【文庫双六】「旧制新潟高校」出身 丸谷才一の傑作短篇――野崎歓

レビュー

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樹影譚

『樹影譚』

著者
丸谷 才一 [著]
出版社
文芸春秋
ISBN
9784167138097
価格
454円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「旧制新潟高校」出身 丸谷才一の傑作短篇

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

【前回の文庫双六】樺太生まれの作家が描く首斬浅右衛門の物語――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/554176

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 樺太から新潟へと移り住んだ綱淵謙錠。じつはうちの祖父もかつて、樺太から新潟へ移住したのだった。樺太と新潟のあいだには特別の縁があるのか、二例だけでは判断しがたいので今後の研究課題としたい。ここでは旧制新潟高校で綱淵の一年後輩、同じく東大英文で学んだ丸谷才一の作品を取り上げよう。

「樹影譚」は、知的なたくらみに満ち、思いがけない広がりをもつ丸谷作品への入門にうってつけの傑作短篇である。

 主人公の老作家は、なぜか知らないが、樹木の影を見るとたまらなく嬉しくなる。ただし地面に落ちた影ではだめで、垂直の壁に映る影に心を奪われてしまうのだという。

 不思議な設定に興味を引かれる。作家にとって壁の樹影が特別な意味をもつのはなぜなのか。散歩の途中、誂え向きの影が目に入ると、思わず「木の影、木の影、木の影」と呟きながら立ち止まって見入るというのだから只事ではない。

 そんな嗜好の由来をめぐり、ミステリ短篇としても充実した面白さだ。作家の存在そのものに直結する謎には、三浦雅士や村上春樹が熱心に論じるだけの奥行きがある。

 湯川豊もまた『一度は読んでおきたい現代の名短篇』でこの作品を取り上げ、別の短篇「今は何時ですか?」を併せ読むことを勧めている。なるほど、そこには湯川のいう「丸谷の『前世』志向」がくっきりと表れている。

 同時に、一つの物語がさらに別の物語を呼び寄せて連鎖していく終わりのない運動が、丸谷の求め続けたものだったのではないかと思わされた。丸谷はかねがね『千一夜物語』への愛着を語り、夜ごと物語を織り続けるシェヘラザードを小説家の原型かつ理想形とした。「樹影譚」のような「物語内物語」形式を愛好したのは当然のことだった。

 なお、丸谷のよき理解者・湯川豊も新潟高校(新制)の卒業生である(蛇足ながら、筆者もそうです)。

新潮社 週刊新潮
2018年6月21日早苗月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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