切腹を全うさせるための「介錯人」という存在 『介錯人別所龍玄始末』シリーズの作者が語る

エッセイ

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乱菊

『乱菊』

著者
辻堂魁 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334915377
発売日
2023/06/21
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

侍が侍であるための介錯人

[レビュアー] 辻堂魁(作家)

 戯作者柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(一七八三~一八四二)は本名・高屋知久(たかやともひさ)。小普請組二〇〇俵取りの、小身の旗本であった。『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』などの戯作者として、後世に名を残した。

 種彦の亡くなった天保十三年(一八四二)は、老中水野忠邦(みずのただくに)の天保の改革が始まった翌年である。種彦の死は自死、と伝わっている。二年で終った天保の改革は、風紀風俗への取り締まりが殊の外苛烈(かれつ)で、種彦ら戯作者もその対象となった。種彦の自死は、おそらく切腹であろう。種彦は何ゆえ切腹して果てたのか。三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)は推論している。

 主従の身分の中で生きる侍の振る舞いに落ち度があると、支配役より、武士にあるまじき振る舞い不届き、と喚問状が届いた。最初の喚問状では情状を酌量(しゃくりょう)され、屹度叱(きっとしか)りや謹慎などの処罰で済まされるが、二度目の喚問状が届くと情状酌量はない。当人の処罰のみならず、一門にも改易などの厳しい咎めが及ぶ恐れがあった。二度目の喚問状が届いた侍は、一門を残すため自ら切腹して果て、家人が上役に病死と届けた。支配役は、病死ならば致し方なし、一件はこれまでにいたす、と事情を承知の上で落着させた。

 種彦の自死は、それであったと。

 介錯人は、侍が侍としての責任を全うするための切腹の介添役である。一廉(ひとかど)の武士の役目だが、介錯人という職業はない。かつ、首が血を噴きながら転がるのを防ぐため、喉(のど)の皮一枚を残して首を討つ練達の士でなければならなかった。往々、若侍が客気(かっき)にはやり志願し失敗を演じたが、そのために介錯人が責任をとるということはなかった。その場限りにするのが例であったとも、鳶魚は記している。

 小身の侍が切腹しなければならなかった場合、家人(けにん)は侍の切腹を全うさせるため、江戸市中に練達の士を求めたことは十分考えられる。むろん、謝礼が支払われたに違いない。

 戯作者柳亭種彦の介錯人は、一廉の武士が務めたのか。それとも、江戸市中の名もなき練達の士が謝礼を得て務めたのか。それは不明である。

光文社 小説宝石
2023年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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