私が私であるために生きること 成田名璃子『世はすべて美しい織物』

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世はすべて美しい織物

『世はすべて美しい織物』

著者
成田 名璃子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103548416
発売日
2022/11/17
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

私が私であるために生きること

[レビュアー] 藤田香織(書評家・評論家)

藤田香織・評「私が私であるために生きること」

 ときどき、「自由」であることを、投げ出してしまいたくなることはないだろうか。

 もちろん、個人の意思が尊重されることなく、それどころか意思など持てぬまま多くの人が生まれ、生きて、死んでいった時代を思えば、なにを贅沢な、という話であることはわかっている。学ぶことも、働くことも、嫁ぐことも、子を産むことも、住む場所も服装も食事も「どうぞご自由に」といわれる令和四年の現在。でも、現実には自由ではあるものの、好きに選べるわけではなく、常に選びたいものがあるとも限らない。不自由な自由。こんなことならいっそ、誰かが決めてくれればいいのに、と思ってしまうことが、私には、ある。

 本書『世はすべて美しい織物』の主人公である芳乃と詩織は、それぞれ異なる不自由のなかで生きている。

 昭和十二年。北関東に位置する桐生の養蚕農家に生まれた芳乃は、二十七になるまで嫁ぐことなく、日々蚕を育て絹糸を撚り、季節の草花で様々な色に染め、思い描いた柄に織機を操って反物を織り上げ暮らしていた。器量よしで降るように縁談があった二人の姉と異なり、芳乃がその年齢まで独り身でいたのは、生まれついての薄毛で、頭髪が綿毛のようにしか生えてこないという身体的な事情もあったが、適齢期もとうに過ぎた今となっては、気楽な実家で好きな織物や仕立てをして年月を重ねていくことに幸せと感謝を覚えはじめていた。しかし、そこへ思ってもみなかった縁談が持ち込まれる。

 一方、平成三十年の世を生きる詩織は二十五歳。トリマーとして働き始めて五年目、現在は東京・銀座の店舗に勤めている。顧客で有名クラブのナンバーワン・ホステス京香の紹介で、二ヶ月ほど前から蔵前にある機織り工房へ通っているが、二人暮らしの母親には内緒にしていた。母の絹子が昔から詩織が手芸の類をすることに反対していたからだ。シングルマザーの絹子は、小学生だった詩織に〈手芸で身の回りのものをこしらえたりすれば、生活苦なのかと勘ぐられ、周囲に見くびられる〉とまで言った過去があった。更に、二十五にもなって詩織が母親に管理される暮らしを受け入れているのには、彼女がADHD=注意欠陥多動性障害を抱えているという事情も、早々に明かされる。〈母親の助けがなければ、人並みの暮らしに手が届かない。だから決して逆らえない。逆らえるほど自分はきちんと存在できていない〉。詩織は京香に誘われ、桐生で開かれる手しごと市に作品を出品する準備を秘密裡に進めていたが、絹子に見抜かれ初めて激しく衝突し、家を飛び出してしまう。

 芳乃の縁談相手は、自社で織物工場も有し強大な資金力を誇る桐生の大会社、新田商店の次男・達夫だった。会ったこともない、薄毛の自分になぜそんな話が。なにか理由ありに違いない。そう訝る芳乃だったが、達夫は「あんたの着物に惚れた」という。嫁いでくれば、好きなように好きなだけ織らしてやるといい、「あんたは、ここで細々織るために生まれた人間じゃないと俺は思う」と強烈な口説き文句で芳乃を落とした。盛大な嫁入り。舅姑、義兄夫婦とその娘、多くの使用人たちとの商家での新生活が始まった。夫となった達夫は約束どおり、芳乃が自由に絹糸を染め、織りに没頭できる時間と場所を用意したが、その自由は戦時下へと突入する時代と共に少しずつ奪われていく。

 芳乃のパートは昭和十二年から戦後の二十五年まで、飛び石で進んで行くが、詩織のパートは家を飛び出してから桐生へ向かい、思いがけない出会いを果たし、もつれてしまった絹子との関係性を織り直す様子が丁寧に綴られる。芳乃と詩織がどのような糸で結ばれるのか、そこからどんな世界が織られていくのか詳細は明かさずにおくが、不自由な暮らしのなかで好きなものを見つめ、触れ、形を作り出していく芳乃と詩織の熱や喜びが読者の目前にも鮮やかに広がっていく。深い悲しみや絶望の淵に立ち、不自由であることに逃げ込みたくなったとき、彼女たちの背を押す周囲の言葉にハッと胸を衝かれる。「いい加減に織りなさい。織っていないあんたは、死人と同じです」。自由の下で生きながら、それほど大切なものが、欲しいと熱望したものがあっただろうかと、自分の半生を振り返らずにはいられなくなる。投げ出してはいけないと心が強くなる。

 三世代の物語である。血の物語でもある。母と娘の関係性小説であり、秀逸な「手仕事」小説である。ページを閉じた後も、自分の人生は自分で決めると、凜とした二人の声が胸に残り続けるだろう。

新潮社 波
2022年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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