『味覚極楽』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
【文庫双六】子母澤寛が記者時代に聞き書きしたグルメ談義――川本三郎
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
勝新太郎の当り役、座頭市の生みの親は時代小説作家、子母澤寛。
といっても物語が書かれたのではなく、随筆集『ふところ手帖』(中央公論社、昭和三十六年)の一篇「座頭市物語」という十ページほどの一文がもと。
「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目の子分がいた」。ここから脚本家の犬塚稔や星川清司らが物語をふくらませていった。
子母澤寛の祖父は彰義隊の生残り。五稜郭でも戦った。ために寛は旧幕側に心情を寄せ、『新選組始末記』や『勝海舟』『父子鷹』を書いた。
作家として立つ前に寛ははじめ読売新聞の、次いで東京日日新聞(毎日新聞の前身)の記者をしている。
昭和二年、東京日日の記者をしていた時、著名人に食の話を聞いて連載した。後年、それを補筆してまとめたのが昭和三十二年に出版された聞き書き『味覚極楽』。これが現在、文庫で読めるのは有難い。
昭和のはじめ、誰も彼もがグルメ談義をする時代ではない。うまいものを知っているのは名士に限られている。だから話を聞くのは華族や政財界の大物が主。
といっても贅沢な食の話ばかりではない。
ある子爵は寛にこんな話をする。清貧の茶人の家に招かれた。出たのはしじみの味噌汁。食しているうちに気づいた。貝がみな同じ大きさ。まさに粒揃い。茶人は金がないので心で料理を作った。
鉄道省のある高官は大の塩せんべい好き。三十年にわたって全国を食べ歩き、出した結論は草加の塩せんべいが日本一。この御仁、塩せんべいを肴に酒を飲むとうまいともいう(ちなみに寛自身は下戸だった)。
増上寺の大僧正の、米の飯は冷や飯に限るという話も面白い。なるほど駅弁のうまさはそのためか。寛もこの話を聞いてから三十年冷や飯ばかりという。
寛は猿を可愛がった。以前、文春文庫で出ていた『愛猿記』もぜひ復刊を。