『劇場』
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又吉直樹 恋愛がわからないからこそ、書きたかった〈『劇場』刊行記念インタビュー〉
表現の場を求めてあがく主人公を書くことで
『劇場』の主人公はずっと表現の場を求めていて、自分の表現を突き詰めたいという欲求と、もっとお客さんを呼びたい、注目を浴びる大きな舞台でやりたい、という両方の意識が強いんです。でも、その場が与えられなくて、そのためにはもっと考えたり、作品の強度を上げたりしないといけないから、本人の責任も僕はあると思うんですけど、そうやってあがいている主人公を自分が書いていくわけです。
そういう主人公の状況に対して、僕自身はムチャクチャいい劇場を用意されていて、みんなが「二作目書けるのか」と気にしてくれている状況で、何をびびってんねんって(笑)。そもそも芸人になるのを決めたのも、小説書くって決めたのも自分で、表現の場を求めていたはずの人間が、おびえている場合じゃないな、と。だから書き進めていく途中で、小説自体が僕を鼓舞してくれた瞬間が何度もありました。
自信をもって仕上げたものを人前で発表できるのは、そもそも喜びで、もちろん恐怖も伴うから初舞台はすごい怖かったし、そういうものなんですけど、発表の場が与えられて、打席に立てることがどれだけ恵まれているのか僕自身よくわかっているんで。それこそ、10代や20代の頃の自分が厳しい状況に抗って、やめなかったおかげで今、僕の番が来ているから、それをちゃんと背負ったうえで作品にしないといけないな、という思いはすごいありましたね。
何度も書き直すなか、最後に生まれた場面
一旦書き上げた後、時間をかけて推敲をして仕上げていきたい、というのは最初からお伝えしていました。そのほうが間違いなくよくなるだろうと思ったのと、お笑いでネタをつくるときも、何回も直すなかで新しい発見があって、そこから広がっていくことがあるのを経験していたので、小説でもやってみたいなと思ったんです。実際に直していくなかで大きく発展して膨らんでいったところもあったし、逆に削ったところもありましたが、それはもう絶対やってよかったなと思います。
この場面はもっと詳しく書き込もうという直しの段階で、考え込むことはあまりなかったかもしれません。その時点で小説のなかで書いていることと同じくらい、書いていないことも、もうすでに作品の世界のなかにはあったので、どこを出してどこを引っ込めるかを考えればよかったんだな、というのは今回、推敲を重ねるうちにわかったことでした。
印象深い場面はどこか、と聞かれると、思い入れがあるところはいっぱいあるんで、どこかな。「あそこがよかった」と言ってもらう場面が人によって違ったりして、全部うれしいんですけど(笑)。最後の最後に書き足した、永田が演劇をやっていくうえで、自分は「こんな瞬間に立ち会うために生きているのかもしれない」と感じる高円寺の駅前の場面があって、そことかは好きですね。
あそこがあることで、永田のことをすこしだけ好きになれるというか。終始、おまえ何してんねん、と言いたくなるような男なんですけど、ああ、こういう一面があるんやったら、わからんでもないなって。小説の精度や強度として、どのくらい読者に伝わっているのかはわからないですけど、自分としては好きですね。