直木賞・芥川賞ダブルノミネートで最注目の新鋭が挑む、超王道冒険エンタメ! <刊行記念インタビュー>宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』

インタビュー

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あとは野となれ大和撫子

『あとは野となれ大和撫子』

著者
宮内, 悠介, 1979-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041033791
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

<刊行記念インタビュー>宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』

中央アジアの小国で、大統領が暗殺され、閣僚は揃って逃亡。国家存亡の危機に、立ち上がったのはなんと、後宮の乙女たち――直木賞・芥川賞ダブルノミネートの新鋭が挑んだのは、いまだかってないスケールのガールズ冒険小説でした。

絶望と希望が
ひとつになった土地から、
物語は立ち上がる

1

――中央アジアのアラル海が塩の沙漠と化した土地にできた国家、アラルスタン。ここで大統領が暗殺され政府の男たちは逃亡、日本人のナツキをはじめ後宮に残った若い女子たちが急きょ国家を運営することに……と、幕開けから怒濤の展開の『あとは野となれ大和撫子』。非常に楽しめるエンタメでした。発想はいつ頃からあったのですか。

宮内 きっかけはいくつかあるのですが、ひとつは22歳の頃です。その頃世界を旅していて、パキスタンからアフガニスタンに入る際に少しでも情報をと、国境付近で昔の『ロンリープラネット』の中央アジア版を入手したんです。アフガニスタンの記述はごくわずかで、行くべきシーズンの欄には「Don’t Go」とありましたが(笑)。そこにアラル海のことが詳しく載っていまして、強く惹かれました。というのも中央アジアはもともと騎馬民族が席捲したところにイスラムが台頭し、ロシア帝国に攻め込まれて併合されたと思いきや、突然革命で共産化する。そして、スターリン時代に本格的に大規模灌漑が始まり、実質的に海を――実際には湖ですが――ひとつ無くしてしまった。アラル海はもともとは南北の両方から川が流れ込んでいたのですが、途中の農地で使われた枯葉剤や殺虫剤、ソビエト時代の生物兵器工場の汚染物質が湖で濃縮され、干上がったことで舞い上がって周辺住民の健康被害につながっている。気候も変わってしまいました。20世紀最大の環境破壊と呼ばれるような、非常に象徴的な場所なのです。ただ、ダムで南北を分断し、北側では湖を取り戻そうという動きがある。いわば絶望と希望がひとつになったような場所なのです。それで、いつか必ず行ってみたいと思っていましたが、今回、書くにあたって取材という形で足を踏み入れることができました。

 きっかけのふたつ目は、SF評論や小説を書かれている忍澤勉さんが、ある時Twitterで「あとは野となれ大和撫子」とつぶやかれていまして、「それ素晴らしいフレーズなのでタイトルで使わせてもらえませんか」とお願いしたら、快諾してくださったんです。ですからこの小説は、音楽で言うなら詞でもなく曲でもなく、タイトルから先に生まれたものです(笑)。

 もうひとつ、最後のきっかけがあります。実は、ある時見た夢がベースになっていまして。まさにこの小説の冒頭と同じですが、中央アジアのどこかの国で内紛が起きて、根性のない男たちが逃げ出してしまったので、後宮に残された女性たちが仕方なく立ち上がって国を運営するという。かくして、題名とアラル海と夢がつながったという次第なのでした。

――つぶやきと夢というのが、驚愕のきっかけですね(笑)。執筆前の企画書を拝見しましたが、各章の見出しが「セットアップ」「国家やろうぜ!」「先が思いやられる」「文化祭やるの?」等々(笑)。文化祭というのは、預言者生誕祭で女性たちが周辺国の外務官僚の前で芝居をやることを指していますよね。状況はシリアスだけれどもとても軽快で明るい物語になっていますが、コミカルな要素を入れるのは念頭にあったのですか。

宮内 構造としては「廃れた商店街をイベントで甦らせよう」モノを極端に大きくして国家バージョンにしたようなものです(笑)。映画「ブルース・ブラザース」のように馬鹿馬鹿しくも面白いものができればいいと思っていました。あの映画は大好きなのですが、あれも音楽興行で一点突破しようという話ですから。

――それにしてもアラルスタンという国家について、相当綿密に作り上げていますよね。周辺国家から虐げられた民族が多く流入しているから言語が多様であるとか、発がん率が高いから平均寿命が49歳とか、識字率が45%とか……。

宮内 ある種、人が住めないところを住めるようにするという点で、一種のテラフォーミング的な話でもあります。SFとしては、歴史改変の要素も。現地に行ったことで変更した点もあります。いろんな言語がありますが、ウズベク語とロシア語を交ぜた方が商売がやりやすいだろうとか。中央アジアの風土にも助けられました。世俗的で、イスラム教の人でも客人をもてなす際にウォッカを出したりするのです。女性たちもどんどん外に出て商売をしていたりしました。伝統的な立場からすれば「なんだこれは」という光景かもしれません。ですから物語上、女性が政権を握るということも、柔軟な風土のおかげでやりやすくなったように思います。

現実(リアル)を背負い、
そして乗り越えてゆく
キャラクターたち

――主人公は5歳の頃紛争で親を亡くし、後宮で育った20歳の日本人、明るく素直な性格のナツキです。大統領の権限を得た28歳のアイシャ、一匹狼のジャミラ、歌のうまいジーラや中東から逃れてきたまだ6歳のカリルといった個性的な女性たちが登場します。日本人を登場させたのはタイトルがあったからですか(笑)。

宮内 大和撫子とあるのに日本人が出てこなかったら詐欺ですよね(笑)。今回は、個々のキャラクターが自分の中でいまも息づいている感覚があります。ナツキはイノセントな人物で、大人になってしまった我々が間違いがちな何かを間違えない。そういう人物がリアルポリティクスの世界に放り込まれたら、どう物事に対していくのか。先頭で旗を振るアイシャは、私が夢を託した人物です。理念があっても強硬ではなく、既存の枠組みを大事にしながら、現実の中で立ち上がる力を持っている。ジャミラはいちばん人間的かもしれません。心のままに生きられなかったという、個人としての悩みを抱えている。

――みんな家族を失うなど辛い過去を持っている。かなり凄惨な実際の出来事にも言及していますね。

宮内 作中では2005年にウズベキスタンで起きたアンディジャン事件というものにも触れました。イラク戦争の時にウズベキスタンは米軍の対テロ戦に協力したんです。それにイスラムの保守派が反対して非暴力のデモを行ったんですが、そのデモが広場に追い込まれてまるまる虐殺された事件があって。そこで父親を喪った女性も登場します。今でも現地ではタブーになっていて、広場や関係する刑務所に行ってみたいと尋ねてもなかなか場所がわからない。

――さて、男性陣はいかがでしょう。調子がいいけれど謎めいた吟遊詩人のイーゴリ、反政府組織であるアラルスタン・イスラム運動の幹部のナジャフ、国軍大佐のアフマドフら、みんないい味を出しています。

宮内 今回、男性陣はどちらかというと狂言回しです。ただ、ナジャフに関しては、穏健なイスラム原理主義について書きたいと思いました。私たちはつい、イスラムというとすべてが過激派とは思わないまでも、穏健なイスラムとイスラム原理主義に二分して考えてしまいがちです。でも原理主義にも過激なものと穏健なものがある。穏健な原理主義の美しさや純粋さみたいなものを、ナジャフには体現してもらいたいと思いました。イーゴリは単に私の趣味を投影したものです(笑)。私は彼を“一人ドストエフスキー”と呼んでいまして。ドストエフスキーのような喋り方をする、トリックスター的な存在です。「お嬢がた、ああ、気立てのいいお嬢がた――」などと、彼の台詞を書いている時はノリノリでした(笑)。

――章と章の間に挟まれる、内紛に巻き込まれた日本人旅行者の青年のブログも面白かったです。

宮内 外部の視点があったほうがいいと思いまして。ナツキは日本人ですが、内部に入ってしまっているので、外部の旅行者的な視点を入れて、中央アジアって何、というところから始まるものがあったほうがわかりやすいだろうと。遊び心を入れてみたかった、というのもあります。

――中央アジアがいかにソ連に蹂躙されてきたのかという歴史背景もわかりやすく描かれるので、楽しみながら勉強にもなりました。

宮内 ティムール・ダダバエフという中央アジア専門の方が日本語で書かれた『記憶の中のソ連――中央アジアの人々の生きた社会主義時代』という本にも同様の証言があったのですが、中央アジアで街ゆく人をつかまえて「どの時代がよかった?」と訊くと「ブレジネフの時代」だと返ってきたりしました。中央アジアではキルギスは民主主義の島と言われる場所で、比較的民主化がはやく進んでいますが、その他は独裁や半独裁に近いです。足を運んでみてわかったのは、資本主義から共産化するのは革命さえあればできますが、共産社会の民主化というのは難しい。ことによると、半独裁を維持しながらソフトランディングを目指すしかないのかもしれません。たとえばカザフスタンも投票率90%台で選ばれた大統領で、見ようによっては独裁ですが、今はむしろ彼が高齢であるのが心配であったりします。ウズベキスタンも事情は近いです。

ど真ん中のエンタメ
そして、新たな代表作

――アラルスタンは架空の国ですが、中央アジアに興味が湧きました。
それはこの小説が深刻な現実を取り入れながらも軽やかで楽しい雰囲気をまとっているからですよね。

宮内 私はシリアスなものを書くと思われがちですが、どれも笑い飛ばしてもらいたい気持ちがあったりもするのです。こんなことを大真面目に書いてるよ、といったように。ですが今回の場合は、とにかくまっすぐのエンターテインメントというものを意識して書きました。

――宮内さんは芥川賞の候補にも直木賞の候補にもなったことがありますが、やはりそれぞれ意識して書き分けているのですか。

宮内 もちろん媒体によって左右される側面はあります。読者層についても考えますし。ですが基本的には書きたい物語に、作風を合わせています。純文学については悩ましいところで、私はデビュー作が谷崎潤一郎の模倣だったのですけれど、『文學界』にページをいただいてそれをやるわけにもいかず、途方にくれたあげく、素直に何のてらいもなくありのままに書くしかないと思って書いたものが芥川賞の候補になったのでした。

――さて、『あとは野となれ大和撫子』の話に戻りますが、どのようなエンディングを目指して書き進めていったのでしょうか。ナツキもまた意外な行動を選択しますね。

宮内 崩壊した国で女性たちが立ち上がって頑張るという、一面では深刻な話ではあるのですけれど、軸となるのは彼女らの歌劇で、それはまた夢のひとときのようなものでもある。ですから、夢から覚めるでもなく、夢を否定するでもなく、夢を夢で終わらせるでもなく、夢と現実を止揚するような結末を見据えていました。
 私にしては珍しく、最初から最後まで面白おかしく書き通せた、そしてはじめての長編らしい長編になった気がしています。あとは読者の方がどう受け止めてくださるかですが、自分としては新たな代表作になればいいなという思いでいます。

宮内悠介(みやうち・ゆうすけ)
1979年東京生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒業。 2010年「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞してデビュー。12年、同名の作品集で第33回日本SF大賞を受賞、直木賞にノミネートされる。続く第二作品集『ヨハネスブルグの天使たち』も直木賞候補になり。14年には同作品で第34回日本SF大賞特別賞を受賞した。17年『カブールの園』が芥川賞にノミネート。『彼女がエスパーだったころ』が吉川英治文学新人賞を受賞。今、最も期待が集まる若手作家である。

取材・文|瀧井朝世 撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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