『至誠の残滓』
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維新後“生き残り”隊士たちが士道を見出す様を迫力で描く
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
新撰組というと、誰しも風雲京洛の巷で血刃をふるう勇士を思い浮かべることだろう。
だが、多くの隊士が戦死し、あるいは処刑されたが、明治になっても彼らの生き残りはいた。この物語は、そうした男たちが、新しい時代にふさわしい、もうひとつの“誠”を手に入れるまでを描いたものである。
その男たちとは、東京駒込で古物屋“詮偽堂(せんぎどう)”を営む松山勝=原田左之助。新聞錦絵の記者・高波梓=山崎烝(すすむ)。いまでは新政府の犬と揶揄される警官・藤田五郎=斎藤一(はじめ)。
彼らは、こと志と違って生き残ったことで、自嘲気味に日々を過ごしている。そんな中でも、斎藤一からの情報で、人買を業としている元長州士族や、窃盗団と対峙し、牙をむく。
そうした中で、左之助は「正義のため誠のため、命を懸けて戦っていた若い頃の自分を思い出し、久方ぶりの感動を味わ」うも、所詮、それは郷愁でしかない。
作者はモノトーンの色調の中、男たちが打ち上げる花火のようなきらめきを点描しつつ、それでいて、新しい時代に置いてけぼりにされそうな彼らのおののきをも活写している。このあたりのタッチは絶妙といっていい。
それが大きく変わるのは、斎藤一が、新政府の巨魁・山県有朋と接触を持つようになってからだ。斎藤は、山県の元で、犬として働くことに疲れ果てているが、そもそもの発端は山県の傍にいれば、いつかは自分の士道を果たすことができると思い、これまでは耐えてきた―だが、自分の士道とは、志とは何だ。
斎藤一が己の誠を見出すには巧みな構成が施されているので、敢えて詳述はしないが、しかし、このラストのすがすがしさは、どうだ。
男たちは、迷い、傷つき、遂に、新しい時代の“誠”を手に入れるのである。
矢野隆は本作で完全に一皮むけた。これからが楽しみでならない。