鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばす「いま読むべき」痛快サスペンス小説6作を紹介

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  • ラブカは静かに弓を持つ
  • マイクロスパイ・アンサンブル
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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 気付けば日本列島も梅雨入り。どんよりと気分の上がらない天気を吹き飛ばす「痛快サスペンス」を書評家・大矢博子さんがご紹介します。

 ***

 今月はこれから始めるしかない。呉勝浩『爆弾』(講談社)だ。まさに爆弾並の威力を持つ新刊である。

 ケチな傷害事件で連行された、自称スズキタゴサク。身元を証明するものは持っておらず、住所も忘れたと嘯く。たかが酔っ払いと見くびっていた警察だったが、彼は取調べの最中に「霊感には自信がある」「十時ぴったり、秋葉原の方で何かある」と言い出した。そして十時、秋葉原の廃ビルで爆発が起きた。まさかこいつが爆破犯なのか? スズキはさらに「ここから三度、次は一時間後に爆発します」と告げる。終始ふざけているような物言いに苛立つ捜査陣。あまつさえスズキは警察相手に心理テストのようなものを持ちかける。ところがその中に次の爆破の場所のヒントが隠されていて──。

 スズキと警察の知恵比べである。これがもうべらぼうに面白い。彼の饒舌な喋りのどこにヒントがあるのか。警察は果たして次の爆発を止められるのか。スズキとは何者なのか。そして彼の真の狙いは何なのか。いくつもの謎が錯綜し、そのひとつひとつに意外な展開が用意されており、読んでいる間、まったく油断できない。言葉遊びに仕掛けられた頭脳戦と、爆弾を探して緊迫の中を駆け回る現場のサスペンス、その両方が見事に融合して読者を放さないのだ。

 その果てに見えてくるのは、今の日本を覆う不寛容と悪意である。その落とし所はどこか。読者の胸の深いところに爆弾を仕掛けて、物語は幕を閉じる。実に上手い。

 ということで今回は、鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばすドラマティックなサスペンスを中心に紹介しよう。

 この五月に本土復帰五十年を迎えた沖縄。坂上泉『渚の螢火』(双葉社)は、本土復帰を半月後に控えた沖縄が舞台のタイムリミット・クライムノベルだ。

 五月十五日を境に通貨がドルから円に変わるため、琉球銀行は円ドル交換の作業に忙殺されていた。ところが県内に流通している米ドル札を回収していた現金輸送車が何者かに襲われ、一〇〇万ドルが奪われてしまう。当時の日本円にして三億六千万円。アメリカに返すドル紙幣が奪われたとあっては外交問題にもなりかねない。琉球警察は緘口令を敷き、この事件を秘密裏に捜査・解決することにした。

 チームの班長に任命されたのは警視庁への出向から戻ってきた真栄田太一。しかし班員はわずか四人。果たして本土復帰当日までに事件を解決できるのか──?

 二転三転する現金強奪事件の顛末もさることながら、本書の読みどころは当時の沖縄の描写にある。大学から東京だった真栄田は、「沖縄人なのに日本語がうまいね」と言われたり、アパートに「沖縄人お断り」の張り紙があったりという経験をしてきた。しかし沖縄に戻ってからはヤマトンチュのスパイと言われてしまう。自分のアイデンティティはどこにあるのか。著者は真栄田の悩みを通し、清国・薩摩・日本・アメリカ、そしてまた日本と、政治に翻弄されていた沖縄そのものの立場に深く切り込んでいく。

 他のどの都道府県とも違う、沖縄の過酷な運命と抵抗の歴史に言葉もない。真栄田が捜査の途中に出会うさまざまな人が、その人の立場で語る沖縄のリアル。復帰五十年の今だからこそ読んでほしい沖縄昭和史サスペンスだ。

 これはいいぞ、と思わず背筋が伸びたのが、安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社)だ。全日本音楽著作権連盟に勤務する橘樹は、ある日上司から、大手音楽教室ミカサに生徒として通うように命令される。音楽教室で使用される曲から著作権料を徴収するという計画に対し、教室側が提訴してきたため、教室での曲使用の実情がどのようなものかを探るスパイとして二年間、潜入しろというのだ。橘にはチェロの経験があったため、チェロの上級コースに通うようになったのだが……。

 と説明すればお分かりの通り、これは実際にあった出来事を題材にしている。日本音楽著作権協会(JASRAC)と音楽教室との間での訴訟に際し、JASRACが職員を二年間にわたって生徒として教室に通わせ、その職員が証人として出廷したということがあったのだ。

 本書の橘は、最初はスパイとして任務を全うしようとする。しかし、いい師に出会い、次第に弾くことの喜びを思い出し、同じ教室の仲間と交流したり発表会に出たりという経験を通して、潜入から一年もすると揺れてくるのである。この葛藤の描き方が見事。本人の過去の問題もあって、人が人を信じるとはどういうことか、その信頼を生み出すものは何なのかというテーマが少しずつ浮かび上がってくる。さらに思いがけない展開とそこからの一気呵成の畳み掛けで、ページをめくる手が止まらなくなった。

 何かを学ぶことや楽器を演奏すること、ともに何かを為す仲間が存在することがどれだけ人生を豊かにしているかを感じるとともに、教室で使われる曲からの著作権料徴収についてもあらためて考えさせられた。音楽という芸術を通して描いた稀有なエスピオナージュである。何より、今はチェロが聴きたくてたまらない! お見事。

 スパイと言えば、伊坂幸太郎『マイクロスパイ・アンサンブル』(幻冬舎)もスパイものだ。

 いじめられっ子とスパイ。失恋したばかりの男。この一組と一人の七年間が一年ごとに綴られた連作である。それぞれの物語が当然絡んでくるわけだが、その絡め方は「こう来たか!」と思わず笑ってしまったほど。最初は「え?」と思うだろうが、そういうことかとわかってからは、どこがどうかかわっていくのかワクワクしながら読み進めた。

 この一組と一人は(途中までは)直接交差することはない。まったく見知らぬ、互いを認識することすらない関係。それでも知らないうちに相手の運命を動かしていく。こういった「行為のドミノ倒し」は伊坂幸太郎の最も得意とするところだけれど、そのドミノ倒しがとても幸せな形で起きるのだ。自分は取るに足らないちっぽけな存在だけど、でももしかしたら知らないところで誰かの役に立っているかもしれない。あるいは、自分が出会ったこの幸運は、そうとは知らずに誰かが行動した余波なのかもしれない。見えていることだけが世界のすべてではないし、知っていることだけが人生のすべてではないのだ。理不尽なことや悲しいことは多いけれど、こんな連鎖があるのなら、この世は捨てたもんじゃない──そんな気持ちにさせてくれる。

 ちなみに本書は、猪苗代湖で二〇一五年から開催されている音楽フェスのために毎年書き続けられたもの。これを読むと猪苗代湖に行ってみたくなること確実。今月はチェロが聴きたくなったり猪苗代に行きたくなったりとタイヘンだ。

 思わずゾクリとしてしまうサスペンスが、櫛木理宇『氷の致死量』(早川書房)だ。

 ミッション系学園の中等部に赴任した英語教師の鹿原十和子は、いろんな人から戸川更紗に似ていると指摘された。戸川とは十四年前にこの校内で殺された教師だという。一方その頃、連続殺人犯の八木沼が次の犠牲者を探していた。八木沼は戸川更紗に並々ならぬ執着を持っており、更紗に似た十和子を見て愕然とする。そして彼が選んだ次の獲物は、十和子が担任する生徒の母親だった──。

 すでに犯人はこうして登場しているわけで、なるほどこれは追う者と追われる者のサスペンスなのだな、と思っていたら足をすくわれる。細部まで実に緻密に計算されており、意外な人物に意外な繋がりがあったり、「え、どういうこと?」と思わずページをめくり直すようなほのめかしがあったりと、読者をまったく飽きさせない。

 そういったサスペンスや謎解きの面白さとは別に、本書の核にあるのは十和子がアロマンティック(他者に恋愛感情を抱かない)でありアセクシュアル(性的欲求を抱かない)であるということだ。結婚して当たり前、子どもを持つのが当然という価値観の母親に逆らえず、結婚するも夫との仲は冷えてしまう。恋愛至上主義の社会の中で適切な行動がとれていないのではと悩む彼女は、性的マイノリティの集う互助グループに通うようになる。

 この十和子のセクシュアリティと殺人事件がどう絡んでくるのかが読みどころだが、同時に、十和子自身の成長物語になっていることにも注目。社会の「普通」は最大公約数ではあるかもしれないが、そこに該当しなくても、その人はその人のままで幸せになっていいのだという強いメッセージが伝わってくる。

 最後に、新川帆立『競争の番人』(講談社)を。個性的な弁護士の活躍を描いたデビュー作『元彼の遺言状』がドラマ化され注目が集まる中、今度のモチーフは公正取引委員会だ。え、地味じゃね? と思ったあなたは本書を読むといい。地味どころか、公取委ってこんな警察ばりの仕事をしてるのかとびっくりするぞ。

 カルテルなど独占禁止法に違反している企業や個人事業主が彼らの相手だが、その仕事内容たるや、内偵、尾行、聴取、立入検査。摘発して刑事罰に繋げる、ただし警察ほどの強制力はないという制約がポイント。与えられた権限の中で、どう違反を立証するかの面白さに満ちている。

 本書はそこに殺人未遂事件なども絡んできて、ミステリとしての展開も読ませるし、〈万年二番手〉と自嘲する主人公の白熊楓が審査官として成長するお仕事小説でもある。そしてその底にあるのは、なぜ競争が必要なのかという社会の根源的なテーマなのだ。

協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2022年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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