ワダエミの創造力の最深部には

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ワダエミの創造力の最深部には

[レビュアー] 長薗安浩

 黒澤明監督の映画『乱』を思い出すと、私の眼前にはまず、登場人物たちの衣装の色が鮮やかに浮かんでくる。主人公の一文字秀虎の白と金、三人の息子(太郎、次郎、三郎)たちの黄、赤、青はどれも目映く、それぞれの色がそれぞれのキャラクターを象徴しながら絡みあい、シェークスピアの『リア王』を翻案した時代劇に強烈な印象を残した。

 それがワダエミの仕事と知ったのは、『乱』の衣装デザインがアカデミー賞最優秀衣装デザイン賞に輝いたときだった。もう二十七年も前のことだが、その後もワダは、映画、演劇、オペラ、ミュージカル、バレエから宗教行事まで、国内外で活躍をつづけている。

 いったいなぜ、ワダの仕事は世界で認められるのか? この素朴な疑問を抱えてワダの現場を取材し、インタビューを重ねた千葉望はこう書いている。

〈私は、脚本の背景まで読み解く力がワダの特徴だと思っている。衣装デザインという仕事柄、どうしてもデザイン力に目が行ってしまいがちだが、実はデザイン画を描く前の土台作りに創造の秘密が隠されているのだ〉

 ワダの確かな読解力を支える土台は、読書だ。子どもの頃から本を読むのが大好きだった彼女は、今も純文学から時代小説、ミステリー、エッセイと分野を問わずに読み、工房がある北京に長期滞在するときには、大きなトランクいっぱいに本を詰めこんで行くらしい。仕事に際しては徹底した時代考証にもあたり、関連する図書は、海外から取り寄せても目を通す。

 しかしワダは、いざデザインの作業に入ると、調べあげた時代背景には囚われない。あくまでも登場人物たちの個性や感情を的確に表現し、物語全体のコンセプトまでも浮き上がらせるべく思索し、そして飛躍する。脚本の背後にある情報や知見を理解した上で、ワダエミを通過しなければ生まれてこないデザインを追求する。

〈役者が肉体によって表現することを、私は衣装で表現していくのです〉

 肉体表現と伍する衣装デザイン。それを生み出す飛躍力を、では、ワダはどこで身につけたのか。これもまた、千葉が指摘した「デザイン画を描く前の土台」であり、ワダの「創造の秘密」に違いない。そして、その秘密の最深部には、ワダの幼い頃の記憶があるのではと、巻頭にある彼女の文章を読んで私は思う。

〈私の祖父母や両親はとてもお洒落な人たちでした。今のように何でも既製服が買える時代ではなかったため、彼らは自分たちで考え、お気に入りの職人とやりとりを重ねながら、納得のいく衣服を手に入れねばなりませんでした。私も洋服や着物を誂えるときには彼らと同じように、自分が魅力的に見え、しかも他にはないスタイルを見つけるために知恵を絞りました。さまざまな本や雑誌を読み、映画や舞台を見、京都の街を歩く人々の姿を眺め、その上で誰の真似でもない自分らしい表現を追い求めたのです〉

 昭和十二年に京都の裕福な一族に生まれ、闊達な祖父母や両親の下、幼くして絵画を習い、音楽や本、輸入雑誌に囲まれて育ったワダエミ。彼女は、京都で過ごしたその幸福な時代に身につけた美意識へのこだわり、正確にいえば、当時の記憶の中にある芳醇な美を媒介にして、自分にしかできないデザインを生みだしているのではないだろうか。

 知識は努力すれば身につくだろう。技術も研鑽を積めば、より高みに近づける。しかし、いまさら子どもの頃の記憶を改竄しても、骨身にしみついた審美観はどうしようもない。その一点だけ勘違いせずに読めば、この本は、己の仕事ぶりを見直すいいテキストになる。たとえ自分の記憶にある美が貧弱でも、それを大切に仕事に活かすヒントは、贅沢なほどちりばめてある。

 すべては飛躍のために。

新潮社 芸術新潮
2013年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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