打たれ強さを手に入れろ!仕事の人間関係で悩んだときに役立つ哲学「カントのヒント」

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人間関係の悩みがなくなる カントのヒント

『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』

著者
秋元 康隆 [著]
出版社
ワニブックス
ジャンル
哲学・宗教・心理学/倫理(学)
ISBN
9784847066955
発売日
2023/06/08
価格
990円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

打たれ強さを手に入れろ!仕事の人間関係で悩んだときに役立つ哲学「カントのヒント」

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(秋元康隆 著、ワニブックスPLUS新書)の著者は大学院生のとき、指導教授から「打たれ強い」と評価されたことに物足りなさを感じたのだそうです。理由は、「哲学的なセンス」「テキストを読み込む力」など、もっとかっこいいことをいわれたかったから。

しかし時間の経過とともに、じつは打たれ強さとはとても大切なのではないかと考えるようになったそう。そこには、いくつかの理由があるといいます。

まず最初は、「哲学的なセンス」や「テキストを読み込む力」などは、いつでも発揮できるわけではないということ。汎用性が低く、使用機会が限られているわけです。

一方、打たれ強さは、どこでなにをするにしても必要になるといえるはず。

次は、仮に「哲学的なセンス」や「テキストを読み込む力」があったとしても、打たれ弱いのでは元も子もないということ。逆に、センスや能力が多少劣っていたとしても、打たれ強ければそれなりのレベルには到達できるわけです。

そして第三は、自身が学部生のころから取り組んできたドイツの哲学者イマヌエル・カントの倫理学説との関係。

カントは、自分の頭で考えることが道を誤る可能性を下げ、自分の考え方(哲学)を形成することにつながる、延いては、それが人としての強さにつながると考えているのです。

もしそれが私自身のなかである程度でもできているのだとすれば、そのことを自負してもよいでしょう。(「はじめに」より)

そこで本書では、とりわけ打たれ強さと密接に関わる、他者との関係の築き方についてのカントの言説を追っていこうとしているわけです。きょうは第3章「仕事の人間関係」のなかから、2つの要点を抜き出してみたいと思います。

相手の欠点が目に入ったとき、どう指摘するか?

相手を管理する立場にある者は、相手の欠点を指摘しなければならない。(中略)しかしこの場合には、好意ある心情のやさしさと、相手に対する尊敬とが際立って輝いていなければならない。  メンツァー(1968年)297頁以下。(120ページより)

ビジネスの現場においては、部下の行動に腹が立つこともあるはず。感情とは自然に湧いてくるものなので、コントロールすることは困難。そういう意味では、腹が立ってしまうのも仕方がないことではあります。

とはいえ、そんな感情をそのままのかたちで表出させてしまってよいかといえば話が別。部下に「あの上司は感情的だ」と思われてしまったとしたら、その時点で上司としてはまずいことになってしまうからです。

では、感情を表出させないようにするのはどうしたらよいのでしょうか

カントは冒頭の引用文にあるように、「好意ある心情のやさしさと、相手に対する尊敬とが際立って輝いていなければならない」と述べています。(中略)馴れ馴れし過ぎるのもよくないし、あまりにぞんざいな態度もよくない。そのバランスを保つことが必要になるのです。(121ページより)

またバランスに関しては、伝えすぎてもいけないし、伝えなさすぎてもいけないといいます。そして、そのバランスをとるために有効なのが、ソクラテス流の対話術

ソクラテスとは古代ギリシャの哲学者であり、対話することを重視し、実際に街中で人を捕まえては対話をしていました(それが原因となって、人々の反感を買い、処刑されてしまいました)。

そのソクラテスが用いた対話の方法というのが、産婆術と呼ばれるものでした。これは産婆が、子供を産む女性を横でサポートするがごとく、ソクラテスは対話相手が自分で自分の意見を導き出すまでをサポートしたのです。具体的には彼は決して自分の考えを押し付けるようなことはせずに、基本的に質問することに終始し、結論は相手の口から出るように仕向けたのです。(100ページより)

他人からいわれたことには、「理解できるかどうか」という問題や、理解できたとしてもそれが「心に届くかどうか」といった問題が絡みついてくるもの。しかし自分で考え、導いたことであれば、それはただちに自らの心の奥底に響き、自分自身を強く縛ることになります。

つまり職場に置き換えた場合、上司は「答え」を与える必要はないのです(そもそも「答え」とは、絶対的なものではありませんし)。与えるのは「問い」であるべきで、するべきことは、「部下が自分で気づくためのサポート役に徹すること」。そして部下が導いた帰結については、それを尊重することが求められるのです。

上司である自分が部下(の意見)を尊重する姿勢を示すことによって、部下は他者を尊重する姿勢を学び、行動に移すことができるわけです。(120ページより)

人の考えに、完全な間違いなどない

人間の悟性が陥りうるすべての誤謬(筆者注:ごびゅう=間違い)は単に部分的なものであって、どんな誤った判断のなかにも、常に何か真なるものが存するはずである。  Ak IX 54.(139ページより)

部下ができるはずのことをしなかった場合や、誤りがあり、かつ、そこに本人の自由の余地がある程度認められるなら、上司にはそれを指摘する必要性が生じます。

相手の至らない点を指摘するには、気遣いが必要になるのです。それは友人関係でも、会社内の人間関係でも同じ。

それに関連して、カントは興味深いことを言っています。それが本節冒頭の引用文の文面です。彼は確かに「誤謬」と呼ばれるものがあるが、完全なる誤謬などということはまずないのであり、いかなる誤謬も部分的でしかないと言うのです。(140ページより)

ただし押さえておくべきは、これはあくまで「悟性」が介在した判断に限った話であるという点。悟性とは狭義には理性と完成の中間に位置する、広義には理性と同義の“人間の上級思惟能力”のこと。たとえば人の形に見えたものが実際には影だったとか、人の声に聞こえたものが単なる物音だったなどということは想定されていないわけです。

そうではなく、あくまで人間が自分の頭で考えたことについて、“一片の評価の余地のない完全なる間違い”などありえない、その裏返しとして、必ずそこには“真なる部分”があるということです。

したがって職場でいえば、一方の意見だけを聞き、もう一方の意見は聞かないまま、事実確認もされないまま判断(懲罰)が下るというような事態があるべきではなく、そういう姿勢の人は、人の上に立つべきではないわけです。(133ページより)

カントは(万人が規範とするべきという意味においての)「答え」を提示しているわけではないのだそうです。彼が示しているのは、私たちが考えるうえでの指針にすぎないということ。

つまり、それをよりどころとして、実際に考えたり判断を下したりするのは自分自身。あくまで内面(考え方・哲学)がしっかりしていてこその外面(自分の外に展開される人間関係)だということなのです。

Source: ワニブックス

メディアジーン lifehacker
2023年6月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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