我らが失った昭和の芸能がここにもあった
[レビュアー] 都築響一(編集者)
歌舞伎や能狂言を光の芸とするならば、見世物は闇の芸だった。かつて祭りの夜を彩ったおどろおどろしい見世物小屋の情景を覚えている読者は多いだろう。しかし日本中の祭りがPTAのバザーみたいになりかかっている現在、見世物小屋が立つ祭りはほんの数カ所しかないし、そもそも見世物の興行社が一社しか残っていない。
そういう、我らが失ってしまった見世物芸の代表格に「人間ポンプ」があった。碁石に金魚、蛇、電球……果てはガソリンまで飲んでは、口からぴゅーっと戻しながら火を噴いたり。
人間ポンプと言えば安田里美の名が浮かぶ。安田さんについては詳細な伝記やドキュメンタリー映画も発表されているが、こちら文庫と新書の中間ぐらいの本『人間ポンプ』は、園部志郎というもうひとり昭和の見世物世界を駆け抜けた――というか飲み込んできた人間ポンプ芸人に捧げられた、おそらく唯一の評伝。著者の筏丸けいこさんは詩人が本業で、発行元のフラミンゴ社も個人出版社のようだ。
浅草の路上で筏丸さんは園部志郎とその芸に出会い、以来8年間にわたってインタビューを続けてきた。最初は興味本位だったのが、次第に「間違えば死ぬかもしれないという恐怖をかかえて芸をやる人の、孤独をも浮き彫りにする」作業へと変わっていった。その積み重ねがこうして小さな本に結実したわけだが、それは筏丸さん自身が詩を書くだけでなく、舞台に出てポエトリー・リーディングを積極的に行うという創作スタイルにこだわるのと、無縁ではないだろう。
園部志郎は大正12年に生まれ、平成7年に亡くなっているが、それは奇しくももうひとりの人間ポンプ・安田里美とまったく同じ生年・享年だった。そうして日本を代表したふたりの人間ポンプ芸人は、生涯いちども会うことがなかったという。我らが失った昭和の芸能が、ここにもあった。