笑いながら読める〈現代の福音書〉 稲垣えみ子(元朝日新聞記者)

レビュー

7
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無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法

『無銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』

著者
マーク・ボイル [著]/吉田奈緒子 [訳]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784314011501
発売日
2017/08/29
価格
2,160円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

笑いながら読める〈現代の福音書〉

[レビュアー] 稲垣えみ子(元朝日新聞記者)

 四〇代の頃、お金の計算ばかりしていた。密かに「会社を辞める」ことを考え始めたからだ。

 会社に不満があったわけじゃない。でも人生は一度きり。ああこのまま定年まで勤め続けることだけが人生なのだろうか? もっとこう、なんというか、自由に、何事にも縛られず、ただ好きなことをして生きるということができないものであろうか?

 で、そのためにはまずはお金が必要なのであった。

 言うまでもなく会社を辞めるとは給料がもらえなくなるということだ。何はともあれお金を貯めて、少なくとも年金が出るまでの間を食いつながねばならない。

 だが程なくして気づいた。今の生活を維持しようと思ったらいくらあっても足りないのである。だからもしそうならそもそも辞めてはいけないのだ。つまりは私は何がしたいんだっけ? 「好きなことをして生きたい」って、その好きなことって一体何なんだっけ? 

 浮かんできたのは以下のようなことであった。

 リッチな旅行がしたい。オシャレを十分楽しみたい。優雅なレストランで食事をしたい……いやいやそれ全部、お金がなきゃ無理だよ? 会社を辞めるってことはそういうことを全部諦めるってことだよ? それでいいの?

 ここまで考えて、私はようやく気づいたのであった。

 私の自由を奪っていたのは会社ではなかったのだ。

 それは「お金」であった。正確に言うならば、お金がなければ幸せになれない、何にもできないと考えている自分自身であった。そんなことにも気づかぬほどに、お金とは私の存在そのものと化していたのだ。まさに神のごとき存在である。

 で、そんな神に向かって「あなたはただの紙切れですよね?」と言い切ってしまうのが、『無銭経済宣言』の著者マーク・ボイル氏である。

 大学で経済学を学び、だが社会に出て貨幣経済に疑問を抱き、お金を一切使わずに暮らしてみようと思い立つ。その体験を綴ったマークの前作『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は、お金に対する価値観を変えねばと悪戦苦闘していた当時の私にとって、まさに恰好の参考書であった。

 だが全面的に賛同できたわけではない。そもそも表紙からして、上半身裸のマークが屋外でブリキ缶のようなもので調理する写真である。お金を使わず生きるって……げ、原始人になるってこと? そしてそれは当たらずとも遠からじなのであった。不用品交換で入手したトレーラーハウスに住み、手作りストーブで調理し、歯磨き粉や石鹸などの生活用品は植物や廃品から手作り。寒さと格闘し空腹にも襲われる。イヤやっぱりお金は必要なんじゃ……。だがマークはその格闘のいちいちをやたらと楽しそうに綴るのだ。

 そして私が最も衝撃を受けたのは、ようやく目標の一年間を生き延びたのに、彼はなんと自主延長して計三年近くカネなし生活を続けたという事実であった。

 な、な、なんで? 恐らく、やったものにしかわからない「何か」があるのだ。でもそれが何なのかどうにもわからなかった。そのわからなさが強く印象に残った。

 そして本書はその回答である。カネなし生活がなぜ素晴らしいのか。カネは何をもたらし何を奪ったのか。カネは本当に幸せをもたらすのか。マークは経済学の知識と自らの体験をベースに、カネなしの実践を重ねた先人の言葉を引き、分かりやすく、ユーモアたっぷりに、これでもかと説明(というより説得)を重ねていく。

 で、今の私はその一つ一つに「そうそう」と膝を打っているのです。私も変わったのだ。カネなしではないが、原発事故をきっかけに始めた超節電生活が止まらなくなった。マーク同様「なくてはならない」と信じ込んでいたものを手放す格闘がいちいち楽しかったからである。ついに目標だった五〇歳での退社も成し遂げた。

 でもその楽しさを人に説明するのはとても難しい。何しろ「神」の否定である(電気もまあ神のようなものだ)。それは多くの現代人にとって、綺麗事であり、道徳の押し付けであり、忍耐の強要であり、楽しみの否定なのだ。

 でも本当にそうなのか。人生の楽しみとはそもそもなんだろう。お金でものを買う代わりに自分で工夫することはそれそのものが素晴らしい体験なのに、そんな時間があるなら嫌な仕事も我慢して(つまりは時間を灰色に塗り替えて)金を稼ごうと考えるのが現代人だ。何か変じゃないだろうか?

 そしてカネは人を分断する。多くの人は、お金さえあれば周囲を頼りにしなくてもやっていけると考える。必要があれば何でも買えるのだから近所づきあいなど煩わしいだけだと。その結果、人々は近所の顔見知りの代わりに自分ではコントロールできない大企業や国家に依存するようになった。つまりは無力になったのである。

 でもまあそんな理屈は抜きにしよう。なにしろ序文でアメリカの思想家、チャールズ・アイゼンスタインはこう告白している。初めてマークと話す前、人より優れた人間だと考えているイヤな奴なのではと身構えたと。私も気をつけねばならない。決してそんなつもりじゃないのだ。おそらくはマークも私も、自分が経験したこと、つまりは思い込みを捨てただけで人生に思わぬ展望が開けたことが面白すぎて、伝えずにはいられないだけなのである。

 なので、前半の「理論編」は軽くながめる程度にしておいて、まずは後半の「実践編」を笑いながら読むことをお勧めする。一切お金を使わずして、それなりの家に住み、食べ物と水を手に入れ、熱い風呂に入り、素敵な髪型に整え、病気にも負けず、子供に最高の教育を受けさせる。誰もが「できっこない」と思っていることが、時には目をむくような方法も含め、実のところなんだってできてしまうことがこれでもかと列挙してある。実際には絶対にやることはないと思うけれど、たとえばイラクサを育て繊維を取り出し織り機を手作りして服を作る自分の姿を「ないない!」と想像しながら読んでいると、心の底からワケのわからない笑いがこみ上げてくる。

 そうなんだ。人生はなんでもありである。誰だって自分の力で自分の人生を選ぶことができる。そう思うだけで心が驚くほど軽くなる。本書は説教でもなんでもない。現代の福音書なのである。

紀伊國屋書店 scripta
2017年秋号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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