彼は最年少のガリンペイロだった 国分拓さんが自著『ガリンペイロ』を語る

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ガリンペイロ

『ガリンペイロ』

著者
国分 拓 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103519621
発売日
2021/02/25
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

彼は最年少のガリンペイロだった

[レビュアー] 国分拓(NHKディレクター)

国分拓・評「彼は最年少のガリンペイロだった」

 コロナ禍前の休日、渋谷の公園通りにはたくさんの若者がいた。ヘッドフォンをした男性、スマホを見ながらスーツケースを引く女性、テラス席で談笑するカップル。みな、二十歳前後に見えた。そんな、かつてはありきたりだった風景の中を職場に向かう。PCを立ち上げ映像を見始める。密林の中に巨大な穴がいくつも穿たれている。重機が唸り、泥がはねる。穴の中には人相の悪い男たちがいる。ブラジル中から無法者と恐れられているガリンペイロ(金鉱夫)だ。身体中に背徳的な刺青を彫り、腹には刃物で抉られた傷跡がある。ナイフ、ピストル、散弾銃。様々な凶器も見え隠れする。渋谷からすれば異界が映っている。

 映像の中で一人の男が大言壮語を喚き始めた。「オレは若い。時間はいくらでもある。必ず、でっかい黄金を掘り出してやる」。彼の名はラップ小僧。本名ではない。金鉱山、しかもかの地のような非合法の金鉱山では多くが本名を名乗らない。年を聞く。二十一歳だと答える。渋谷の若者たちと同年代。だが、両者の隔たりは余りに大きい。褐色の若者はスマホなど持っていないし、ポケットには小銭すら入ってはいない。小学校にもろくに通えず、自国の大統領の名前も知らない。それが、私の出会った最年少のガリンペイロ、ラップ小僧だった。

 二〇一五年と一六年、アマゾン奥地の金鉱山につごう三回、五十日以上滞在した。NHKスペシャルの「大アマゾン」というシリーズを作るためだった。過酷なロケではあったが、法も道徳も一切顧みず、己の信則だけに拠って生きる彼らに強く惹かれた。一緒に行ったカメラマンも同じだったようで、帰国後に飲むと彼らのことがよく話題になった。後ろポケットにピストルを差していた頭目のこと。「おまえら、人を殺したことがあんのか?」と凄んでみせた男のこと。脱獄して逃げ込んできた男のこと。小屋の中に白アリを飼い、それを家族だと言っていた男のこと。

 そして必ず、最後はラップ小僧の話になった。二〇一六年の最後のロケの時、彼は金鉱山から消えていた。ガリンペイロに訊ねると、他のことはいくらでも喋るのに、不自然に話題を変えようとしたり言葉を濁したりした。彼の小屋に行くと、よく穿いていたズボンと前に会ったときに食べていたウエハースの包み紙が泥の中に埋もれていた。その金鉱山では、取材した一年間で、二人が殺され三人が行方不明になっていた。

 帰国して映像を見ると、泥に埋もれたズボンが何カットも残っていた。立ち位置を変え、画角を変え、ズーミングのスピードを変え、カメラマンは執拗に撮っていた。今どこにいる? 生きているのか? レンズを通してラップ小僧と対話しているように見えた。

 膨大な言葉も残っていた。ガリンペイロの話はどれも奇想天外で法螺だと思われるものが少なくなかった。だが、彼らは何時間でも喋り続けていた。ラップ小僧もそうだ。裏など取りようのない話ばかりだったが、生い立ちを話し、ここに来た経緯を話し、町に残してきた恋人のことを話していた。

 この中に私が現場で見えなかった何かが眠っているのではないか。そう思った。大量の土砂の中に一握りの黄金が潜んでいるように、膨大な嘘の中にだって一粒の真実が隠されているかもしれない。仕草や表情を凝視し呟きや溜息にも耳を傾ければ、かの地に生きる男たちの物語を書けるかもしれない。もしかすると、ラップ小僧のその後だって辿ることができるかもしれない。

 活字にしたいと思った。ドキュメンタリー番組の制作が終わった後も、映像データを見続ける日々が始まった。

 三年以上続くことになったそんな休日。私は映像を見る前に「あるもの」を必ず確認するようになっていた。「2015第1回ロケ」と書かれたメモ帳だ。

 自席に着くと引き出しからメモ帳を取り出しページを捲る。泥がついた白い紙の上に稚拙な文字が並んでいる。

 THIAGO APOLINARIO CABOCLO

 チアゴ・アポリナリオ・カボクロ。

 ラップ小僧の本名だった。彼は唯一、あの地で本名を語った男でもあった。その時が蘇ってくる。彼ははにかみながらも、こちらがじれったくなるほどの時間をかけて二十三個のアルファベットを記していた。

 最後に彼を見た日、彼は黄金〇・二グラム(およそ八百円)で買ったウエハースをすぐには食べず、まずは包み紙を眺め、触れ、表面に印刷された文字を何度も指でなぞっていた。私も、二十三のアルファベットを眺め、触れ、ときになぞった。渋谷での日常の中で、かの地の時間と記憶を呼び覚まそうとして。

新潮社 波
2021年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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