『アクティベイター』
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デビュー25周年 冲方丁『アクティベイター』インタビュー 政治的に“攻めた”エンターテインメントを
[文] 朝宮運河(書評家)
政治的に“攻めた”エンターテインメントを
突如日本の領空を侵犯し、羽田空港に着陸した中国空軍のステルス爆撃機。亡命を希望する女性パイロット・楊(ヤン)は告げる。「積んでいるのは核兵器だ」と。冲方丁さんの新刊『アクティベイター』は、混迷する21世紀の国際・社会情勢をフィクションに落とし込んだ渾身の大作です。楊とともに襲撃者たちに追われる凄腕警備員・真丈(しんじょう)と、羽田空港で事態収拾に尽力する警察庁警備局のエリート警視・鶴来(つるぎ)。ふたつの視点から描かれてゆく事件は、リアルにしてサスペンスフル、読み始めたらやめられない面白さに溢れています。デビュー25周年を迎えた冲方さんの集大成であると同時に新境地を拓く新作について、話をうかがいました。
「どうして日本でこれができないんだ」
─ 『アクティベイター』は、現代の国際・社会情勢を大胆に取り入れたポリティカル・アクション長編です。これまで冲方さんがお書きになってきた作品とは傾向が異なりますね。
現代日本を舞台に『007』や『ミッション:インポッシブル』のようなストーリーを展開してみたいというのが狙いでした。しかも単なるアクションではなく、政治的にも“攻めた”作品にしたかった。これは明確に韓国映画・ドラマへの対抗心ですね。韓国の映画やドラマは政権批判は当たり前で、北朝鮮との関係も取りあげる。それでいてエンターテインメントとしての完成度も高い。どうして日本でこれができないんだ、と常々歯がゆく思っていて。現実と虚構を等価値に扱うような、攻めたエンタメを書こうと思ったんです。
─ 中国のステルス爆撃機H-20が日本の領空を侵犯。女性パイロットは「亡命を希望する」と告げ、羽田空港を目指します。序盤から興味を搔き立てられる展開です。
モチーフになったのは、1976年にソ連空軍のベレンコ中尉が亡命してきた事件。あれが今の国際状況下で起こったらどうなるだろう、という発想ですね。中国人パイロットが爆撃機で亡命してくるのは普通ありえないことなのですが、「ステルス戦闘機ではインパクトがない」という編集者の助言を受けて、面白さとインパクトを重視しました(笑)。パイロットを女性にしたのも同じ理由です。ただ旧共産圏では女性の社会進出が盛んで、空軍にも女性がたくさんいたらしいので、あながちフィクションとも言えないですね。
─ 爆撃機の着陸を前に、羽田空港に集まった各省庁の担当者は対応に追われます。警視庁、出入国在留管理庁、外務省、自衛隊。それぞれの動きがリアルに描かれて、ドキュメンタリーを見ているような面白さがありました。かなり取材をされたのでは?
しています。つてを辿(たど)って、あらゆる方面にお話を聞きにいきました。でも取材がディープになるほど、こんな話を書いたら抗議が来るんじゃないか、と気持ちが萎縮して、危うく当たり障(さわ)りのない物語になりかけました。それで先に主人公を造形してから、ストーリーラインに沿って取材するというやり方に切り換えたんです。
タコと鶴の対比が生む面白さ
─ 主人公・真丈太一(たいち)は、あるキャリアを離れ、民間の綜合警備会社に勤務する警備員。通報を受け、裕福な中国人クライアントの自宅に駆けつけた彼が目にしたのは、血まみれになって倒れているクライアントと、二人の襲撃者でした。
冗談みたいな話ですが、揚げ物屋でタコしんじょうという料理を食べている時に、「真丈太一」という名前が浮かんできて、タコをモチーフにした主人公は面白いかもと思いついたんですね(笑)。日本人にとってタコはややコミカルですが、海外では悪魔みたいな生き物として恐れられているんです。目の前の獲物を手当たり次第に食い尽くしてしまうほど凶暴で、単独行動を好み、毒がある。こういう特徴をもった元特殊工作員というのは、なかなかいいんじゃないかなと。
─ 襲撃者をたちまち返り討ちにし、警察が到着するのを待っていた真丈ですが、現れたのは中国の外交官。しかもその日のうちに、事件はもみ消されてしまいます。死ぬ間際のクライアントから、襲撃者たちを「捕まえろ」と伝えられた真丈は、犯人グループを追跡しはじめます。
目の前で孤独に戦って死んだやつがいる。その弔い合戦をしてやろうと思ったら、どんどんスケールが大きくなってしまった、という話ですよね。ただ真丈は軍人的な考えの持ち主でもあるので、事前に自身の行動の枠を決めておくんです。目的はこれで、そのためにはこれをするべきだと。そこはひたすら過酷な状況を生き抜くヒーローとは、ちょっと違います。定期的に飯を食うし、休息も取りますから。
─ その頃、羽田空港に駆けつけた警察庁警備局の鶴来誉士郎(よしろう)は現場の主導権を握り、女性パイロットの聴取を開始します。頭の切れるエリート警視正であり、真丈の義弟でもある鶴来はどんなキャラクターでしょうか。
『007』のように、真丈の背景に何らかの組織が欲しいと思って、鶴来というキャラクターが生まれました。真丈とは何から何まで正反対ですが、死者――自身の妻であり、真丈の妹の存在を介して繫がっている関係性。タコとの対比で、鶴をイメージした人物造形になっています。鶴はとてもきれい好きで、餌を捕る時もくちばしをちょっと泥の中につけて、体は汚れないようにするんです。タコが暴れれば暴れるほど泥が飛び散って、サポート役の鶴が悲鳴を上げる、というのはちょっとコミカルでいいかなと思いました。
分かりやすい黒幕がいない世界で
─ 中国人グループの潜伏する倉庫に侵入した真丈は、そこで一人の女性を救出。彼女こそ羽田空港から姿を消した女性パイロット・楊芊蔚(ヤンチェンウェイ)でした。物語の鍵を握るこのヒロインはどんな人物ですか。
真丈の死んだ妹をどこか連想させ、庇護欲を搔き立てられる存在ですね。さまざまな分野のプロフェッショナルが登場するこの作品において、彼女もある種のプロではあるんですが、年齢が若いために組織に利用されてもいる。人物造形をするうえでは、日本に留学したり、働きに来ているような現代の若い中国人の気分を、なるべくトレースしています。宮崎アニメが大人気だとか、東京タワーに憧れを抱くというエピソードも耳にしたので、キャラクターに取り入れました。
─ 楊を追う者たちを、真丈はひとり、またひとりと倒していきます。鍛え抜かれた肉体同士がぶつかり合う、リアルな格闘シーンが大きな読みどころですね。
世界中の格闘技がネット動画で見られる時代なので、ただ殴る蹴るを書いても納得してもらえません。プロの動きを再現するため、こっちも必死になって勉強しました。知り合いの格闘技マニアから動画を教えてもらって、ひたすらコマ送りで再生するんです(笑)。プロの格闘家の動きって、想像を絶するので、普通に見ていても何が起こったか分からないんですよ。それを読者に分かりやすく伝えるのがまた大変で、アクション描写にはかなり苦心しましたね。
─ アクション主体の真丈パートと、組織間の争いや心理的駆け引きがメインの鶴来パート。同時進行してゆくふたつのパートは、どちらもスリリングで目が離せません。
ありがとうございます。そこはサーカスと同じで、派手な空中ブランコの後はピエロを出して、「人間はそんなに空を飛べないよ」というアピールをしないといけない。スケールの大きいものが続くと、見ている側も感覚が麻痺しますから。鶴来パートでは、なるべく組織をひとつの人格として描かないように気をつけました。こういう話を書いているとつい、外務省はこうで経産省はこうと決めつけたくなるんですが、同じ組織でも個人によって考えや立場の違いがあり、その中での軋轢(あつれき)もある。それを忘れないようにと思いました。
─ ステルス爆撃機の秘密、「三日月計画」と呼ばれるプロジェクト、真丈を追う者たちの正体と、鶴来に加えられる妨害。アメリカ、ロシア、中国、韓国と、さまざまな国や組織の思惑が絡み合い、事件の全貌はなかなか見えてきません。
全体を把握せずに請負仕事をひたすらやっている人が、今の世界には山のようにいて、それがさまざまな問題を複雑にしています。たとえば薬害が起こったとしても、4社か5社に少しずつ責任があって、真の責任者を決められない、というような時代なんですよね。現代はすべてが繫がっていて、終点がない。分かりやすい黒幕を登場させて、そいつを倒すという形は、もはやリアルじゃない気がするんです。連載中は今後のエンタメの方向性をダウジングするような気持ちで、書きながら正解を探っていきました。
21世紀はエンタメ向きの時代
─ 後半でついに明らかになる事件の真相と、衝撃的なクライマックス。東アジアの現状を取り入れたストーリーに、国際諜報小説の新しいモデルを見た気がします。
取材でお会いした元外務省の方が、今の国際戦略とはいかにして敵対国を孤立させるかだ、とおっしゃっていました。冷戦時代のような超大国同士の対立がなくなった代わりに、小競り合いが世界各地で起こっていて、それがバタフライ効果で大きくなっていく。21世紀はそんな時代です。先が読めなくなったという点では、エンタメ向きになったともいえますね。
─ そんな複雑な世界で、真丈は「アクティベイター」として生きています。タイトルにもなったこの言葉には、どんな意味が込められているのでしょうか。
辞書的には活性化するもの、活性剤という意味です。その物自体は変化しないのに、状況や周囲にいる人たちを変化させる存在ですね。洗剤に使われている界面活性剤は、本来混じり合わないはずの油と水を混ぜ合わせて、汚れを落とす。詳しく言うとネタバレになりますが、真丈の仕事もこれに近いものです。
─ 「小説すばる」の連載期間(2018年4月号~2019年12月号)から単行本化まで、世界にはさまざまな動きがありました。それを反映するのも大変だったのでは。
それはもう(笑)。執筆期間も長かったのですが、実は構想に7年かかっていて、その間、アメリカの大統領は何人も代わりました。とくにここ数年の国際情勢は、誰にも予想できなかったんじゃないですか。しかも単行本化の準備中には新型コロナが拡大して、羽田空港のシーンをどうしようかと。常に現実と追いかけっこをしているようでしたね。
─ 単行本化の作業を終え、今のお気持ちは。
やっと肩の荷が下りたという感じです。リアルな国際情勢とエンターテイニングを融合させるという課題についても、ひとつの答えは出せたかな。政治的にもぎりぎりのところまで攻められたし、特定の誰かを誹謗中傷することなく、現代を描ききることができたと思っています。ただ書くのはものすごく大変でしたね(笑)。取材で新しい知識に触れるたびに、興奮しながら、これをどう生かせばいいんだろうと頭を抱える。やっぱり本当に面白いものを書くには、長時間練って寝かせて、苦労しなければいけませんね。もちろん読者の皆さんにはそんなことを忘れて、真丈や鶴来の活躍を楽しんでもらいたいと思います。
なお今作はデビュー後25年目の作品ともなり、四半世紀もひたすら物書きでいられたことには感謝しかありません。今後の25年を見据える上でも大事な作品となりました。これからもさまざまな作品をお届けできるよう一層精進したいと思っています。
冲方丁
うぶかた・とう●作家。
1977年岐阜県生まれ。1996年『黒い季節』で角川スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー。著書に『マルドゥック・スクランブル』(日本SF大賞)『天地明察』(吉川英治文学新人賞、本屋大賞、舟橋聖一文学賞、北東文学賞)『光圀伝』(山田風太郎賞)等多数。マンガ原作やアニメ脚本も手がけるなど、様々なジャンルで活躍。