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2021/11/22

Aマッソ加納が高校時代の思い出語る 突然退学した憧れの同級生「くーちゃん」との再会

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人気お笑いコンビ・Aマッソの加納愛子さんが綴る、生まれ育った大阪での日々。何にでもなれる気がした無敵の「あの頃」を描くエッセイの、今回のテーマは「あるいは、くーちゃんの思い出に寄せて」です。

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 所属していた高校のバスケ部には、部員同士がコートネームで呼び合うという風習があった。コートネームは文字通り、練習中や試合中にコート上で使用する閉鎖的なニックネームである。先輩はその存在理由を「チームの仲間意識を高めるため」と言っていたが、顧問の先生もほとんど来ない市立の弱小チームが、一丁前にまわりの強豪校で使われているその習慣を真似ていたのも、なかなか滑稽なことだった。強いチームで飛び交うコートネームはカッコ良かったが、うちのコートネームは「そんなんつけてる暇あったら」臭がプンプンしていた。

 部活後のミーティングはやたらと長く、試合中のベンチでも大声で応援させられたが、大会ではいつも二回戦あたりであっさり負けた。マネージャーは4人もいるが、エースはいない。お揃いのジャージはあるが、意見は揃わない。なにかにつけて外側の演出だけがうまい、張りぼてのチームであった。

 一年生は、二週間ほどの体験入部期間が終わり、晴れて正式な入部が決まると、正式な部員の証として三年生の先輩方からそれぞれコートネームをつけていただく。それを新入生は「光栄至極に存じます」といった表情でありがたく頂戴する。もちろん、それが「ん?」というようなものでも、誰も文句は言えない。まだ四月、同級生部員の名前も覚えていない段階で、普段のあだ名、コートネーム、さらに先輩の本名とコートネームを一気に覚えなければならず、私ははじめて名前の波に溺れかけるという春を過ごした。

 しかも、コートネームは必ず漢字一文字でなければならないという我が部ならではのルールがあり、本人のキャラクターと合っていないものが多かった。

「下元祐希(しももとゆうき)」は、苗字の真ん中の読みをとってコートネーム「桃(モモ)」。日焼けした肌に短髪のボーイッシュな見た目の彼女は、中学から同じだった友達には「しもちゃん」と呼ばれていて、甘く、柔らかで可愛らしいピンクの果実のイメージとは程遠かった。「笹井理江(ささいりえ)」は、名前の「り」だけをとって「凛(リン)」と名付けられたが、学校一姿勢が悪かった。さらには相手チームのディフェンスに睨みながら体当たりするような血の気の多い奴だったので、人間性としての「凛」度もゼロであった。彼女の「審判にバレないようにうまく相手のユニフォームを引っ張る方法」を私にレクチャーしている時の目の輝きは尋常ではなかった。

「宮本唯(みやもとゆい)」は、大声で話す粗雑さや駄菓子ばかり食べていそうなその間抜けな雰囲気だけで「安(ヤス)」とつけられた。これにいたってはもうただの悪口である。そこそこのお金持ちの家に生まれた彼女は、部活を引退する三年の秋にも「ほんで、なんでヤスやってん」と改めて口にするぐらい、ずっと自分のコートネームに疑問を覚えていたようだ。

 私はというと、特別足が速いわけではなかったが、比較的持久力があったために「走」とつけられた。漢字は良かった。問題は読み方で、よりによって「ラム」だった。これは事件であった。

「ラ、ラムですか?」私は思わず三年生のキャプテンに聞き返した。キャプテンは真面目な顔で「うん、走と書いてラムな。ソウは二年に爽がおるし、ランやとリンがおるからややこしいから」と言った。

 意味が分かるような分からないような説明だったが、漢字を最初に決めたことだけは伝わった。それにしても、部活中だけとはいえ「ラム」として過ごすには、あまりにも恥ずかしかった。みんなのコートネームは名前の範疇を出ていないのに、私だけラム。アニメに出てくるトラ縞ビキニの女の子? バカ強い酒? 羊肉? どれ? どれにしてもキツい。この先チームメイトから「ラム!」と呼ばれながらパスをもらうことになるのか。ゴールを決めるたびにベンチから「ラム! ナイスシュート!」と声援を送られるのか。考えただけで顔から火が出そうだった。

 けれども、私の心配は杞憂に終わった。「ラム」は呼ぶ側にも恥ずかしい思いをさせる不思議な力があるようで、名付け親である三年生の先輩が引退して一年生が試合に出られるようになってからは、コート上でもクラスメイトと同じく「あいこ」と下の名前で呼ばれるようになった。そのおかげで、求められかけていた「~だっちゃ」と返事するノリも、ジンギスカンの歌を歌うノリも、なんとか部内に蔓延する前に食い止めることができた。

 一つ上の二年生は、三年生と違って冷めた人が多く、「桃」も「凛」も使わず普通に「祐希」「理江」と呼んでいた。活動も徐々に実力に見合った内容に変わっていき、朝練は任意、ミーティングは必要に応じて行い、時間は30分以内、といった快適な環境へと変わっていった。

 他校の男子生徒との恋愛に忙しい新キャプテンは、十二月のミーティングで「十二月二十四日と二十五日、どっちが休みがいい?」という嘘みたいな多数決を取り、女子高生にとって大切なクリスマスと後輩人気をしっかり両立させていた。

 そうやって徐々に影が薄くなっていったコートネーム文化だったが、一人だけ、私のことを「ラムちゃん」と呼び続けた子がいた。

 その子はみんなから「くーちゃん」と呼ばれていた。「沢村久織(さわむらくおり)」でコートネームは「久(クウ)」。めずらしく元々のあだ名とコートネームが一致している子で、「くーちゃん」と呼ばれるにふさわしい、とても可愛らしい見た目をしていた。華奢な腕にすべすべの肌、サラサラな髪に、くりくりの目。そして甘えるようなゆっくりとした話し方。バスケ部とは思えない透明感の持ち主で、私も含めみんなくーちゃんを構いたがった。お昼ごはんには豆腐そうめんやヨーグルトのような軽いものばかり食べていたので、「もっと食べなあかんで」「力でえへんで」と、口々におせっかいを焼いた。くーちゃんの体はとても細くて、体格のいい相手にはぶつかってすぐ吹っ飛ばされていたので、レギュラーになることはなかった。けれどランニングはチームで一番速く、トレーニングで校舎の外周を走る時は、私はくーちゃんの背中を追いかけながら走った。気づけばいつも、くーちゃんを見ていた。

 ある時、私が買ったスニーカーがたまたまくーちゃんと被ったことがあった。ルコックの白いハイカットで、内側に緑と赤の鶏のロゴマークが描いてあった。廊下ですれ違った時、私の足元を見て、「あ~ラムちゃんと鳥の靴かぶった~」と言って、くちびるを尖らせた。その顔があまりにもかわいくて、私は大人になってからもハイカットの靴を履くたびにくーちゃんの表情を思い出した。

 高校二年の夏、くーちゃんは突然いなくなった。

 本当に突然だった。体調が良くないからと何日か続けて学校を休んだ後、くーちゃんと同じクラスの子から「どうやら学校を辞めたらしい」と聞かされた。誰に聞いても、どこへ行ったのか、なぜ辞めたのか、知っている子はいなかった。

 みんな心のどこかで「自分が原因ということはないよな?」と考えていた。部員の間でも「何か前兆はなかったか」を話し合ったが、なんの意味もなかった。部活内で常に中心にいて、アイドルのような存在だったくーちゃんを失った事実を、どう受け入れたらいいのかわからなかった。

 私は、ルコックのハイカットを履かなくなった。秋になって、どこからの情報なのか、どうやらくーちゃんは家庭環境のストレスから摂食障害になっていたと聞いた。食べては吐き、食べては吐きを繰り返す。そして短期間に暴食をしてしまうターンに入ると、急激に太る。多感な年齢の女の子にとって、大きな見た目の変化が他人の目に晒されることが耐えられなかったのだろう。私が憧れたその可愛さは、本人が消えたことで記憶の中で守られた。

 一つ上の先輩が引退して、理江がキャプテンになった。大学生になったかつての三年生が訪れた際、「くーの代が仕切るようになったか~早いなあ」と言った。くーちゃんがいなくなっても、やはり私たちは「くーちゃんの学年」だった。

 私はランニングで一番先頭になったが、見えないくーちゃんの背中をずっと追いかけていった。

 大学三年のとき、くーちゃんと連絡がついた。私はすぐに会いに行き、喫茶店でいろんな話をした。当時は家に居場所がなかったこと、高校をやめて一人で北海道に向かったこと、旅館で住み込みで働いていたこと、現地でできた友達と大泉洋の評価について喧嘩になったこと、今は大阪で語学の専門学校に行っていること。

 四年ぶりに会ったくーちゃんは、時間の流れを感じさせないほど、変わらず可愛かった。話している間、私はくーちゃんのまつ毛を見ていた。そうだ、高校のときも、こうしてくーちゃんのまつ毛を見ていたな、と思った。くーちゃんは楽しそうに笑って「ラムは、全然変わらんよなぁ」と言った。私は「くーも変わらんで」と言った。

 私たちはコートの上のままで、「ちゃん」だけ脱いで、少しだけ大人になっていた。

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加納愛子(かのう・あいこ)
1989年大阪府生まれ。2010年に幼馴染の村上愛とお笑いコンビ「Aマッソ」を結成。ネタ作りを担当している。2020年デビューエッセイ集『イルカも泳ぐわい。』(筑摩書房)が話題に。文芸誌で短編小説を発表するなど、いま最も注目を集める書き手の一人でもある。

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