『残月記』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
月の気配に掻き立てられた記憶に爪あとを残す傑作
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
地球から月の裏側は見えない。月が地球のまわりを回る周期と、月の自転周期がまったく同じだからだ。探査機による写真撮影で裏側の地形が明らかになっている現在も、月は何かを隠しているような気配を漂わせる。『残月記』はそんな月をテーマにした三つの中編小説を収める。日本ファンタジーノベル大賞受賞作『増大派に告ぐ』でデビューし、空を飛び結婚する書物をめぐる奇想天外な物語『本にだって雄と雌があります』で注目を集めた小田雅久仁の九年ぶり三冊目の単行本だ。
「そして月がふりかえる」は、決して裏側を見せないはずの月がふりかえった日を境に、家族は同じなのに自分の居場所だけがない異世界に迷い込む大学教授の話。失った人生をなんとか取り戻そうと、ある思い出を語ってみせるくだりが痛切だ。
「月景石」は石を蒐集していた叔母の形見が、三十二歳の女性を恐ろしい夢の世界へ誘う。主人公と、彼女の運命を変える少女との出会いは、日常の一場面なのに忘れがたい。
表題作は近未来の一党独裁体制下の日本が舞台。〈月昂〉という感染症を発症した青年・宇野冬芽の生涯が語られていく。月昂は満月のときに身体能力や創造性が高くなり、新月のときは死に至りやすくなる病だ。〈月昂者〉は療養所に隔離され、二度と外には出られない。冬芽は生き延びるため独裁者を楽しませる剣闘士になり、同じ月昂者と戦う。
月昂者に対する迫害、療養所に閉じ込められた人々が生みだす芸術作品など、着想の源になったのはかつて日本で強制隔離政策がとられていた感染症をめぐる問題だろう。
自由を奪われ戦いに明け暮れる冬芽もまた、円空仏を髣髴させる木像を彫り続ける。その木彫りの像が浮かべる〈残月〉のほほ笑み、冬芽が幻視する月の砂漠の描写は美しい。そして冬芽は物語にしかできない方法で解きはなたれる。記憶に淡くも消えない爪あとを残す傑作だ。