一度読んだら忘れられない、寺田寅彦の名随筆! 時代を超えて楽しめる、近代文学史に輝く科学随筆30篇が復刊!『銀座アルプス』

レビュー

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銀座アルプス

『銀座アルプス』

著者
寺田 寅彦 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784044005856
発売日
2020/05/22
価格
924円(税込)

書籍情報:openBD

一度読んだら忘れられない、寺田寅彦の名随筆! 時代を超えて楽しめる、近代文学史に輝く科学随筆30篇が復刊!『銀座アルプス』

[レビュアー] 有馬朗人(物理学者)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:有馬 朗人 / 物理学者)

 寺田寅彦の多くの随筆を、初期の写生文に基づく「イタリア人」などから晩年一九三三年(昭和八)に書かれた「病院風景」までを集めた文集『銀座アルプス』が、KADOKAWAより出版されることを喜んでおります。その際寺田寅彦の作品と私の出会いとか、物理学の視点から科学者としての寺田寅彦を紹介して欲しいなどの御要請を受け、ここに小文を書かしていただくことになりました。

 寺田寅彦が生れたのは一八七八年(明治一一)、亡くなったのは一九三五年(昭和一〇)です。この本の最後にその生涯について優れた紹介文を、角川書店を創立した角川源義氏が書いていますから、それを先ず御読みになることをお薦めします。角川源義氏は御自分が国文学者でありましたから、この寺田寅彦についての文章も研究論文的な色彩があります。

 私の先輩や友人を始め多くの人々が寺田寅彦の随筆、特に自然科学的な随筆を読んで、自然科学、特に地球物理を志したと言っていますが、私はそうではありませんでした。私は一九四七年旧制浜松第一中学校(現浜松北高等学校)の四学年を修了して、旧制武蔵高等学校へ入学します。小学四年生の頃から電気モーターや電池式ラジオを作ったりして将来は実験物理学者になろうと思っていました。しかし中学三年生の八月日本は敗戦し、その上その翌年一月父親が死にましたので、一九五六年東京大学原子核研究所の助手に採用されるまでの十年間、アルバイトアルバイトの苦学時代を過ごしました。その苦学時代の初めの中学四年生の時、アインシュタインとインフェルトの『物理学はいかに創られたか』(岩波新書)を読んで、理論物理学ならアルバイト生活でも何とかして時間を見付けて学べると思いました。武蔵高校へ入学したのはまさにその出発点でした。

 武蔵高校の図書館で寅彦の随筆集『蒸発皿』を読んだことが、寅彦との出会いでした。寅彦の随筆はそれぞれ面白いとは思ったのですが、寅彦が取り上げる問題を研究してみようとは思いませんでした。例えば椿の花が落ちたとき上向きになるものが多いことの説明など面白いけれど遊びみたいなもので、物理の本質を追究していないように感じたのです。

 生意気にも寺田寅彦の科学者としての力量を評価できなかったのですが、その高校生の頃、『蒸発皿』の次に『藪柑子集』に収録された「団栗」を読んだときは思わず涙を拭いました。寅彦の最初の妻夏子が病身でしかも初産の少し前、病気のいくらかよい風のない日に、寅彦は医者の許可を得て東大の小石川植物園へ夏子を連れて行きます。その時、夏子が熱心に団栗を拾う話です。その夏子が亡くなった後、六つになった形身のみつ坊を同じ植物園に連れて行くと母親と同じように団栗を拾った様子を描いています。寅彦は正岡子規が始め夏目漱石が発展させた写生文を若い時に幾つも書きました。この「団栗」も亡くなった妻とその子の振る舞いの良く似ている姿を客観的に写生的に綴った文章です。私はその裏にある深い嘆きに深く打たれました。

 一九五〇年私は東京大学の理学部物理学科に入学しました。そこで一年間「物理実験学」という必修の講義をして下さったのが平田森三教授でした。これは望遠鏡を真っ直ぐに光源に向けるにはどうしたらよいかとか、レンズの並べ方はどうすればよいか、天秤の使い方はどうするかなど、実験の仕方の講義でした。二年目は「統計現象論」という講義でした。これは大変面白い講義でして、私の物理学研究のどこかにこの影響が残っています。そもそも「物理学における統計現象」は寺田寅彦の最後の講義のテーマであり、平田先生はこれを学生時代に聞かれたのです。そして平田先生は寺田寅彦の弟子となられたのです。大学を卒業する直前広島の家へ帰っておられた平田先生を、寺田寅彦が広島まで行って卒業後寺田研究室で研究を続けるようにと説得されたのだそうです。私は平田先生の講義で初めて寺田寅彦の物理研究の面白さを理解しました。平田先生は五十歳の頃捕鯨のための銛の形の研究をしておられました。様々の形の銛を的に打ち込む実験をして、鯨の体内に打ち込みやすい形は、常識に反して先端が鋭くとがったものではなく、先をすぱっと切って平らにした方が良いことが分かったのです。

 寺田寅彦は物の割れ目がどうできるかとか、墨流しでどんな模様が生じるかなどの研究を、直観で解決しようとしました。それが現在では計算機や実験の手段が発達して、寺田寅彦の直観の正しさが検証されるようになりました。例えば表面科学が進んでくると、割れ目は非常に重要な意味を持っていることが分かりました。金属のディスロケーション(結晶内の線に沿って起こった原子のズレ)という問題は正に割れ目に関係しています。どういうところに割れ目が出来るかという研究は、どうやって丈夫な物を作るかという問題に関係します。

 寺田寅彦の割れ目や墨流しの研究など、そして若い時代の尺八の研究、これは寅彦の博士論文の中の主要なテーマですが、どれも古典力学、古典物理の応用だと私は思っていました。しかしこれは大きな間違いであったことが、平田先生の講義を出発点に、寺田寅彦の業績を調べていて判りました。寺田寅彦は当時の物理学の最前線であったX線の研究で大きな業績を上げています。即ち当時の物理学の先端の原子物理学なども寅彦は良く理解していたのです。

 寺田寅彦は一九〇九年(明治四二)ドイツに留学します。一九一一年に日本へ帰りましたが、その翌年ドイツのラウエが、X線を結晶面で回折させた後フィルムにあて、そのフィルムを現像したところ規則的な斑点が生じることを発見しました。この斑点をラウエ斑点と呼びます。この発見によりさまざまな結晶体の構造解析が大きく展開して行きます。

 ラウエ斑点の発見の情報が伝わるや否や寺田寅彦は結晶によるX線の回折の研究を始めました。しかもフィルムを用いずX線を受けると光る蛍光板を用い、手に持った結晶体例えば岩塩の結晶片からはね返ってくるX線の散乱の様子を観測したのです。その様子を西川正治(結晶学者、元東大教授)はラウエの写真のように「数時間を費やしてやっと一枚の写真をとるのでなく、結晶を動かし、直接斑点の変化を見る事が出来るので非常に都合がよく、従ってこれから斑点の出現の原理を難しい数字を借りずに平易に『結晶格子中の網平面による反射』と云ふ言葉で言ひあらはされたのであった」と書いています。一九一三年に「数学物理学全記事」に発表された寺田寅彦のこの結晶回転方式は、ドイツの、特にミュンヘン大学の研究者たちを驚かしたそうです。

 同じ頃イギリスでは、W・H・ブラッグとその息子W・L・ブラッグの二人が、結晶によるX線回折の研究をし、X線の波長λと、X線が蛍光灯の上に斑点を作る方向(θ)と、結晶格子の面間隔(d)の間にある条件、すなわちブラッグの条件(2d sinθ=nλ、nは正の整数)を発見しました。寅彦は殆ど同じ考え方をしていたのですから、どうしてこのブラッグの条件を発見しなかったのか、私は大変残念に思います。そしてもう一つ寺田寅彦はここまで発展させた結晶のX線による研究を一年ほどで止めてしまったことも残念なことでした。折角世界の物理学の中心中の中心の先端の物理学の研究を日本で始めたのにもかかわらず全く違う研究へ移っています。

 一九一七年(大正六)このX線の研究で大きな成果を得て「ラウエ映画の実験方法及其説明に関する研究」で学士院賞、しかも恩賜賞をもらっていることは、せめてもの幸いであったと思います。

 寺田寅彦の偉大さはX線の研究で物理学の中心で活躍するだけでなく、本質的には地球物理学者と言った方がよいくらい、若い時代から熱海の間欠泉や大島の火山の過去と現在など火山や地震の研究もしていたことです。特にA・ウェゲナーが一九一二年に提唱した大陸移動説を大いに支持し、大陸移動説で日本海が作られたという説を提唱しました。それも「液面に浮ぶ粉状物質の層の変形に関する実験並びに地球物理学上に於ける類現象へのある応用」という寅彦らしい実験をした上での事でした。一九三〇年ウェゲナーは亡くなり、どのような力が大陸を移動させるか明確な説明がつかなかったので、大陸移動説は一旦学会から否定されたままになりました。しかし一九六〇年代のブレートテクトニクスの発展で復活し、現在は疑う人が無くなりました。寺田寅彦の先見の明に敬服します。

 寺田寅彦は一九二三年(大正一二)の関東大震災以前から地震の事をしばしば論じていましたし、関東大震災の際には発生した旋風の調査の中心的役割を果たしました。大地震や津波などの天災の度に、「天災は忘れた頃にやってくる」という警句を想い出します。これは寅彦が言ったことになっていますが、実はその証拠はないのです。でも寅彦の言いそうな言葉だと私も思っています。

 寺田寅彦は天災などの際に発生する流言蜚語を厳しくいましめています。科学的に冷静に対処せよと書いています。この文集の中の一章「流言蜚語」がその一つです。そこで流言蜚語の現象は言い出した人々以上に、それに右往左往する市民の責任だと書いています。例えば「多くの主要な建物に爆弾を投じつつある」という流言があった時、それが本当かどうかは、それ程多くの爆弾がどうして準備できたかとか、市中の目ぼしい建物に爆弾を投げ込む人手がどれくらい必要かと考えれば、あり得ない事と判断できるではないかと書いています。大変もっともな考え方です。私はこの文章を二〇二〇年の三月に書いていますが、新型コロナウイルスの発生で世界中大変な騒ぎになっています。そしてさまざまな流言が飛び交っています。寅彦の言葉通り冷静に考え判断すべきです。

 この文集には寅彦が東京で生れてから父祖の地高知へ行って育ったり、又戻ったりした頃から親しんだ銀座の話が詳しくしかも面白く書かれています。この文章を読み明治から昭和の初期までの銀座の様子を思い浮べ、現在と比べてみるのも楽しいことです。

 実は私は珈琲が大好きです。これも寅彦好きのためかも知れません。寅彦も珈琲が大好きでした。その様子が「珈琲哲学序説」に詳しく書いてあります。そもそも珈琲哲学なんて言い方が滑稽です。アメリカの大学でも東京大学でも私の研究室には必ず珈琲沸かしが中心に置いてあって、大学紛争時代でも何時でも誰でも入って来て話し合う事ができるようにしてありました。これも寅彦の影響かも知れません。最後に愚作を一句書くことをお許し下さい。寅彦忌は一二月も末の三一日です。

珈琲の渦を見てゐる寅彦忌  朗人

一度読んだら忘れられない、寺田寅彦の名随筆! 時代を超えて楽しめる、近代文...
一度読んだら忘れられない、寺田寅彦の名随筆! 時代を超えて楽しめる、近代文…

▼寺田寅彦『銀座アルプス』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000010/

KADOKAWA カドブン
2020年6月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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