れた作品を生み出している。
 
 
 私も、剣道にまつわるご縁もあるので、愛読者というほどではないが、彼の作品はかなり多く読んできた。中でも、彼の書いた『聖灰の暗号』という歴史ミステリー小説は、12世紀から13世紀にかけての頃、ローマ・カトリック教会がフランス南部に勢力を張っていた「カタリ派」という善悪二元論にたつキリスト教の一派を異端として大弾圧し虐殺を繰り返して歴史から抹殺したという史実を、周到な取材と豊かな筆力によって見事に描き出しており、帚木さんの最高傑作のひとつであると思っている。
 
 

新潮社
2023年9月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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