『ヒカリ文集』
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ファム・ファタールにしない意志
[レビュアー] 大森静佳(歌人)
ひとがひと恋はむ奇習を廃しつつ昼
さみどりの雨降りしきる
川野芽生『Lilith』
人間が人間に恋をすることを「奇習」として、恋愛を前提とした社会や文化に疑いのまなざしを向けるこの歌をヒカリに伝えたかった。目に見えない愛よりも、目に見える親切ややさしさのほうが本当は価値あるものなのではないか─ヒカリにまつわる思い出を複数の人物が証言する「文集」の形をとった本作はそんなふうにやわらかく問いかけつつ、恋愛至上主義の城塞を思いがけない方向から壊そうとする。
破月悠高が遺した未完の戯曲、そこに登場するのは彼がかつて主宰していた劇団の団員たちだった。彼の横死をきっかけに久しぶりに結集したメンバーは、ヒカリという女性をめぐって思い出話に耽る。ヒカリは当時彼ら彼女らと順番に恋人関係を結び、今は行方知れずだ。やがて元団員たちがヒカリをテーマに即興芝居を演じることになって、というところで戯曲は途切れていた。遺された五人は戯曲の続きのようなつもりでヒカリとの日々を文章で綴ることになり、そうして出来あがったのが、この『ヒカリ文集』である。
相手に寄り添い、慰め、巧みに喜ばせるヒカリの才能は共感やケアの能力から来ていて、恋愛的な意味での愛情とは関係がない。ただ「いとおしい」から親切にする。毎回短期間で関係を終わらせるヒカリへの恨みは当然ありつつ、けれどそれ以上に、ヒカリとの関係はそれ以後の人生における「護符」のような大切で眩しい時間だったと五人は振り返る。ヒカリはその眩しい光り方によって相手を癒やす一方、光が光そのものを照らせはしないように自分の心には蓋をしている。無私のやさしさを振りまきながら、感情が邪魔だから「ロボットになりたい」と漏らす彼女の本質には登場人物の誰も、あるいは読者も決して手が届かないが、そのようにしか生きられないヒカリという人物が確かに存在した。
劇団を舞台にした本作には、マノン・レスコー、イプセンのヘッダ・ガーブレル、『痴人の愛』のナオミなどさまざまな古来の「ファム・ファタール」への言及があるが、ファム・ファタール像の多くが男性による「語り」によって作りあげられてきた偶像であることを思えば、この小説の構成は必然なのだ。やさしさに満ちた口調でヒカリを回想する彼ら彼女らの「語り」のリアリティによってこそ、ファム・ファタールを解体できる。強気で自己中心的で多淫な女性という型にはめこまれてきた過去の「ファム・ファタール」たちの、描かれなかった内面の弱さや傷にまでひりひりと思いが及ぶ。
矛盾した言い方になるが、シテ不在の複式夢幻能のような小説だった。ヒカリの言い分は書かれていないこと。戯曲を遺した破月悠高はメンバーのなかで最もヒカリへの執着を引きずっていたようだが、すでに死者であってその本心はわからないこと。宙ぶらりんのまま読み終えて、さて読者である私はヒカリという人物をどんなふうに思い描くか。ヒカリ不在の『ヒカリ文集』を本当の意味で完結させるのは、読者である私たちなのかもしれない。