若き日本人ターンテーブリストが、世界的な成功を収めるまでにやってきたこと

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BREAK!「今」を突き破る仕事論

『BREAK!「今」を突き破る仕事論』

著者
川内イオ [著]
出版社
双葉社
ISBN
9784575312362
発売日
2017/03/18
価格
1,540円(税込)

若き日本人ターンテーブリストが、世界的な成功を収めるまでにやってきたこと

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

BREAK!「今」を突き破る仕事論』(川内イオ著、双葉社)は、ビジネス系ニュースアプリ『News Picks』の連載「世界王者の風景」を加筆修正したもの。「絶対王者」と呼ばれたプロボクサーから、シルク・ドゥ・ソレイユと契約して世界をめぐるBMXのプロライダーまで、さまざまなシーンで活躍する10人が取材対象となっています。

取材を通して僕がなによりも驚いたのは、彼らが歩んできた道のりだった。(中略)どんなジャンルであれ、世界王者といえば天賦の才に恵まれた別世界の住人というイメージがないだろうか。僕も、そう思っていた。しかし、10人の世界王者は身体能力が突出しているわけでも、英才教育を受けたわけでも、裕福だったわけでもない。世界に挑む前の時点では、人生に悩み惑う、どこにでもいるような「普通の人」だったのだ。
(「はじめに」より)

つまり本書では、そんな普通の人たちが、どのようにして世界一の座に上り詰めていったのか、その真相に迫っているわけです。きょうはChapter I「どん底から這い上がる」のPart 2に登場する、DJ Shintaroに焦点を当ててみたいと思います。

1年にわたり、1日8時間スクラッチの練習

DJ Shintaro(以下シンタロウ)は、2013年に世界最大のDJコンペティションとして知られる「レッドブル・スリースタイル(Red Bull Thre3style)を、史上最年少かつ史上唯一のアジア人として制したDJ。

秋田に生まれ育つも、「ちょっとグレちゃって」高校を1学期で中退。そんな時期に、友人から借りたアメリカの人気DJ、A-TrakのDVDに感化されてDJを開始したそうです。とはいえ、それは暇つぶしのひとつ。18歳のときに上京したのも、高校卒業後に上京するという彼女を追いかけたにすぎなかったのだといいます。

東京に出てきて、すぐに通い始めたのがスクラッチのスクールだった。スクラッチとは、回転しているレコードを反対側に動かすプレーで、安易なイメージだが、DJがヘッドホンを片耳にあてながらレコードをキュッキュッとこする、あの動作を指す。(38ページより)

ところが、アルバイトをしながらスクラッチを学ぶという生活のリズムができはじめたころ彼女にふられ、そこからスクラッチ漬けの生活がはじまったというのです。

「東京に出てきた目的が彼女だったし、友達もいないから、やることがスクラッチしかなくなって、1年ぐらい、1日8時間は練習していましたね。渋谷にバイトしに来て、帰ったらメシも食わずにずっと練習して、気づいたら朝みたいな。最初のころは腱鞘炎になって。電車に乗るときもフェーダー(DJ用ミキサーの音量を調整するつまみ)をカチカチやっていて、ホント病気(笑)。なにかに一番はまった時期だったかもしれない」(40ページより)

人がやりたがらないことをやる

スクラッチを究めるDJは「ターンテーブリスト」と呼ばれ、巧みにレコードを操って客を魅了する。一方、一般的なクラブのDJはラップトップやターンテーブルで音楽をかけながら、いかに客を踊らせるかが腕の見せどころで、選曲や構成が評価の対象になる。シンタロウが20歳だった2008年後ごろ、ターンテーブリストとクラブDJはまったくの別物で、同じ土俵に立つことはまれだった。(41ページより)

「そのころ、メインストリームでスクラッチする人がいなかったから、あるクラブの人が面白いと思ってくれて、『これからうちで週末にやらない?』と声をかけてくれたんです。それで、月イチぐらいで何回かプレーしたら店の従業員やオーナーさんにも気に入られて、箱DJ(クラブ専属DJ)になりました」(42ページより)

かくしてDJなら誰もが憧れるポジションをものにすることになったのですが、数カ月後にそのクラブは経営が行き詰まり閉店。とはいえ、すでに知名度も高まっていたため、都内最大級の規模と集客力を持つ渋谷のクラブ「Camelot」から声がかかったのだといいます。

週末には3000人もの客が詰めかけるトップクラスのクラブだけに、DJは人気のある大物揃い。そのため20歳で経験も浅いシンタロウは、週末のレギュラーではなく、平日のイベントからのスタートとなったのだそうです。ある意味では当然のことですが、週末のプレー時間を獲得しなければ意味がないと感じていた彼は、そんな状況を打破したかったようです。具体的には、人がやらないことも率先してやり、下地をつくっていったというのです。

DJとしてのし上がるために何をしたら良いのかを考え、意外なアイデアを実行に移した。DJブースの周りを丹念に掃除し、床を磨き、機材が壊れたら率先して修理に走った。イベントで使う照明のプログラムも組んだ。プライドを捨てて、とにかく、周囲の役に立ちそうなことは何でもやったのだ。

「ヒップホップフロアに俺がいないと困る、俺がいないと仕事が回らない、何か起きたとき、シンタロウに聞かないとわからないという状況にしたかったんです」(45ページより)

その結果、先輩DJやスタッフから重宝されるようになり、数カ月も経つとヒップホップフロアに不可欠な存在に。次第に週末のいい時間にも出演できるようになっていき、1年後にはフロアのヘッドDJに昇格。2年後には、Camelotで一番の高給取りになっていたのだといいます。

世界的コンペティションへの参加

このような経緯を経て、押しも押されぬトップクラスのDJとなったシンタロウは、22歳だった2011年に「レッドブル・フリースタイル」日本大会に初出場しました。残念ながら2度にわたり負けてしまうものの、3度目の出場となった2013年に初優勝。世界大会への切符を手にすることになります。

日本大会からわずか3カ月後にトロントで開催される「レッドブル・フリースタイル」ワールドファイナルは、世界最大、最高峰のコンペティション。予選でドイツのDJに敗退するも、ワイルドカード(追加の特別参加枠)を獲得し、決勝戦への参加を実現したのです。

「(前略)前日から練習していてその日はほとんど寝ていなかったし、ワイルドカードをもらってテンションがぶち上がっていたし、日本人として初めて決勝に進んだということもあって、とにかく気持ち良くなって、最終的には、『もう勝ち負けじゃない、みんなを楽しませて終わろう』と思っていました」(51ページより)

かくして、彼は「レッドブル・フリースタイル」出場4回目にして、初めて開催国以外のDJとして頂点に立ったわけです。その結果、ギャラは高騰し、生活水準も劇的に上がり、サポートチームがついて、活動の幅が広がったのだとか。環境がそのように急変すると、踏ん反り返ってしまっても不思議はありませんが、シンタロウは正反対の方向に変化したのだといいいます。かつての「怖そう」というイメージがなくなり、物腰から険が取れ、すっかり丸くなったというのです。

1年間にわたり1日8時間もスクラッチを練習したり、下積み時代に雑用を積極的にこなしたり、決勝の舞台で勝ち負けではなく「みんなを楽しませて終わろう」と考えたことなどが、結果的には人間的な成長にもつながっていったということなのでしょう。

シンタロウがそうであったように、世界王者になるためのノウハウや秘訣が存在するわけではありません。ここに登場する10人はそれぞれのやり方で、成功をつかみ取っているわけです。しかし、そこには「ほぼ直感的に現在の競技、仕事をはじめている」という共通点があるのだと著者はいいます。

その競技、仕事をはじめたら儲かるのか、世間からどう見られるか、そもそも自分に向いているのかなどを理性的、論理的に考えるのではなく、ただ対象にのめり込んできたということ。コスパも効率も無視してその道を突き進んだからこそ圧倒的な熱量が生まれ、「世界」という高く、分厚く、揺るぎない壁を崩したというのです。

時間が経つのを忘れるほど熱中し、周囲を気にせず没頭する。そんな姿勢の重要性は、どんな仕事に対しても当てはまるはず。だからこそ本書は、著者の言葉にもあるように、これからの働き方、生き方について考えるきっかけになることでしょう。

(印南敦史)

メディアジーン lifehacker
2017年4月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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