『介錯人』
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ひとりの若き天才の生き様
[レビュアー] 辻堂魁(作家)
三田村鳶魚(えんぎよ)は、武士の切腹の介添役、すなわち介錯人について、このように記している。
「往々、若侍が客気にはやって志願し、失敗を演じた。そのために、介錯人が責任をとるということはなく、その場限りにするのが例であった」(『三田村鳶魚全集』より)
切腹は、武士が自裁することにより自ら責任を果たす行為であった。武士が切腹を許されたということは、武士の責任を果たしたと認められたのであり、切腹した武士には葬儀が許され、切腹しなければならなかった咎めが、一門におよぶこともなかった。無法を働いた武士には、切腹という死は許されなかった。ゆえに、切腹を許された武士の介錯人は、練達の士であるのは言うまでもないが、かつ士分、それも一廉(ひとかど)の者でなければならなかった。
介錯人は切腹場において切腹人に、「士分でござる」あるいは、「槍ひと筋の者でござる」と、高らかに言い聞かせるのが作法であったと、これも鳶魚は書いている。
介錯人・別所龍玄の物語は、「士分でござる」「槍ひと筋の者でござる」と高らかに言い聞かせる士分、あるいは槍ひと筋の者が、いかなる者かを考えたときから始まった。
鳶魚の言う、「客気にはやって」介錯役を志願した若侍たちは、剣の腕のみならず、身分家柄、由緒ある血筋においても、相応の気位を持っていたのに違いない。
しかしながら、別所龍玄は市井の年若い浪人者にすぎず、身分家柄、由緒ある血筋はない。彼にあるのは、介錯人として生きた市井の武士の、潔さや勇気、人への慈愛、おのれを失わぬ強い意志のみなのである。誇るべき身分家柄、気高き血筋なき者だからこそ、別所龍玄は生き始め、天稟の剣の腕を持つ介錯人・別所龍玄の物語は生まれた。すなわちこの物語で描いているのは、武士の切腹と介錯ではなく、別所龍玄というひとりの若き天才の生き様なのである。