星野リゾートの“監獄ホテル”となる「旧奈良監獄」にはどんな罪人がいたのか? 重罪犯となった少年たちの声

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日本初の「監獄ホテル」になる旧奈良監獄(撮影・松永洋介)

再来年、日本に初めて「監獄ホテル」が誕生する。

国内で高級ホテルや旅館の数々を経営する星野リゾートが昨年、奈良県にある国の重要文化財・旧奈良監獄を高級ホテルに“リノベーション”する計画を発表した。当初は今年の夏に開業とされたが延期され、2026年春に開業される予定となっている。

1908年に竣工された旧奈良監獄は、1946年から2017年の閉鎖まで奈良少年刑務所として使われてきた。少年刑務所とは、矯正施設である少年院と異なり、強盗・殺人・強姦・薬物違反などの重罪を犯した17~25歳の男性が服役する刑務所だ。

この奈良少年刑務所では、特にコミュニケーションに難のある少年ら10人を対象に「社会性涵養(かんよう)プログラム」という授業が行われていた。講師のうちの一人である作家の寮美千子さんは、「物語の教室」と題した授業で少年らに詩作をさせ、心の内を表現することを教えてきた。

重罪を犯してしまった少年たちが明かした心の内とは、どんなものだったのだろうか――。 少年らの詩の一部をまとめた『名前で呼ばれたこともなかったから 奈良少年刑務所詩集』(寮美千子・編、新潮文庫)に掲載されたうち、3つの詩を引用し、寮さんの解説とあわせて紹介する。

***

「地図」

子どものころ マンガに夢中になる小学生がいても
地図なんかに夢中になる小学生は あまりいないだろう
でも ぼくはマンガよりも 地図が大好きだった
地図には ぼくが暮らす施設が載っていた
地図には 離れて暮らす母の団地が載っていた
地図には 団地の近所の公園やスーパーも載っていた

施設では 先輩のいうことが絶対で ぼくたち年下は毎日殴られた
歯を折られた友だち 顔に火をつけられた友だち 風呂で死にかけた友だち
大切にしていた流行のカードやゲームも
数えきれないほど取られ 売り飛ばされた
まわりの大人は 大事にならない限り助けてくれず なんの役にも立たなかった
そんな施設が 先輩たちの城であり ぼくたちの牢獄だった
苦しくて 無力で どうしようもなくて
こんなところから早く出たくて 毎日だれかが泣いていた

そんなとき 地図を見れば 少し 心が和んだ
数十キロ離れていても 地図を見れば 母と繋がっている気になれた
思い出をたどるように 母と通った道や行った場所を 夢中で探した
みんなが好きなマンガより ぼくは地図が好きだった

ぼくが生きていて 母が生きている時間が 十二年
ぼくが生きていて 母が死んでからの時間も 十二年
ぼくにとって一つの節目なので 母に捧げる詩を書きました

【寮さんの解説】
「刑務所の方が施設よりずっとましです」と彼は語りました。「たいへんやったんやねえ」「同じ実習場なので、支えてあげられたらと思います」教室の仲間から、やさしい声がかかります。刑務所には、さまざまな事情から親と離れ、施設で育った子が少なくありませ
ん。なにかのサポートがあれば、犯罪者になることを防げたかもしれません。

寮美千子
1955(昭和30)年、東京生れ。千葉に育つ。 ‘86年、毎日童話新人賞を受賞し、作家活動に入る。2005(平成17)年、『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞。’06年、奈良に移主し、’07年より’16年まで、奈良少年刑務所で「社会涵養プログラム」の講師を担当。児童文学からノンフィクションまで幅広い著作がある。著書に絵本『エルトゥールル号の遭難』(絵・磯良一)ほか、『空が青いから白をえらんだのです』(編者)、『あふれでたのはやさしさだった』、『なっちゃんの花園』など。

Book Bang編集部
2024年3月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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