『かたわらに』
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不安定感が不憫な気持ちをそそる かたわらに置きたい彫刻たち
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
木片や流木を手にすると、何かに見えてくることがある。本当のところは木片は木片に、流木は流木に過ぎないのだが、そこに何かを見ようとする働きが人間には潜んでいる。こうした反応は幼い子どもでもするから、原初的な衝動と言ってもよく、もしかしたら人間たるゆえんがここにあるのかもしれない。
彫刻家・沢田英男の初の作品集である。木片を削って薄く彩色されたそれらは、人物だったり、生き物だったり、仏像だったりする。彫刻というと、硬く重たいものを想像しがちだが、どれも小さく、軽い。うやうやしく扱うよりも、ポケットに入れて持ち歩きたいような親しみやすさがある。
日常生活にするっと入ってくる雰囲気をもつため、作品の人気は高く、展覧会の初日にはだれよりも早く自分のものを見つけて手にしたいというファンが殺到するという。
だが、親しみやすさだけが理由でないことは、本書を繰るうちわかってくる。人物たちには発語をためらっているような雰囲気がある。強靭な意志で無言を決めているのではなく、口元まで出かかっているのに、声にならないようなもどかしさを漂わせている。
これは作品に備わっている“欠落感”と無縁ではないのかもしれない。腕がなかったり、ひざから下がなかったり、頭部がなかったりする。いや、そのような極端な例を挙げるまでもなく、どの作品にもたいてい脚がないのだ。一、二本の鉄の軸で台座に固定されており、その軸を脚と見なすこともできるが、上体に比べると細く、頼りない。その不安定感が不憫な気持ちをそそる。見つめ、触れ、手に握ることで、この存在を助けたいという心がけが、自然にわき起こってくる。
だが、実際にそうするならば、助けられるのは実は自分自身であるのに気付くだろう。共に過ごし、協働することにより、作者を離れてその人を守る護符になってくれるのだ。