【ニューエンタメ書評】宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』、佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』ほか

レビュー

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  • あとは野となれ大和撫子
  • かがみの孤城
  • スウィングしなけりゃ意味がない
  • 彼女の色に届くまで
  • おもちゃ絵芳藤

書籍情報:版元ドットコム

ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

読書にぴったりの、雨の季節です。
今年の上半期は傑作揃い。
ぜひお気に入りの一冊を見つけてください。

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 いやあ、この春はすごい!
 短期間のうちに年間ベスト級の作品がどかどか出ているのだ。こんなに一時期に集中することも珍しい。
 このコーナーでは、三ヶ月に一度回ってくる私の当番のときは何かテーマを設けて、それに沿った作品を紹介するようにしているのだが、ちょっとそれは後回しにする。とりあえず今年上半期はこれだけは読んどけ、という激押しの三冊から始めよう。
 まず宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA)だ。中央アジアの沙漠の国アラルスタンで政変が起き、政府の男たちが逃げ出してしまう。後に残された若い女性たちで国家運営を行うことになり、その奮闘ぶりを描いた物語だ。アラルスタンは架空の国だが、国のシステムや環境、歴史、風俗などが細部まで作り込まれており、リアリティたっぷり。そのリアルの上に、オンナノコたちの国家運営という斜め上の事態を乗せていく。
 ユーモラスな会話に、まるで学園ものを読んでいるかのような若いエネルギー。派手なくらいのエンタメ要素とテンポのいい展開に一気に引き込まれる。とにかく爆裂的に面白く、ぐいぐい引っ張られる。だが、ここに書かれているのは、近隣諸国の思惑や大国の論理に翻弄され、内紛や環境問題を抱えた、内憂外患の小国の姿なのである。理想は大事だけれど、理想だけではやっていけない。けれど理想を諦めたくはない。そんな女性たちの姿こそ「理想」だ。
 なぜタイトルが大和撫子かというと、主人公のナツキが日本人の両親から生まれた少女だから。だがダジャレのように見えるこのタイトルに、読み終わったときにはきっと膝を打つにちがいない。
 続いて辻村深月『かがみの孤城』(ポプラ社)。クラスの人間関係が原因で学校に行けなくなってしまった中学一年生の安西こころ。ある日こころは、突然光り始めた部屋の鏡を通り抜け、奇妙なお城のような場所に出てしまう。そこにはこころと同じような境遇にいる少年少女が七人集められていた。狼の面をつけた不思議な少女が、七人にあるミッションを与えるのだが……。
 物語の設定はファンタジックだが、こころが不登校になったきっかけや、他の子どもたちの事情は胸が痛むほどの現実だ。その上で、この七人が現実社会である約束をしたあたりから物語は急展開。なぜ集められたのがこの七人だったのか、その〈真相〉がわかったときの驚きと感動! しばらく本を手に持ったまま呆然としてしまったほどだ。
 詳細には書けないが、もしも辛い状態にある子どもがいたら、それを助けるのは大人の役目なのだという思いを新たにした。子どもから大人まで、すべての人に勧めたい。それぞれの年代で感じるものがあるはずだ。
 三冊目は佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(KADOKAWA)。ナチス政権下のドイツで、敵性音楽のジャズに熱中する若者たちの物語だ。
 主人公は軍需会社社長の御曹司。ジャズ愛が高じて英国風の愛称エディを名乗るほどだ。体制には反発するがことさら反戦を唱えるわけでもない、いわゆるノンポリである。エディとその仲間たち──八分の一がユダヤ人のピアニストや、ヒトラー・ユーゲントのスパイ、国防軍の英雄の息子など──はジャズの魅力にとりつかれ、音楽に浸る。好きな音楽を好きなように聴きたいだけなのだ。
 だが時勢に合わない享楽的な生き方は、やがて摘発を受ける。そこで目にしたことを機に、ただの音楽好きのやんちゃな青年が徐々に反ナチへと変わっていく。
 国を愛するということは、どういうことなのか。自国を愛するということは他国の音楽すら否定するということなのか? そもそも国とは何だ。国土か、人か、文化か、それとも体制か。エディは、今の世に暮らすすべての人に鋭く問いかけてくる。
 ところで本書には各章ごとにモチーフとなるジャズのナンバーが設定されているので、ぜひ聴いてみてほしい。作中人物が愛した音楽を聴きながらの読書というのは、世界を何倍にも広げてくれる気がする。
 ということで、今更だがここから先は「芸術・芸能」を扱った小説を紹介していこう。
 実在の絵をモチーフにした美術ミステリが、似鳥鶏『彼女の色に届くまで』(KADOKAWA)だ。画家志望の高校生・緑川礼は、ある日学校に展示されていた絵画の損壊事件の犯人と疑われる。名推理で礼をその窮地から救ってくれたのは、同学年の美少女、千坂桜。桜は推理力だけではなく、絵の才能もずば抜けていた。物語は礼と桜が芸大を経て社会人となるまでの長いスパンを連作で追っている。
 各編に登場する事件と絵画のリンクなどミステリ的な趣向はもちろんだが、画家を目指していた主人公の前に本物の才能が現れたことによる懊悩と諦観が最大の読みどころだ。どう努力しても、本物の天才とはそもそも次元が違うことを何度も突きつけられる。しかも礼はその人を愛してしまうわけで……。その葛藤を、派手に足掻くという形ではなく淡々と描写するのがいい。
 本物の才能を常に身近に見てきた礼は、画家になるという夢を捨てるのか、それとも諦めないのか。彼の選択が本書の白眉。この結末には励まされる人も多いのでは。
 絵がテーマの作品をもうひとつ。谷津矢車『おもちゃ絵芳藤』(文藝春秋)は幕末から明治初頭にかけての浮世絵師・歌川芳藤を描いた物語だ。
 なかなか芽の出ない芳藤のところに来る注文は、若手が最初にやるような玩具絵ばかり。美人絵や武者絵などの人気の仕事は回ってこない。そんな折、明治になって浮世絵自体が徐々に廃れていく。周囲は時代に合わせて変わっていくが、芳藤はどうしても変わることができない。そのずれと悲しみ。名も残せないし、残せるチャンスも断った。仕方ないから玩具絵を丁寧に描き続けた──それがいつしか、玩具絵の第一人者となっていた、というのがとてもいいのだ。
 たとえば小説にも重厚な文芸作品から大衆向けエンタメ作品まであるように、音楽にもクラシックからアイドルソングまであるように、「芸術」として評価されることのないサブジャンルに誇りと技を賭けるプロがいて、それを待っている人がいる。その事実に強く強く頷いた。創作に携わるものにとって、なんという励ましだろう。これは、『彼女の色に届くまで』の主人公の選択とは異なるけれど、その言わんとするところには通じるものがあるようにも感じた。
 音楽からは福田和代『薫風のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート3』(光文社)を。航空自衛隊の音楽隊を舞台にしたシリーズ三作目だ。シリーズ開始当初はコージーミステリだったが、今回ミステリっぽいのは取材に来た漫画家がストーカーに遭う「ルージュの伝言」くらいで、他はほぼラブコメ。ついにあの人が告白して、さあどうなる? といったシリーズ読者にはたまらない胸ドキ展開である。
 ハードな業界サスペンスがお家芸の福田和代には異質のシリーズと言っていい。だが注目してほしいのは、作中で何度か強調される「日常生活だ」「これが私たちの日常」という言葉だ。自衛隊の音楽隊が、音楽のために音楽を演奏できる、そんな日常であることの大事さ。あの福田和代が敢えて有事を描かず、本来自衛隊にいては困る「ドジっ娘」を主人公に据えてコミカルに描く意味はここにある。
 日本の伝統芸能からは落語モノを。山口雅也『落語魅捨理全集 坊主の愉しみ』(講談社)は著者五年ぶりの新刊にして、初の時代小説であり、初の落語ミステリである。
 これは楽しい! 古典落語をベースに、サゲのその先、あるいはそこに至るまでの間に、ひねりの効いたミステリ的趣向を入れてくる。「猫の皿」はサゲの続きを作って、そこに「時そば」を入れる。「そば清」には密室から猫が消えたというエピソードを挟む。これがサゲへの伏線になっていて、落語を知っている人には猫が消えた理由がわかるあたりも芸が細かい。
 こうしてみると、もともとの落語がすでにミステリの特徴──伏線があり意外な真相(サゲ)があり──を持っていることがわかる。その特徴をうまく使いながら複数の作品を組み合わせてひとつの物語にするとは、職人技だ。
 芸術ともいえる工芸を手がける職人が殺人事件に巻き込まれた──というミステリが鏑木蓮『茶碗継ぎの恋 編集者 風見菜緒の推理』(ハルキ文庫)である。といっても、江戸文政期の茶碗継ぎ職人が残した茶碗と手記を、現代の小説家が読み解き編集者が推理するという趣向。
 割れた茶碗を金継ぎするという職人の描写もさることながら、暗号まで仕込まれた手記を巡り過去と現代が重なっていく構成が読ませる。本格ミステリにして社会派のテーマを込め、旅情ミステリの趣向まで取り入れるという盛りだくさんな構成でありながら、それを過剰に重くせず読みやすくコンパクトにまとめた手腕は見事。主人公のシングルマザーの編集者が抱える家庭の問題も気になるし、これはシリーズ化を期待したい。
 なお、茶碗継ぎは大阪・堺の古道具店を舞台にした蓮見恭子『シマイチ古道具商 春夏冬人情ものがたり』(新潮文庫nex)でもモチーフとして使われている。こちらは人の手を経た古道具が持つドラマを家族の物語に重ねて描いたものだ。併せて読むと興味深い。
 本書では、茶碗のような日用品から江戸時代の絵画、そして最終的には街並みまでを、「伝統」として並べてみせる。美術も音楽も芸能も、そして小説も、伝えたいという思いを起こさせるものこそが「芸術」なのかもしれない。

角川春樹事務所 ランティエ
2017年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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