ひとりの若き天才の生き様――『介錯人』著者新刊エッセイ 辻堂魁

エッセイ

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介錯人

『介錯人』

著者
辻堂魁 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912680
発売日
2019/02/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ひとりの若き天才の生き様

[レビュアー] 辻堂魁(作家)

 三田村鳶魚(えんぎよ)は、武士の切腹の介添役、すなわち介錯人について、このように記している。

「往々、若侍が客気にはやって志願し、失敗を演じた。そのために、介錯人が責任をとるということはなく、その場限りにするのが例であった」(『三田村鳶魚全集』より)

 切腹は、武士が自裁することにより自ら責任を果たす行為であった。武士が切腹を許されたということは、武士の責任を果たしたと認められたのであり、切腹した武士には葬儀が許され、切腹しなければならなかった咎めが、一門におよぶこともなかった。無法を働いた武士には、切腹という死は許されなかった。ゆえに、切腹を許された武士の介錯人は、練達の士であるのは言うまでもないが、かつ士分、それも一廉(ひとかど)の者でなければならなかった。

 介錯人は切腹場において切腹人に、「士分でござる」あるいは、「槍ひと筋の者でござる」と、高らかに言い聞かせるのが作法であったと、これも鳶魚は書いている。

 介錯人・別所龍玄の物語は、「士分でござる」「槍ひと筋の者でござる」と高らかに言い聞かせる士分、あるいは槍ひと筋の者が、いかなる者かを考えたときから始まった。

 鳶魚の言う、「客気にはやって」介錯役を志願した若侍たちは、剣の腕のみならず、身分家柄、由緒ある血筋においても、相応の気位を持っていたのに違いない。

 しかしながら、別所龍玄は市井の年若い浪人者にすぎず、身分家柄、由緒ある血筋はない。彼にあるのは、介錯人として生きた市井の武士の、潔さや勇気、人への慈愛、おのれを失わぬ強い意志のみなのである。誇るべき身分家柄、気高き血筋なき者だからこそ、別所龍玄は生き始め、天稟の剣の腕を持つ介錯人・別所龍玄の物語は生まれた。すなわちこの物語で描いているのは、武士の切腹と介錯ではなく、別所龍玄というひとりの若き天才の生き様なのである。

光文社 小説宝石
2019年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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