庶民が語り継いだ歴史の厚み。壮大で魅力的な傑作の誕生!

レビュー

4
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蘇我の娘の古事記

『蘇我の娘の古事記』

著者
周防 柳 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413015
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

庶民が語り継いだ歴史の厚み。壮大で魅力的な傑作の誕生!

[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)

 ジンム・スイゼイ・アンネイ・イトク・コウショウ・コウアン・コウレイ……
 幼い頃、父が語ってくれた呪文のような言葉は、後に歴代天皇の名前だと知った。戦前の教育を受けた子どもたちは百代くらいまで皆、覚えていたそうだ。今上天皇まで一二五代続く系譜は、諸説はあるにしても、日本の歴史の軸となっていることは間違いない。これは世界に誇るべきことだと思う。
 日本の古代史に歴然と輝く二つの史書。それが日本書紀と古事記である。ただこの二つの書物には大きな差がある。
 日本書紀は天武天皇の御世に編まれたと伝えられる。奈良時代に成立した日本に伝存する最古の正史で神代から持統天皇まで記された官製の史書だ。
 古事記は神代から推古天皇の御世までが記されているが「ふることぶみ」とも言われるように歴史だけでなく神話や伝説、歌謡なども収録され、現代では文学的な評価もされている。いわば庶民が語り継いだ歴史。ここに伝えられる神々は、いまでも各地に残る神社のご祭神として身近な存在である。
『蘇我の娘の古事記』は皇極四年(六四五)六月十二日の政変から始まる。中大兄皇子、中臣鎌足が蘇我入鹿を誅殺したクーデター、乙巳の変である。歴史の授業では「大化の改新」と教わったが、この事件により蘇我氏宗家はほぼ滅亡した。
 この時代から遡ること百年前、多くの百済人が渡来し、国造りのための官人としてこの国に暮らしていた。特殊技能を持つ渡来人を蘇我氏はうまく使い、閨閥戦略を張り巡らしながら大躍進を重ねていた。
 その力を良く思わぬ中大兄や鎌足たちに蘇我氏が滅ぼされても、彼ら渡来人の能力は必要とされていた。
 船恵尺の姓は「史」。文書の作成、異国語の翻訳、議事の記録、徴税事務など文筆を必要とする仕事全般に携わる一族の長である。恵尺の子どもの頃、蘇我馬子の発案により倭国の来歴を記す『大王記』の編纂が始まり、能筆である父の龍が指名され、後に恵尺も作業に加わり、史書を作るために諸豪族の由緒由来、おのおのが奉斎している神々のいわれなどを収集していた。
 恵尺は乙巳の変で討たれた蘇我蝦夷、入鹿の親子とも昵懇にしていたが、鎌足の計略に引きずられるように加担した。
 だがその折、資料を安全な場所へ移すと同時に、一人の赤子の命を助け、実子として育てる決意をする。娘の名はコダマ。蘇我入鹿の子である。
 コダマは兄のヤマドリと共にすくすくと成長する。だが何の因果か、コダマの目は徐々に見えなくなり、四年後には盲目となってしまった。だがコダマには一度聞いたことは二度と忘れないという特殊な力が宿っていた。恵尺が集めた膨大な資料を読み聞かせれば立ちどころに覚え、慰みにやってくる語り部たちの物語も、コダマの頭の中で大きな物語の一部として形作られていった。
 しかし入鹿の娘が生きていることは、次第に漏れて恵尺も隠しきれなくなる。事実が明かされたとき、コダマを女として愛し始めていたヤマドリは命を懸けて彼女を守り、めでたく娶ることとなった。
 子を成し、幸せな家庭を築いていたヤマドリとコダマ。だが世は再び戦乱となる。天智と名を改めた中大兄は、弟の大海人皇子を疎んじ、息子の大友皇子を世継ぎにしようと企てるが、大海人の宣戦布告により、戦が始まってしまう。官吏である船氏と一族は否応なく、この戦いに巻き込まれていく。
 正史は勝者の歴史である。支配者の都合の悪い部分は削ぎ落とされ、強く美しい部分のみが語られていく。だが、その足元に散っていった敗者や民たちの姿が顧みられることはない。
 だが彼らの歴史も記憶され、語り続けられることによって残る。時には神さまの姿を借り、時には面白おかしい歌となり、ときには子どもを躾ける童話となって。
 倭国、のちの日本に文字があってよかったと思う。誰かが書きとめ、集めたものがやがて一冊の本になった。古事記はそうやって出来上がった。そこには市井の人々の毎日の営みがいきいきと描かれている。千年以上後の私たちが読んでも変わることはない。
 ここ数年、古代から飛鳥、奈良時代の小説が熱を帯びてきた。本書に登場する天智や天武、女帝である持統などを取り上げた小説も目立っている。今に続く日本という国の土台が出来上がった時代だけに、スケールの大きな物語を期待してしまう。
 周防柳はその期待に見事に応えてくれた。以前平安の六歌仙を描いた『逢坂の六人』も、魅力的な小説だったが、本作はさらに重厚な作品となった。デビュー作『八月の青い蝶』から三年。目の離せない作家がまたひとり現れた。

角川春樹事務所 ランティエ
2017年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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