綿矢りさが“女性同士の恋愛”を描いた大長篇に映像化の未来を見た

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綿矢りさの新たな代表作“女性同士の恋愛”をテーマに描いた大長篇

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


すばる2019年3月号

 今回の対象は文芸誌3月号。新人(芥川賞候補になりうる作家)の短篇は三つと少ない。大御所・中堅作家の連載や連作が二つ始まり、三つ終わった。

 その一つ、『すばる』が2、3月号に分載した綿矢りさ「生のみ生のままで」が時宜を得た大作だった。テーマは女性同士の恋愛である。それも特別激しい。

 リゾートホテルで出会った逢衣と彩夏が電撃的な恋に落ちる。互いに相思相愛の恋人と来ていた、つまり二人とも自分に同性愛指向があると思ってさえいなかったのに、ともに男を捨てるほどの畢生の恋に囚われてしまう。彩夏が言う。

「男も女も関係ない。逢衣だから好き」

 激しい恋の物語なんて、男も女も関係なくありきたりに決まっている。ところがどうだ、平板にしかなりそうもないはずの物語が、生彩に溢れた大長篇に仕上がっているじゃないか。ドラマ化、映画化の未来も見えるようだ。綿矢りさの新たな代表作が誕生した。

 古川日出男の文芸批評「三たび文学に着陸する」(新潮)もすごい。批評と銘打ちながら、余人の安易な了解を阻む独自の論理と想像力で、副題にある「古事記・銀河鉄道の夜・豊饒の海」を書き直し、読み直す。逆ではない。

 新人の短篇では宮下遼「青痣」(群像)が面白かった。主人公トウコが、自分を捨てた美しい母との暮らしを回想する。トウコが身を寄せる貸本屋の主人コンキチは紙芝居も扱っているのだが、小道具である紙芝居の(木)枠が、作中異界への入り口でありながら、作品全体の枠でもあるような、トポロジーが捻れたみたいな(クラインの壺みたいな)不思議な印象を残す。雰囲気の演出、文章も良い。宮下はオルハン・パムクなどの翻訳で知られるトルコ文学者。

 平成の終わりを意識した企画が二つ。『文學界』が千葉雅也「平成の身体」を、『すばる』が、倉本さおり「少年ジャンプ論」、清田隆之「さくらももこ論」、矢野利裕「小室哲哉論」を載せている。四者とも自分の体験に根差した平成論を語っていて、そのことに可能性と限界を同時に感じた。

新潮社 週刊新潮
2019年3月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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