性的欲求を満たすことのできるロボットが登場した世界の価値観とは? 『ヒトは生成AIとセックスできるか』試し読み

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 英国キングス・カレッジのデジタル人文学部のケイト・デヴリン助教授の著書『ヒトは生成AIとセックスできるか』(新潮社)が刊行された。

 ChatGPTに恋したらどうなるのか? 性欲を定義してロボットに実装することは可能か? スマートセックストイの利用情報は誰のものか? セックスロボットが広まるとヒトは暴力的になり、レイプが増えるか? セックスとAIについての思考実験の結論とは?

 今回は試し読みとして、本書の中から「はじめに」の一部を公開する。

はじめに ロボットと人工知能が出会うとき

 あなたが本書を手にしたのはさまざまな理由によるでしょう。「セックス」という言葉がひっかかった人もいれば、ロボットや人工知能という言葉の組み合わせが気になった人もいるでしょう。SF小説の定番テーマでもあるその2つの言葉の合流は、今や科学的に現実味を帯びつつあります。表紙でこの本に決めた人もいるかも……? もしくはいたずら気分で、誰かにプレゼントして赤面させるつもりで買った人もいるかもしれません。この本をプレゼントとして受けとった人、おつかれさまです。
 一方、こうしたテーマが果たして本当に科学的な意義を持ちうるでしょうか。疑わしく思う人もいるでしょう。至極まともな疑問ですし、できれば続く10章のなかで、驚きのエピソードや発想、そして科学や最新技術を紹介させていただき、この本で紹介される一見わけのわからない話題には、それ以上のものが潜んでいたのだと示せれば幸いです。
 この数年間、セックスロボットについて報じる記事が次々と新聞や雑誌を賑わせてきましたが、私はそのほとんどに目を通してきました。というよりも、それらの記事のほとんどは私自身か、私の顔見知りの“ロボセクソロジスト仲間”──たった今つくった造語です──によるものでした。こうしたニッチで際どいテクノロジー分野の専門家の代弁者になろうとは、少なくとも2015年くらいまでは考えたこともありませんでした。それでもひとたびセックスとロボットという2つの単語を組み合わせてみると─想定した通りではありますけど─多くの人たちが即座に激しい拒否反応を見せました(とは言え、本書が目指しているのは、ただこの2つの言葉のスキャンダラスな組み合わせで人を驚かせるということではありません。卑猥な言葉を求めて読まれているのだとしたら、ほぼ間違いなく期待外れに終わりますので、ご注意を)。
 本書の題材はセックスに限定するものではありません。ロボットや人工知能という題材に限っているわけでもありません。本書は愛情表現とテクノロジーについての本であり、コンピュータと心理学についての本でもあります。あるいは歴史と考古学、愛と生物学についての本でもあります。近未来と遠未来、SF小説でいうユートピアとディストピアについても語るべきことは多くありますし、孤独と友情、法と倫理、個人と社会について書かれた本でもあります。そしてなによりも、機械が溢れる現代世界における、人間についての本なのです。

 私のセックスロボットの研究は世の多くの名案と同じく、居酒屋での他愛ないおしゃべりから始まりました。ヨーロッパで行われた認知科学とロボット工学に関する学会に参加した時のこと。そこには人工知能の研究者が大勢集まっていました。ふつう、学会が終わった後の打ち上げでの会話は、人間の存在を根本からバラバラに分解して議論するような話になりがちなのですが、その場に哲学者がいるとその傾向はさらに強くなります。そして哲学者の友人を持つ利点を1つだけ挙げるとすれば、それは人間存在に関する根源的な考えを聞けることであり、認知科学関連の学会のいいところを1つだけ挙げるならば、哲学者が大量に参加していることにあります。
 そこで交わされた会話のディテールは、いまやぼんやりと霞んだ陽気なアルコールのもやに覆われてしまいましたが、人が人である根拠や、人が生きていると実感する要因だったりを議論したような記憶が(なんとなく)残っています。学会自体のテーマはテクノロジーに思考を持たせるための方法論、つまり「人工認知」の可能性について、というものでした。それを実現するには(つまり、それまでに遭遇したことのない環境やシチュエーションに置かれたとしても、しっかり対応できる柔軟な機械をつくるためには)、まず私たち人間がどうやってそれを実行しているのかを整理する必要があります。とはいっても人間の認知や反応を真似させて、そのままロボットに適用させたいわけでもありません。それも1つの手なのでしょうが、せっかくのコンピュータ駆動の機械なのですから、もっと効率がよく、もっと最適化された手法があるかもしれません。その手法を検討する前に、私たち人間がどうやってこれらに対応しているのか、その解釈が先決されなくてはいけません。何百万年もの進化を経てきた私たちですが、まだ自分たちのことでわかっていないことが、山ほどあるのです。
 私たち人間は、きれいな家を建てて、そこにセンスのいい家具を置いたり、お洒落なコーディネートで着飾って、髪の毛が乱れていないか気にしたりと、あらゆる洗練を目指していますが、どんなにがんばっても野性の本性を完全に除去することはできません。劇場やワインバーでデートしている間くらいは、自分たちを高尚で都会的だと思いたいだけ思っていただいても構わないのですが、私たちは人とのつながりを求める単純な生きものでもあります。そしてそのつながりとは、恐らく(というよりほぼまちがいなく)裸の物理的な接触をともなう“番(つがい)の儀式”でしかありません。セックスは人間にとって大きな部分を占めているのです。だからこそ私たちは何百万年とその存在を継承し、今ここにいるのです。あの、脳天が沸き立つような快感の興奮には、良識を紙屑みたいに捨てさせてしまう力があるのです。肉体の一部としてしっかりと組み込まれている本質的な力に抗うのは容易ではありません。私たちの思考そして行動は、セックスの影響を強く受けています。私たちの知覚や認知機能も影響されている。その上、セックスは楽しい。
 こうした会話を肴(さかな)にお酒を飲みながら、私たちは答えのない疑問を、そして取り組みたい謎について論議していたのでした。たとえば私たちの世界の捉え方、世界の理解の仕方はセックスに影響されているのか? そしてセックスのもたらす効果を人工の認知システムにも認知させるべきなのか、認知させるべきでないのか? 人間のように振る舞うよう設計されたロボットに、性欲を持たせるべきなのか? 欲望は設計できるのか? 性行為可能なロボットを医療用途に活用すると、どんな役割を担わせることができるのか? 社会はそれを認めるのか?
 その学会で発表されたことのほとんどはもう忘却の彼方ですが、アルコールに浸されたその日の打ち上げの議論は、その後も私の頭に残り続けました。その後、昼間の日差しを浴びて素面に戻ったあとも、その時の疑問は悩ましくも私にとって意味をなし続けたのです。まもなくすると2つの出来事が私の周りで立て続けに起こって、私はこのテーマを自分の研究対象にすると決意したのです。1つはある学生が、人工的なセックス機能を修士論文のテーマに選んだことで、私は喜んで彼女の指導教員を引き受けました。2つ目はちょうどその頃、セックスとロボットをめぐる報道が嵐のごとく取り沙汰されるようになって、規制の機運が高まったこと。これが決め手で、夢中になったのです。

ケイト・デヴリン
ロンドン大学キングス・カレッジ、デジタル人文学部準教授。クイーンズ大学ベルファストで考古学を学んだのち、ブリストル大学でコンピュータ・サイエンスの博士号を取得。専門はコンピュータと人のインタラクションや人工知能。幅広いジャンルのサイエンス・コミュニケーターとして活動している。

新潮社
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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