【解説:辻村深月】最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰――『ののはな通信』文庫巻末解説

レビュー

7
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ののはな通信

『ののはな通信』

著者
三浦 しをん [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041110676
発売日
2021/06/15
価格
880円(税込)

書籍情報:openBD

【解説:辻村深月】最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰――『ののはな通信』文庫巻末解説

[レビュアー] 辻村深月

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■『ののはな通信』文庫巻末解説

■解説
辻村 深月

 本書を読み終え、あなたの胸に、今、誰の顔が浮かんでいるだろうか。
 読書とは、本を読むこと。物語に身をゆだねること。必ずしも、自分の人生を照らし合わせることではない。そうわかっていても、どうしても「自分の物語」だと思わずにはいられない本が、世の中にはある。三浦しをんの『ののはな通信』は、私にとって──そして、おそらくは多くの「私たち」にとってそういう一冊だ。たまらなく心を持っていかれてしまう。これまで自分の歩いてきたどこかに、痛烈に気持ちが引き戻されてしまう。

 主人公は野々原茜と牧田はな。ののとはな、二人の往復書簡だから「ののはな通信」。
 二人は横浜にあるミッション系の女子校で出会う。庶民的な家庭で育ち、クールで毒舌なののと、外交官の家に生まれ、天真爛漫で、甘え上手なはな。手紙のやり取りは昭和59年の日付から始まる。漫画『日出処の天子』の展開に心躍らせ、グリコ森永事件の「かい人21面相」の名が登場するその時期に、二人は互いに向けてせっせと手紙を書く。明日、学校で会えるのに、速達で。他のクラスメイトと話すのとは別格の、自分たちだけが通じ合える文面を互いに送る。
 その幸福に、私は息が詰まり、読みながら、何度も手が止まった。なぜなら、私はこのやり取りを知っているから。むせかえるほどの幸福と楽しさを湛え、相手に惹かれていくまっすぐな情熱が伝われば伝わるほど、その純粋さに懐かしさとともに胸が痛んでいく。
 だって、知っているから。こんなにも相手のすべてを受け入れ、自分が受け入れられたと心の底から思えた日々の先に、別れの予感があることを。
 少女たちの手紙のやり取りは、誰かの秘密がとびきりのスパイスになる。多感な日々にナイショ話をかわす二人は、自分たちもまた「秘密」と無縁でいられない只中の時期にあることをまだ知らない。その「秘密」はある時は自覚的に、ある時は衝動を抑えきれずに、突如彼女たちに舞い降り、また襲いかかる。
 いつしか、はなに友情以上の気持ちを抱いたののは玉砕覚悟で彼女に告白をする。衝動的だった秘密の告白は受け入れられ、しかし、その一方で、自覚的に踏み込んだはずののののある秘密が、はなへの裏切りとして、二人を長く苦しめることになる。
 一章が終わるこの展開に至って、私の心は震えた。二人に別れが訪れたから、ではない。驚嘆した一番の理由、それはこの「運命の恋」を経た二人の物語が、その先も長く長く続いていることだった。ページはまだまだあり、その先に、この小説の真のすごさが広がっていた。
 女子校で出会ったののとはな。なぜか気が合い、かけがえのない親友となった二人は、やがて恋人同士に。「運命の恋」を経て、少女たちは大人になる──。

ののはな通信 著者 三浦 しをん 定価: 880円(本体800円+税)
ののはな通信 著者 三浦 しをん 定価: 880円(本体800円+税)

 本書のあらすじを書くとしたら、おそらくこうなる。私もきっとこう書く。けれど、実を言えば、本書を読む人たちには、できるだけ、他者がそう書くよりなかった言葉以外の在り方で、それぞれが胸に受け止めてほしいとどうしても願ってしまう。二人の関係の名前も、彼女たちに訪れた変化も、「親友」や「恋人」、「運命」や「大人」という言葉の枠にたやすくはまりきらない。逆に言えば、それくらい『ののはな通信』は、私たちが「大人になる」としか言いようがなかったものが本当はどういうことなのかを、つぶさに、鮮やかに教えてくれる物語だ。
 高校時代に「運命の恋」を経て別れた後、はなはその持ち前の天真爛漫さでののにまた手紙を書き、彼女と再び繋がろうとする。最初は撥ね除けようとするののだったが、二人は再会する。
 高校時代を描いた一章、大学時代を描いたこの二章ともに、相手に何をどこまで明かすか、秘密が巧みに隠され、混ぜ込まれる手紙のやり取りは、続きが気になってたまらないミステリー小説のようだ。互いの存在を特別なものと思いつつ、ののもはなも、それぞれ別の愛を知り、違う道を歩き始める。早熟だったののに対し、おっとりとして見えたはなが大学生になって初めて、目先のことではない「自分について」も語り始める。
 二度目の別れを経て始まる三章では、二十代と三十代の大きな時間を隔て、二人は、「大人」になっている。ののはフリーのライターとして東京で暮らし、はなは大学時代に出会った外交官の夫について、アフリカ中西部のゾンダ共和国(本書を読んで、ネットで検索したりした人も多いと思います。リアリティの厚みがそれくらいすごいし、私も検索した一人ですが、どうやら架空の国です)で大使夫人として暮らしている。
 四十代になった二人のメールのやり取りは「秘密」の色や匂いが、それまでとがらりと変わる。大人になった二人にとっての「秘密」とは、少女時代あんなにもキラキラと顔を輝かせて興じた娯楽ではもはやなく、互いにだけそっと打ち明けたい過去であり、心の中に密かに固めた決意や意思だ。
 二人は、確かに「大人になっていた」。だけど、そこまでにしてきた選択や、静かに胸に沈めた決意は、まぎれもなくそれまでの彼女たちの生き方、考え方の延長にあるものだ。大人になることはそれまでの自分や過去と断絶することではなく、昨日までの自分と地続きであることを二人の手紙が語る。あんなにも互いをゆさぶった激しい恋も、苦い後悔の記憶も、切り捨てることなく、二人の中にちゃんとある。ののとはな、互いが互いに対して思う潔癖さが、二人の言葉を真正面から向き合わせる。砂に眠る神殿のような思い出を抱えたままの世界で、これまで読んできたあのののと、あのはなが、今生きていることが伝わる。互いに対する理解や信頼、愛情が、やり取りした言葉の分だけ蓄積されて。
 友だち、という言葉が便利な言葉だ、という言い回しが、学生時代のののの手紙に出てくる。この世に存在するどんな感情よりも深い思いをこめることもできれば、なんの思い入れもない知り合いを遠回しに表現することもできる、と。
 関係性の名前を一つだと無条件に信じ、だからこそ純粋に怒り、泣き、狂おしいほどの幸福にも哀しみにも襲われた苛烈な日々を経て、“大人になった”二人の関係性には、名前がいらない。これこそが、「大人になる」ということそのものなのかもしれない。相手を想うのに、関係に名前を求める必要がなくなる。
 ののとはなは女性同士であるがゆえに、交際していることも、していたことも、その関係をどう説明するかも、迷ったり、しらばっくれたりする。はっきりとした関係の名前がないことに、歯噛みしたくなることも、窮屈さや悔しさを感じることも、おそらくあった。けれど、「友だち」であり、「親友」であり、「恋人」であり「元恋人」で、互いに認める唯一無二の「運命の相手」でいられ、その関係にどんな名前も必要としないのに同時にどんな関係でもいられるのは、二人がともに女性であったからだという気がしてならない。
 相手の知らない過去を秘密として、互いに打ち明けた手紙を読む時、それまでは、おそらくはどちらかに感情移入の比重を多くしていた私たち読者は、もう、ののでも、はなでもある。だから、悦子さんとの別れを伝えた後の返信で、はなが洩らす「ああ、のの!」の一文にこんなにも涙が出る。「外交官夫人会の女王だった」と打ち明けた手紙に返すのののクールな「あなたったらほんとに自由なひと!」の言葉に、こんなにも胸がすく。
 ラスト、離れた場所にいるはなに、ののが書き綴る手紙でこの物語は終わる。東日本大震災が起きてすぐの、二〇一一年の日付の手紙だ。
 誰かを思い、手紙を書くことは、作中でののが書くように「知り、考え、想像すること」だ。
 ののだけではなく、私たちは自分の人生を生きる時、無意識に、おそらくは大切な「誰か」に向けて心の中で手紙を書いている。今の自分が何をどう考え、それをどう捉えているか。相手から見た自分は今、どんなふうに見えるだろうか。たとえ二度と会うことがなくても、その人の幸せを願い、思う。
 ののとはなの長い通信は、私たち読者が無意識に行っていた「誰かを思う」ということを、しなやかに可視化した物語だ。だから、読者の心がこんなにも波打つ。自分が接してきたあの人、途切れてしまったあの人、相手を想った狂おしい日々の全部が詰まって、読みながら、自分の人生のあの場面、この場面に気持ちが、心が、引き戻される。
 他者と触れ合い、理解された日のすべてが満たされた喜び、後悔や裏切り、大切な存在だとわかっているからこそ見透かし、傷つけ、だけど、大好きだから何度も惹かれ合う。関係性の名前を一つだと無邪気に無条件に信じていられた十代二十代を経て、新しく何度も繋がり直すののとはなの手紙を読みながら、何度も胸が引き絞られ、涙があふれる。それは私が通ってきた道であり、通ることができなかった道だから。
 天真爛漫を装ったはなが、勇気を出して、もう一度繋がろうと伸ばした手を、多くの「私たち」は、人生のどこかで相手に伸ばせなかった。あんなにも好きで、相手と一体化してしまいたいと願ったあの気持ちを、のののように勇気を持って恋だと認めることが、私はできただろうか。相手に伝えられただろうか。
 恋に至らなかったあの思い出も、傍からは「運命」と名付けてもらえなかったけれど、確かに私の中にあった「運命」も、ののとはなの勇気を携えた長い往復書簡は、肯定してくれる。どのページにも、あの日の私や、選べなかった多くの私が息づいているから、私たち読者は、本書を「私の物語」と呼ぶ。
『ののはな通信』は、そういう、私たちにとっての特別な、大切な一冊だ。
 三浦さん、書いてくれて、心の底からありがとう。

■作品紹介

【解説:辻村深月】最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰――『ののはな通信...
【解説:辻村深月】最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰――『ののはな通信…

ののはな通信
著者 三浦 しをん
定価: 880円(本体800円+税)

最高に甘美で残酷な女子大河小説の最高峰
ののとはな。横浜の高校に通う2人の少女は、性格が正反対の親友同士。しかし、ののははなに友達以上の気持ちを抱いていた。幼い恋から始まる物語は、やがて大人となった2人の人生へと繋がって……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322010000452/

KADOKAWA カドブン
2021年07月08日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • このエントリーをはてなブックマークに追加