『道行きや』
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伊藤比呂美×ブレイディみかこ 人生相談『道行きや』篇
[文] 新潮社
それぞれの差別体験
伊藤 では、みなさんからの質問や相談が集まってきているようなので、そちらへ移っていきましょう。最初の質問、「海外生活の長いお二人が、日本人として現地で受けた差別的な体験って、どのようなものがありますか。以前より減ってますか、むしろ増えてますか?」。
ブレイディ これはいろいろあります。ChinkとかChinkyと結構呼ばれましたし。一番怖かったのは、息子がまだちっちゃい時、バギーに乗せて公園を突っ切ろうとしたら、本当に悪い感じのティーンエージャーがチェーンを振り回しながら「ニーハオ、ニーハオ」って近づいてきたんで、これはやばいと。私も独身の時だったら「くそガキ、何言ってんだ」ぐらいの勢いだったけど、やっぱり守るものができると人間は弱いですね。すぐ背中を向けて帰ったこともあります。
伊藤 差別されるってどんな感じ?
ブレイディ 差別をされるのはムカつきますけど、だんだんと慣れてくるところがあるんですよね。
伊藤 本当にそうですね。
ブレイディ これは一度エッセイに書いたけど、バスの中で差別的な目に遭ったんです。こちらがイエローだから、何か言われて、足を引っかけられた。そしたら、そのバスの運転手さんが一部始終を見ていて、その人に向って毅然として言ったんです。「俺のバスから降りろ。おまえが降りるまで、このバスを俺は発車しない」って。他の乗客たちも、みんな急いでたりすることもあって、差別した人をじっと睨んでいて、結局、その人は悪態をつきながら降りていった。あのときは心の中に花火が打ちあがったような気になった。差別に慣れるべきではないんだと思いました。
伊藤 学生たちに差別の話をすると、「日本には差別がないから」って言うのね。「差別されたことがない」とも言うの。だから私は彼らに「差別されるのって、こんな気持ちよ」とできるだけ伝えようとしています。みかこさんは差別された時、どんな気持ちでしたか?
ブレイディ それこそhumiliatedされた気持ちでした。humiliated、humiliatingは『道行きや』ではカタカナでもなく、英語のまま記されていますね。なかなか日本語になりにくいからだと思いますが、つまり〈尊厳を踏みにじられた〉気持ちではないでしょうかね。
伊藤 みかこさんとの大きな違いは、私が住んでたのはカリフォルニアの詩人やアーティストの多いコミュニティーだったんです。生粋のアメリカ人はあまりいなくて、比較的インターナショナルで、私の連れ合いもイギリス人でした。だから私の環境の方が生ぬるかったな。Chinkなんて一回も聞いたことがない。
ブレイディ そうなんだ。
伊藤 じゃあ、差別はないのかって言えば、そうでもなかったけど。
ブレイディ 表面から隠されているからこそ、いやらしいものがあったりするんですか?
伊藤 別にいやらしくもないのよ。みんなリベラルで、トランプなんてダメだって言ってて、差別なんて絶対にしないと思っている人たちなの。白人の多い地域で、黒人やアジア人はあまり多くなくて、半分以上メキシコ系。で、私が荒れ地みたいな、自然をそのままにしてトレイルだけあるような、そんなところを、犬を放して歩いていたら、すれ違う人たちによく怒られるのよね。でも友人は、イギリス人で、シュッとした威厳のある女なんだけど、犬を放して歩いてるのに怒られたことがないって言うの。それで私、そこで人に聞いてまわったのよ。犬を放してる人に「叱られたことがありますか?」(笑)。あそこでヘンなこと聞く日本人女が出るって噂になってたかもしれないけど、結論としては誰も叱られてなかった。とがめられるのは私だけだった。
ブレイディ そういうことはありますね。
伊藤 でもその程度ですよ。今のBlack Lives Matterにしても、黒人だけでなく、ヒスパニックの人たちだって、警察に対して緊張感を持ってるでしょう。私たちはそこまでのことはないから甘かったわね。コロナ以降、けっこうアジア人が「国に帰れ」とか言われて問題になるケースが増えてきましたけどね。
もしも海外に出ていなかったら
伊藤 ひとつだけ、私が絶対に答えたい質問が来てるけど、いいですか?
ブレイディ 何でしょう?
伊藤 「『道行きや』の装幀が凝っていて、美しくて、素晴らしくて、持っている本の中でも一、二を争うぐらいです。伊藤さんの意見も反映されてるんですか?」。全く反映されていません。
ブレイディ え、そうなんですか。
伊藤 はい。この本の装幀は菊地信義さんという装幀家です。
私は三十五くらいから四十歳あたりまで、本当に鬱で死ぬかと思ってたんですよ。アメリカに行ったのも自殺する代わりに行ったような気がします。それで子どもを産んだら、なんだか毒が出た――みたいなところがあるんですけどね。そんな鬱の時期に〈自分を消してしまいたい〉という欲望があって、ある詩を菊地さんにデザインしてもらった時、「私の言葉はただのマテリアルとして扱ってもらいたいんです。どんな形にしてくださっても構いません」と言ったら、菊地さんはピクセルを大きくして、詩を読めなくしちゃった。
ブレイディ えーっ。
伊藤 普通、詩人の詩にそんなことやりませんよね。私はその時、自分が持っていた、自分を粉々にしちゃいたい的な被虐的な欲望を菊地さんがちゃんと掬い取ってくれたと感じたんです。それで私が詩を長い間やめて、また詩へ戻ってきた時に、なんだかすがるみたいな気持ちで菊地さんに装幀をお願いした。それが『河原荒草』という詩集だったんですけどね。人生のポイントポイントで、菊地さんに装幀してもらっている。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』も『読み解き「般若心経」』も『新訳 説経節』も『切腹考』も。『道行きや』も表紙も本文のデザインもすっかり菊地さんに委ねました。
次の質問、「海外に出ずに日本でずっと住んでいたら、今ごろ自分はどうなってたと思いますか?」。
ブレイディ こういうifは意味があるのかな。今の私があるのはイギリスに来たからで、日本にいたら「日本にいた私」になってただろうから、今の私はいないわけですよね。全然違う私が存在したんじゃないですかね。
伊藤 私はそう思わない。人間って、帰着するところは結局同じじゃないかな? 仮に海外にみかこさんが出なかったとするわよ。でも、みかこさんはみかこさんだから、「何くそ」って思いでモノを書き始めるでしょ。
ブレイディ そうかな。そう思います?
伊藤 私はそう思うよ。日本にいて、ばったり出会った変な人と恋愛するでしょ。で、結婚するの。それから離婚するわね。
ブレイディ それは間違いなさそう。
伊藤 離婚の傷心で、いろいろと旅行していたら、ばったり出会ったのが、ちょっと年上のイギリスのワーキングクラスの男で、ふっと恋愛して、そのうちに日本へ帰ってくる。そしたら向こうが「どうしてもみかこへの愛が忘れられない」とか言って日本に来て、二人して燃え上がって、しばらく日本で住んでるんだけど、向こうがどうしても適応できなくて、「しょうがないな、じゃあイギリス行くか」ってイギリスへ渡って、今のブレイディみかこになる。そんなこともあり得るよ。
ブレイディ なるほど(笑)。比呂美さんが海外に出なかったら?
伊藤 比呂美は行かなかったとしたら、自殺してますね。だから今ここにいない。
ブレイディ さっき、自殺する代わりにアメリカへ行ったみたいなことをおっしゃいましたよね。それを聞いた時、「私は生きるためにイギリスへ来た」とすごく感じたんです。
伊藤 それは日本の文化の中では生きられなかったということ?
ブレイディ 私、本当にろくなことなかったんですよ。つきがなかったとも言えるけど、よく考えてみたら、私のいろんなことへの対処の仕方が、日本では受け入れられなかったなと思うんです。だから合わないんでしょうね。そうすると、合うように自分を変えていくか、合わない中ですごく傷ついて生きていくかで――今みたいに、こんなにゲラゲラ笑う人にはなっていなかったかもしれません。