この私が山登りなんて 『バッグをザックに持ち替えて』著者新刊エッセイ 唯川恵

エッセイ

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バッグをザックに持ち替えて

『バッグをザックに持ち替えて』

著者
唯川恵 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912147
発売日
2018/04/20
価格
1,320円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

この私が山登りなんて

[レビュアー] 唯川恵(作家)

 軽井沢に移り住んで十五年が過ぎようとしている。

 きっかけは犬を飼ったこと。それがスイス原産のセントバーナード犬で、東京の暑さに耐えられなくなったのだ。もちろん、犬舎側からは「大丈夫です」と太鼓判をもらっていたが、実際はまったく違っていた。五月ごろから十月まで、ほぼクーラーは付けっぱなしになった。電気代がべらぼうにかかるのは仕方ないにしても、散歩に出られないのはかわいそうだ。セントバーナード犬は、平均寿命が七歳ほどと言われている。それで移住を決めたのだ。

 軽井沢からは、浅間山が美しく眺められる。稜線は町を包み込むかのように優雅なラインを描いている。当時は眺めるだけだった。けれども移住して七年後、犬が逝ってしまうと、想像以上の喪失感に見舞われた。そんな時、誘われて浅間山に登った。とにかくきつくて、その時は「二度と登らない」と決心したのだが、下りてくると、どういうわけかまた登りたくなった。

 この仕事をするようになってから、運動とは縁のない生活をしてきた。それでも二度、三度と登るうちに、いつしか山に魅了されていった。

 それから八ヶ岳や北アルプス、富士山、谷川岳などにも足を伸ばし始めた。思いがけず、エベレスト街道を歩くチャンスにも恵まれた。高山病に苦しめられながらも、何とか標高五千メートルをクリアすることができたのは幸運だった。

 ちょうど、私は小説家としてこれからどう生きてゆけばいいのか、迷っている時期でもあった。山に登ることで、せせこましいことばかりに追い詰められている自分を解放できたように思う。

 山は楽しいだけではない。山で知ったルール、怖かった出来事、辛かったり、腹を立てたり、思い知らされたり。本書はそんなあれこれを綴ったエッセイ集です。

光文社 小説宝石
2018年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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