『毒親の棄て方』
- 著者
- スーザン・フォワード [著]/羽田 詩津子 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784105069612
- 発売日
- 2015/10/30
- 価格
- 1,650円(税込)
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「ママを棄てるわけにはいかない」のか?
[レビュアー] 香山リカ(精神科医、立教大学教授)
毒親。
見なれない単語だが、はじめて目にしても、ピンと来る人にはピンと来る。子どもへの本来の愛情が持てず、支配したり否定したり放置したりして、その人生をめちゃめちゃにする親のことだ。
本書の著者、セラピストのスーザン・フォワードのベストセラー『毒になる親 一生苦しむ子供』(講談社+α文庫)を携え、私のクリニックに来る人にこれまで何人もお会いした。そして、そのほとんどは女性つまり「娘」で、その「毒親」にあたるのは「母親」だった。もちろん父親が毒親という場合も息子が母親との関係に悩む場合もあるだろうが、いずれもあるところで見切りをつけてそのそばから離れて行けるのではないだろうか。ところがこと「娘と母親」に限っては、いくら「この母は毒親だ」と気づいたとしても娘たちはなかなかそのもとを去れないのである。
そんな娘たちに文字通り、「毒親の棄て方」を説いたのが本書である。
興味深いのは、著者が徹底的に娘サイドに立ち、「あなたは悪くない」と励まし、「自己愛が強い」「過剰に介入する」「支配する」「世話を要求する」「明らかな虐待をする」といった五つのタイプの「毒(母)親」たちの姿をこれでもか、というほどリアルに描いていることだ。また、心理の専門家なら「なぜ毒(母)親たちは娘の人生を台無しにするのか」とその心の深層を探りがちなのだが、著者スーザン・フォワードは“加害者側の心理”をほとんど分析しようとはせず、「娘を救え」という姿勢を貫く。それも本書の特徴だ。
では毒(母)親を持つと、その娘はどうなるのか。「コントロールばかりする母親」の章に印象的な一節がある。
「コントロールする母親は脅しやからかいや批判によって娘をずたずたにし、娘の尊厳と自尊心ばかりか意志までも奪ってしまう。」
その結果、娘は「自分が望んでいるものを知り、それを求めること」ができない人間になっていく。そして、そこから無理やり逃れようして、アルコール、食べもの、セックスなど「自滅的な行動」に走って束の間の自由を味わった気になる娘もいる、と記される。こうして単に「うっとうしい」「面倒くさい」ではすまされない深刻な影響が、生涯にわたって続くのである。
本書の後半は、娘たちへの具体的な“リハビリ・マニュアル”となっている。このリハビリには二通りの意味があり、ひとつは「毒(母)親との訣別の仕方」でもうひとつは「適切な感情と意思の取り戻し方」だ。中でも、「1.敬意を持って扱われる権利がある」「2.他人の問題やひどい行動の責任を負わない権利がある」と十項目が並ぶ「大人の娘の権利章典」は圧巻で、「そうだ、私はこう生きていいのだ!」と多くの娘たちを励ますのではないだろうか。ほかにも「境界の設定」「自己防衛的にならないコミュニケーション」など、母親とだけではなくその他の人間関係でも有用なアドバイスが数多く紹介されている。
今さらだが、著者はアメリカで活躍するセラピストであり、本書で紹介されるケースは“アメリカの娘たち”である。驚くべきことに個人主義のかの国でもこれだけ多くの女性が、「ママを悪く思っちゃいけない」と自分に言い聞かせ、その支配やわがままに耐え、自分の人生を棒にふって生きているのだ。まして「親孝行はすばらしい」「母の愛は海より深い」などと言われる日本では、より多くの娘たちが「あなたは私なしでは何もできない」「あなたが何もかもやってくれるでしょ」と束縛され依存され、生きていることは言うまでもないだろう。
とくに、母親の年齢が上がりケアや介護が必要になって来ると、やさしい日本の娘たちはますます「ママを棄てるわけにはいかない」といっそう熱心に奉仕する、いやさせられることになる。著者は未亡人になった母親、病気になった母親に対してもきちんと手を差しのべつつも、また支配される関係に戻ることなく、娘が「大人の女性」であり続けることは可能だ、と言う。それもまた娘たちにとっては福音だ。