北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

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北村薫×宮部みゆき 対談「そこに光を当てるために」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

アンソロジー編者の目線から

北村 今、宮部さんが編んでいるアンソロジーに掲載予定の小説、私も読みましたよ。

宮部 ありがとうございます。今回はミステリーではなく、清張作品の根幹をなす父へのこだわりと、自分ではどうすることもできない出自への理不尽さをテーマに据えたアンソロジーにしょうと思っています。北村さんの印象に残った作品はありましたか。

北村 感嘆したのは、「月」です。

宮部 歴史地理学の研究に打ち込む伊豆という老学者の話ですね。素晴らしい作品ですよね。

北村 私は未読だったのですが、初出は?

宮部 昭和四十二年六月発行の「別冊文藝春秋」です。私も今回初めて読んだのですが、思わずぎょっとしてしまう哀しいお話ですよね。

北村 ラストシーンで読者を突き放す感じは、ハードボイルドですよね。また、伊豆の教え子で、仕事の手伝いをしている綾子が書く「月」という漢字の字体に冒頭で触れていますが、それが最後に響いているのは見事です。また、それぞれの人間の動き方と心理の描き方が素晴らしい。

宮部 ただ、あまりにも伊豆が可哀想すぎる……。ちなみにアンソロジーの巻頭には、この作品をおこうと思っています。

北村 「絵はがきの少女」もよかった。憧れというか、抽象に近い女性への思慕が描かれています。こういう思いは、清張作品中に時々、出て来ますね。

宮部 一枚の絵はがきに映っているおかっぱの少女の人生を、その絵はがきを少年時代から大切に持っていた新聞記者が辿るわけですが、手に入らないものへの想いに溢れていますよね。それにしても、アンソロジーを編んで改めて、未読作品が多いことに気づきましたし、内容を忘れているものも、たくさんありました。

北村 忘れるのは当然です。しかし再読して、初めて読んだ時のことがまざまざと甦ってくる。最近では、「空白の意匠」がそうでした。四十年ぐらい前に読んだ時の宙吊りにされたような不安感をまた味わいました。

宮部 『宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション』に収録させていただいた作品ですが、新聞社の広告部の部長が主人公で、新聞紙面に広出が入らなくて空白になったらどうしょうという恐怖が克明に描かれていますよね。実際はサラリーマン社会をよく知らない私でも「ひゃ、ひゃあ」と叫びたくなるような作品でした。

北村 「遠くからの声」も素晴らしい作品ですよね。

宮部 姉の夫を好きになってしまった妹の、切ない想いが描かれた恋愛小説です。これも女性に優しい作品です。

北村 清張先生がデビュー時にお世話になった木々高太郎氏の短編に「永遠の女囚」という作品がありますが、「遠くからの声」には「永遠の女囚」へのリスペクトを感じますね。

 ちょっとした素材を小説化するのもお上手です。「式場の微笑」は見事でした。成人式の着物の着付けにおける、裏事情と言うか、ちょっとススンだ女の子のお話が素材で、聞けば、「そうなんだ」という程度のものなのに、人生の皮肉にしてしまう力量はすごい。

宮部 実際、私も着付けのお仕事をしている人から聞いたことがあるエピソードでした。

北村 アンソロジーを編集していると色々な発見が我々にもありますよね。今、二人で岡本綺堂のアンソロジーにも取り組んでいるわけですが、だから発見できたこともありました。岡本綺堂の半七捕物帳に「津の国屋」という傑作があるのですが、清張先生も「津ノ国屋」という短編があったんですよね。実に驚きました。

宮部 私は北村さんに指摘されるまで気がつきませんでした。

北村 私もたまたまですよ。これも全集未収録ですね。

宮部 私が時代小説を書くときに使っている江戸の資料にも「津ノ国屋」という屋号は見えないので、まったくの偶然で同じタイトルにしたとは思えません。

北村 清張先生は綺堂がお好きだったから、絶対に読んでいたはずです。もちろんストーリーは違いますが、嫁が男を作ったといわれて、家を出されるという中心にある軸が同じなんです。

宮部 そう、そこが共通点なんですが、これもまた指摘されるまで気づかなかった宮部です。

北村 今、この作品が私たち二人の中でちょっとしたブームですね。ラストに近くなるにつれ、霧の中に入っていくような独得の味わいもある。

宮部 「津の国屋」と「津ノ国屋」を読み比べる楽しみ(笑)。この二作、「半七」の方が怪死が続く物騒な事件もので、清張さんの方は事件抜きの普通小説だというところが、また面白いんです。ところで、事件抜きで思い出したんですが、私がとても好きな清張作品にも、あるんですよ。長編ミステリーでは珍しいと思うんです。『天才画の女』(新潮文庫)という作品で、派手な事件はないんですが、謎が面白いんです。彗星の如く画壇に登場した新人女流画家の作風に疑問を持った画商が、彼女の絵のルーツを探り回るうちに…‥というお話です。多くの美術評論家に絶賛される天才画家なんですが、何かうさんくさいぞ、という。

北村 清張先生の絵画に関する趣味がよく出ていて面白いですね。特に評論家嫌いなところとか。

宮部 作中に美術評論家による評論というのが出てきますが、ものすごく難解なんです。『砂の器』でも、「ヌーボー・グループ」に所属する関川重雄という若手評論家が難解な評論を振りかざす。もちろん清張さんの創作ですが、今西刑事が関川の評論を読んで「わからない」と投げ出すシーンがあって、作者の評論家嫌いの現れ、なのかもしれませんね。

偉大なる魔法使い

宮部 それにしても尋常な仕事量ではないですね。特に、一九五九年あたりは、清張さんは二人いたのではないかと疑ってしまいます。私の高校の先輩の半藤一利さんは、文藝春秋にお勤めのころには清張さんを担当しておられました。何度か当時のお話を伺ったことがあるんですが、清張さんはホントに凄かったそうです。もちろん、そのお仕事についていく担当編集者も全力で伴走するわけですよね。実際、フィクション作家とノンフィクション作家と学者さんも合わせて、三人分ぐらいのエネルギーでしょう。

北村 つくづく驚異です。

宮部 清張さん専用の情報機関があるという伝説も生まれたほどでした。これだけの大きな仕事をなさった方があれだけの短編を書いていて、しかもそのレベルが平均してとても高いというのは、本当に真似出来ません。

北村 偉大という言葉がこれほど当てはまる方はいないというか、信じられないような存在ですよね。

宮部 敢えて推理作家と申しますが、もうこんな推理作家は二度と出てこないだろうと思います。

北村 『点と線』と『砂の器』しか読んでいない人はぜひ他の長編短編もたくさん読んで欲しいですね。

宮部 作品数がたくさんありますからね、どこから読んでいいか分からなくなるかもしれないけれども。

北村 しかし、読む本に迷ったら、清張先生の作品を選べばまず間違いはない。

宮部 そうですね。北村さんが以前仰っていましたが、痛くない病気でしばらく入院して本ばかり読んでいるというのもひとつの幸せかも知れない。そういう時には、清張さんの作品ですよね。

北村 昔、『蒼い描点』という長編を読んだ時の記憶ですが、これは文芸出版社の新人女性編集者が主人公なんだけど、百頁くらい読んでも何にも起こらないんですよ。それでも面白いんですよ。これには驚きました。それから、形が整っているというわけではないけれども、『Dの複合』にもびっくりしました。旅、歴史、謎、民俗学が合わさった伝奇ミステリーで、読んでいると一体どうやって話を収拾するのかとこちらが頭をかかえてしまうわけですが、きちんと話をまとめるんですよね。魔法を見ているようでした。

宮部 私が驚いたのは「火の記憶」という短編(新潮文庫「或る「小倉日記」伝』収録)です。主人公が幼少期に見た九州の燃えさかる炭鉱・ボタ山に関する描写があるのですが、私の義兄の両親が筑豊出身で炭鉱にもいたことがあるので、どういう様子だったか聞いてみたら、まさにここに出てくるボ夕山、だったんです。幼児期の記憶を素材にした傑作ですね。ちなみに、北村さんのベスト短編は何でしょうか?

北村 「遭難」(新潮文庫『黒い画集』収録)、「二冊の同じ本」(双葉文庫『失綜』収録)、「紙碑」(双葉文庫「途上』収録)、「上申書」、「家紋」、「月」、「空白の意匠」などです。「上申書」は、まさに清張先生らしい作品ですね。実に巧くて、実に怖ろしい。短編は他にも傑作揃いですね。

宮部 長編だったら?

北村 何といっても、『昭和史発掘』、女性読者にはまず『波の塔』、それから『わるいやつら』『けものみち』というピカレスクものにも清張先生ならではの力を感じます。宮部さんはいかがですか。

宮部 うーん、迷っちゃうな。私は時代小説も好きなんですよ。選べないなあ(笑)。でも、あらためて考えてみると、折に触れて読み返しているのは、やっぱり『砂の器』ですね。特に自分が新聞連載をしているときは、ホントにしばしば再読してます。好きな場面だけ読み返すことまで入れたら、数え切れないくらいです。

北村 ではやはり、私も読み返してみないと。初読の時のイメージとはかなり異なりますものね。『点と線』は二回目に読んだ時に、「なるほど、この作品があの時、発表されたのには大変深い意味があったのだ」と思いました。中学生の時にはミステリー的な細かな所に目がいってしまったので、そこまで見えなかった。

宮部 ぜひぜひに(ぺこり)。

新潮社 小説新潮
2009年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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