定年間近の独身男が「命がけ」の恋をした結果は? 究極の愛と情交を書き切った「大人の恋愛小説」

レビュー

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隅田川心中

『隅田川心中』

著者
赤松, 利市, 1956-
出版社
双葉社
ISBN
9784575243765
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

定年間近の男に訪れた、愛する女との未来。しかし 幸せを求める行動が、ふたりを破滅に向かわせる。赤松利市が描き出す悲劇は、どこか昭和テイストだ。

[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)

 大藪春彦賞受賞作家の赤松利市氏が新たに描いたのは「大人の恋愛小説」。いくつになっても女に溺れる愚かの男の性(さが)を生々しくはかなく描いた本作の読みどころを、書評家の細谷正充さんが解説する。

***

 シンプル・イズ・ベスト。赤松利市の新刊を読んでいたら、そんな言葉が頭に浮かんだ。なぜなら本書の内容は、非常にシンプルなのだ。冒頭で示されているが、ある男と女が非業の死を遂げるまでの顚末が、一直線に語られているのである。

 ただしシンプルな物語をベストにするために、作者はさまざまな工夫や趣向を凝らしている。まず注目すべきは、主人公のキャラクターだ。大隅一郎、六十四歳。一般社団法人ゴルフ場協会の事務局長。かつてはゴルフ場の取締役支配人をしていたが、職を失い、自己破産した。しかし現在の職場の理事長に拾われ、それなりに恵まれた給料を貰っている。曲折はあるが、恵まれた人生といえるだろう。

 そんな一郎が、行きつけの喫茶店『アゼリア』の店主の小川正夫から、アルバイトの咲村咲子の相談に乗ってくれと頼まれる。中学生のような風貌だが、三十二歳の咲子は、ライブ活動をしている。しかし彼女の父親は酒とバクチに溺れ、三十万円の競馬の借金があった。それが払えなければ、咲子は風呂に沈められるというのだ。かつて、無理やり裏ビデオに出演させられたことがあるという、咲子の言葉は重い。三十万円を払い、咲子を抱いた一郎は彼女の身体に溺れ、真剣に入籍を考えるのだが……。

 特に理由はないが、いままで独身だった一郎。両親や親戚もなく、来年には定年が控えている。そんな漠たる未来への不安に、咲子がするりと入ってきた。彼女との家庭を夢見て暴走する一郎の姿は、苦笑するしかない。

 しかも“ですます調”で綴られる文章には、ちょくちょく作者の視点が挿入される。その視点で、年の割には世間知らずの一郎に対して、ツッコミが入れられるのだ。このツッコミが面白く、悲劇へと向かうストーリーの重さを和らげ、読みやすくしているのである。

 さらに全体に流れる、昭和テイストも見逃せない。作中に何度も“昭和”という言葉が出てくるように、一郎と咲子を巡る物語は、昭和の匂いがする。昔の残る浅草を舞台にしていることも、その匂いを強めている。

 しかし一郎たちが生きているのは、コロナ禍が広がりつつある令和の時代である。たいして意識していなかったコロナ禍が、やがてふたりを破滅に導く一因になる。まるで昭和のファンタジーが、令和のリアルに破壊されたかのようだ。シンプルでありながら、読み味は濃厚。赤松利市が描き出す、ありふれた悲劇を堪能した。

小説推理
2021年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

双葉社

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