<書評>『強欲資本主義は死んだ 個人主義からコミュニティの時代へ』ポール・コリアー、ジョン・ケイ 著
[レビュアー] 根井雅弘(京都大教授)
◆共同体の重要性を再認識
本書の原著が出版されたのは、ちょうど新型コロナ感染症のパンデミックの最中であった。著者の二人は、いわゆるコミュニタリアン(共同体の価値を尊重する立場)であり、本書全体を通じて、極端な個人主義はコミュニティを破壊し、社会の分断をもたらすと警鐘を鳴らしている。
極端な個人主義は、本書によれば「所有的個人主義」(財産権は人の労働を資源と組み合わせることで獲得されるという、ジョン・ロックに始まる思想で、その行き着く先が市場原理主義とされる)と、「表現的個人主義」(自分の権利を強く主張し、他者への義務は不要とする考え方で、例としてトランプ前米大統領の言動が挙げられる)の合体によって生まれた。市場原理主義が株主価値の最大化こそが社会にとってもよいことなのだと主張する一方で、特に金融部門のCEOの報酬の高さは特別な才能を反映しており、自分たちの権利としてそれを受け取るのが正当であると声高に主張されたのだ、と。
だが、コロナ・パンデミックは、世界中で多くの犠牲者を生み出した半面、コミュニティの重要性を私たちに再認識させた。その例として、緩やかな強制力しか行使できない民主主義国家のイギリスで、政府がボランティアを呼びかけた最初の日に、五十万人以上が志願したことを挙げる。コミュニティの存続は、多くの人々がルールを守ることによって守られる。もしルールに従わず、反社会的な行動をとる人が多数いたならば、限られた強制力ではコロナウイルスの蔓延(まんえん)を防げなかった。また企業も、成功したければ、その社会的責任を自覚し、協力的活動への貢献なしにはその恩恵を受けられないことを学ぶべきであるという。
極端な個人主義の影響は今も消えてはいない。コロナ禍が終われば、またコミュニティは忘れられるのだろうか。本書の著者たちは、「そうではない」と主張するだろう。「何かに所属することは、私たちにとって負担なのではなく、人間性を取り戻すことにつながる」という本書末尾の言葉がそれを明瞭に語っているように思われる。
(池本幸生、栗林寛幸訳、勁草書房・3850円)
コリアー オックスフォード大大学院教授・開発経済学。
ケイ 英国の経済学者。
◆もう1冊
ポール・コリアー著『新・資本主義論 「見捨てない社会」を取り戻すために』(白水社)。伊藤真訳。