若者の流出、空気に逆らえない人々……矢口高雄の40年前の名作漫画『おらが村』と現代日本

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ヤマケイ文庫 おらが村

『ヤマケイ文庫 おらが村』

著者
矢口高雄 [著]
出版社
山と渓谷社
ISBN
9784635048644
発売日
2019/06/17
価格
1,760円(税込)

若者の流出、空気に逆らえない人々……矢口高雄の40年前の名作漫画『おらが村』と現代日本

[レビュアー] 澤田真一(ノンフィクション作家)

 漫画家の矢口高雄氏といえば、やはり『釣りキチ三平』のイメージが強い。

 筆者の幼馴染に釣りキチ三平のファンがいて、彼は中学生の頃から熱心に読んでいた。今ではブログで釣り具メーカーの案件記事を請け負うほどのフィッシャーになったのだから、漫画の力は物凄い。

 さて、矢口氏がキャリアの初期に手掛けた『おらが村』という作品がある。今回はこのタイトルがヤマケイ文庫(山と溪谷社)から完全収録版が出ているので、読み解いていきたい。

若者がいなくなった村


『ヤマケイ文庫 おらが村』(矢口高雄著/山と溪谷社刊)より

 舞台は東北地方、奥羽山脈の麓にある戸数40足らずの村。時期は昭和30年代から40年代にかけて。

 当時の日本は高度経済成長真っ盛りで、今日食べるものにも困っていた昔の記憶はほぼ消え去っていた。飽食の時代の到来だ。それに歩調を合わせるように、政府はコメ農家に対する減反政策を施行する。日本は1995年まで食糧管理法という法律が存在し、コメの生産や流通は常に政府が介入していた。

 稲の品種改良で収穫率は向上したとはいえ、減反がその効果を相殺してしまう。村での仕事は減り、若者は高給を求めて都市部へ出稼ぎに出るようになる。

『おらが村』の主人公、高山政太郎は一農家の長であり、村議会議員でもある。村の中では開明的な発想を持つこの人物は、平凡な日常を送りながらも村に少しずつ訪れる「変化」に呑み込まれていく。

 村の抱える一番の問題は、先述した通りの「若者の出稼ぎ」だ。農繁期が過ぎたら若者は都市部へ行ってしまう。その間、たとえば村で火災が発生したらどうするのか。消防団は人手不足で、ロクにポンプを扱える者もいない。コミュニティーの最前線に立つはずの20~40代の人材が村から流出しているのだ。

 が、その一方で政太郎の子供たちも軒並み出稼ぎに行ったり、東京で就職している。政太郎も村の窮状を偉そうに批判できる身分ではなく、彼自身もそれを自覚している。

 政太郎が立派なのは、横たわる課題に対して上から目線で物を言わない点だ。自分も問題の当事者であることをはっきりと理解している。安全地帯から石だけを投げるようなことは絶対にしない。

「キツネ憑き」の迷信


『ヤマケイ文庫 おらが村』(矢口高雄著/山と溪谷社刊)より

 村は中途半端に近代化した地域である。

 アポロ11号が月面着陸するような時代なのに、この村には未だイタコが存在する。老婆の体調不良を「キツネが取り憑いているせいだ」と見なし、息子たちが煙でいぶしてキツネを追い出そうとする。挙句の果てには自分たちの母親の胸を踏みつけ、殺してしまうのだ。

 もちろん政太郎は、その蛮行を止めようとした。が、そうなる前に迷信を否定できなかったのか? 彼は村議会議員だから、「あんなものは迷信だ」と言えば皆が従うのではないか?

 答えは否だ。物事をはっきり言ったら、イタコやキツネ憑きを信じている人からの票が入らなくなる。そしてその思惑を、彼の妻や他の村民も同様に抱いている。即ち、彼らは「空気」を読んでいるのだ。

 空気を読めない人間は、文字通り村八分にされる。だからこそ、誰もが「あんなものは迷信だ」と思っていてもそれを口に出すことができない。結果、迷信を信じたことによる悲惨な事件が発生してしまったのだ。

日本国が「おらが村」になっている!


『ヤマケイ文庫 おらが村』(矢口高雄著/山と溪谷社刊)より

 この村は今現在の日本の縮図である。

 高度経済成長期は昔話と化し、若者は徐々に減って少子高齢化の時代に突入した。数少ない若者は、勤め先企業のブラック体質や社会負担の増加に苛まれている。一方で日本以外のアジア諸国では先進的なビジネスモデルが続々登場し、日本の優秀な技術者は高額報酬でヘッドハンティングされて国外に発ってしまう。

 では、日本もそのビジネスモデルを採用すればいいのではないかと考えても、村のしがらみに接触してしまえば必ずや誰かに改革を阻止される。いや、それ以前に改革案を口にするだけでも村民たちに責められる。キツネ憑きの迷信と同じように。

『おらが村』を昔の話と考えてはいけない。

山と溪谷社
2019年8月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

山と溪谷社

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