『私たちが姉妹だったころ』
- 著者
- Fowler, Karen Joy /矢倉, 尚子, 1951-
- 出版社
- 白水社
- ISBN
- 9784560095324
- 価格
- 3,300円(税込)
書籍情報:openBD
双子の姉が消え、兄は出奔 崩壊してゆく家族の真実は
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
カフカの奇妙な短編『ある学会報告』には、幾通りもの解釈がある。努力と学習の末に人間になった猿が、自らの経験を話すという内容だ。猿はエンターテイナーの道を選んだ。さて、この話は本当に、「猿が話して人間の学者たちが聴く」という構図なのだろうか? 実は、猿のふりをした人間が人間に話しているのではないか? いや、猿のふりをした人間が、人間に化けた猿の聴衆に話しているのではないか? いやいや、
じつはどちらも猿なのではないか?
『私たちが姉妹だったころ』はある家族の物語だ。語り手の女性ローズマリーには、年の離れた兄と、双子の姉ファーンがおり、幸せな幼年時代を過ごしていた。ところが、彼女が五歳のときに、姉が突然いなくなってしまう。それから七年後、今度は高校生の兄が出奔する。物語は、姉がいなくなってから十七年、兄の失踪から十年を経た時点から、淡々と語られていく。父は酒に溺れ、母は精神の均衡を崩して引きこもる。
本の四分の一を過ぎたあたりで、読者は驚くべき事実を知らされる。これを伏せたまま本書の紹介をするのは難しいが、双子のファーンとロージーは心理学者の父によって、ある実験の被験者となっていたのだ。実際、この子育て法は一九三〇年代に考案されたもので、実践者が多く現れたという。そして、痛ましい結果を迎えた家族も少なくないとか。
ファーンが消えてから、ロージーは幼稚園に入るが、溶け込めない。母からは、「まっすぐ立つ」「絶対に絶対に人を噛んではいけない」などときつく戒められるが……。
「科学も一種の宗教」なのか?ということをこの小説は問うている。信じる者を救いもするが、信じない者にとっては狂気に映ることもあるのではないか。本書の読者には、トマス・ネーゲルの『コウモリであるとはどのようなことか』や、クッツェーの『動物のいのち』などもお勧め。