高級でも低級でもない田舎だった世田谷の“マジック・リアリズム”

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玉電松原物語

『玉電松原物語』

著者
坪内 祐三 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784104281053
発売日
2020/10/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

高級でも低級でもない田舎だった世田谷の“マジック・リアリズム”

[レビュアー] 戌井昭人(作家)

 坪内祐三さんがかつて住んでいた世田谷の赤堤界隈を中心に、溢れんばかりの記憶から様々なエピソードを蘇らせている本書を読むと、坪内さんが子供のころから、どんなに些細な出来事でも、実際に見たものや感じたものは簡単にうっちゃったりせず、大切にしてきたのだとよくわかる。

 わたしも世田谷生まれだが、実家は北の外れで、現在の世田谷の高級なイメージとはほど遠い。坪内さんは昭和三〇年代当時の赤堤界隈を、〈少しも高級でなかった。もちろん低級でもない。つまり、田舎だった〉と語っているが、まさしくその通りで、わたしの祖母の実家は農家だった。その祖母が足繁く通っていた寺がある。坪内さんの実家の近くで、玉電の松原駅が最寄だった。

 三〇年以上前、その寺の住職が家族に日本刀をふりまわした挙句、本堂に火を放った。そして住職は亡くなり、寺も焼滅した。かなり身近な出来事だったが、当時のわたしは子供ながらに、日常がすっ飛んでいってしまった気持ちになった。坪内さんは、〈あのあたりには、マジック・リアリズムのようなものが根付いていると思うんだよ〉と、やはり赤堤出身の吉田篤弘さんに語っていたそうだが、本当にそうだと思う。マジック・リアリズムをわたしなりに説明すると、「なんだかわけがわかんないけれどわかるような気もする」といったもの。坪内さんは、そのわけのわからなさを大切にし、愛着をもっていたのだと思う。

 わたしは、この寺の事件を題材に『さのよいよい』という小説を書いた。だが執筆する前に、編集者の方に実際にあった事件だと話しても、にわかに信じがたいといった様子だった。それに、どういうわけかインターネットで検索しても事件のことが出てこないのだ。あるとき編集者の方と酒場にいると、坪内さんに会ったので、「ご実家の近所で寺が燃えたと思うんですが覚えてますか?」と尋ねると、「もちろん」と、事件のことを詳しく教えてくれた。さらに当時の週刊新潮に記事が載っていたことまで覚えていた。このやりとりは本書にもある。わたしは、インターネットの検索エンジンより頼りになる坪内さんに驚愕した。一方で「そんなもん頼りにしてちゃダメだよ」と言われた気もした。

 本書には、インターネットなんかにはない世田谷がたくさん詰まっている。そもそもコンピューターやインターネットに土地の思い出は宿らない。それは人の頭の中だけにある。坪内さんは最高の語り部となって、世田谷という土地のわけのわからなさをジリジリ湧きあがらせている。

新潮社 週刊新潮
2021年2月11日特大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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