何度も苦杯をなめてきたかくも難しき戦闘機開発

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

何度も苦杯をなめてきたかくも難しき戦闘機開発

[レビュアー] 高橋浩祐(国際ジャーナリスト)

 小中学生の頃、タミヤのプラモデルが大好きで、戦闘機や戦車、戦艦を作って友達とよく遊びました。ゼロ戦(零式艦上戦闘機)のプラモを作ったときには、子どもながらに「これぞ世界の頂点を誇る我が愛機!」といった酔いしれた気分でプラモを手に部屋を駆け回っていました。同世代の男性なら誰もが一度は作った経験があるのではないでしょうか(笑)。

 日本は戦前から戦中にはゼロ戦をはじめとする多くの名機を生み出しました。しかし1945年の第2次世界大戦終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)から航空機の研究・生産を全面的に禁止されました。そして、1952年に再開が認められるまで、航空業界は「空白の7年間」を送りました。その間、世界ではジェット機の機体やエンジンの開発が進み、日本は大きく立ち遅れました。

 それから70年。日本は今、世界に伍する最新鋭の戦闘機を国産で造るという夢に本格的に踏み出そうとしています。航空自衛隊が保有するF-2戦闘機の後継機を国産主導で開発し、F-2退役が見込まれる2035年頃からの配備開始を目指しています。F-XあるいはF-3とも呼ばれています。

 本書は、戦闘機がいかに先端技術の結晶であり、官民挙げて総力で取り組まなければならない存在かを教えてくれます。

「なぜこれほど戦闘機の開発が難しいかを分かっていただき、後世にその遺産を引き継いで欲しいという一心で執筆・編集しました」。御年80歳になる著者の森本敏・元防衛相はこう前書きで書かれています。

 その艱難辛苦の一例として、「F-2のトラウマ」とも呼ばれる日本の苦い経験が本書では紹介されています。日本は1980年代に今のF-2に当たるFS-X(次期支援戦闘機)の国産開発を目指したことがありました。しかし、日本は戦闘機の生命とも言えるエンジンの開発能力がなく、結局、国産開発ではなく、米ジェネラル・ダイナミクス(現在は米ロッキード・マーチン)が製造したF-16戦闘機をベースとした日米共同開発に追い込まれました。当時は日米経済摩擦が大きな政治外交問題となっており、米国製品の購入を迫られてもいたのです。

 戦闘機は最先端の軍事機密技術の塊です。米国は戦闘機開発で、たとえ同盟国とはいえども、日本に対して厳しい態度をとってきました。「同盟は、助けてあげるけれども、運命は共にしない」。読後には故ド・ゴール仏大統領のこの言葉を思い出しました。

新潮社 週刊新潮
2022年2月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク