小説の広さと表現をめぐって

対談・鼎談

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チンギス紀 十七 天地

『チンギス紀 十七 天地』

著者
北方 謙三 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087718430
発売日
2023/07/26
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

小説の広さと表現をめぐって

[文] 集英社

小説の広さと表現をめぐって

尾崎世界観、北方謙三
尾崎世界観、北方謙三

二〇一八年五月に第一巻『火眼』と第二巻『鳴動』が同時刊行されて始まった『チンギス紀』。二〇二三年七月刊行の第十七巻『天地』が最終巻となり、ついに完結する。完結を記念し、著者の北方謙三氏と、作家としてミュージシャンとして活躍する尾崎世界観氏との対談が行われた。

尾崎世界観
尾崎世界観

リアリティを積み重ねる

尾崎 『チンギス紀』は四か月に一冊の刊行ペースでしたね。

北方 そう。一巻が原稿用紙五百枚なんだけど、「小説すばる」で百枚、百枚、百五十枚、百五十枚で、四か月に一冊。

尾崎 とても信じられないです。どうしたらそんなことができるんですか。

北方 俺にも分からない。ただ尾崎君が持っているリアリズムの力みたいなものがあるよね。『祐介』で外に逃げたときにビニール袋を履いちゃったとか。あれこそがリアリズムで、それを積み重ねればいいんだから、本当は書けるはずなんだ。説明でなく、書けているでしょう。

尾崎 もう体の反応ですね。

北方 それを積み重ねて書けるようになれば、枚数はあまり関係ないんだね。

尾崎 でも、やっぱりびっくりします。

北方 俺もちょっと変なところはあるんだと思う。書いていて快感を覚える面もあるから。ただ『チンギス紀』は入院があったからつらかった。いつも万年筆で書いてるんだけど、寝ていると重力が逆になるから、万年筆では書けない。画板に原稿用紙を貼りつけて、寝た状態で鉛筆で書いていた。

尾崎 どうやって貼りつけたんですか。

北方 普通は画用紙を挟んで留めるところに原稿用紙を留めた。枚数は五百一枚でも四百九十九枚でもない。書き直さないから使った原稿用紙の枚数も同じ。

尾崎 読者も全く違和感がないということですよね。すご過ぎる……。肉体の調子は物語に影響しないんですか。

北方 しますね。でも調子が悪いときのほうがいい。精神や肉体の状態がよくないときは、原稿用紙が何かを引っ張り出してくれる。そのうち調子がよくなってくる(笑)。

尾崎 どちらも悪いときのほうがいいということですか? 

北方 うーん、いいときはいいと認識することがないんだろうね。

尾崎 なるほど。いいときは、いいとすら思わない。

北方 ほぼ思わない。尾崎君はどう? 

尾崎 確かに体の調子が悪いほうが書けるものもあります。でも、いいほうが書けることもあるんです。喉を壊して物理的に声が出ない状態でライブがあっても、それはそれで何とかいいかたちにできることもあるから、本当に不思議です。

北方 俺の弟分も、ポリープで音域が二音ぐらい出ないとき、やってよかったと言ってたよ。

尾崎 体の調子が悪いときに無理して音楽活動をしていると、治ったときにそれまでどうだったのか分からなくなるんですよね。当たり前のことだったはずなのに、忘れてしまったり。そういう意味では、小説だと何かしら書けてしまうという怖さがあるのかもしれません。

北方謙三
北方謙三

描写とスピード感

北方 三十枚で一本書くのはどうかな。俺は今十五枚で書いているんだけど。

尾崎 十五枚ではなかなか書けないですね。

北方 書けない。相当修練を積まなきゃ。

尾崎 少ないほうが逆に難しいですよね。それは現代の話ですか。

北方 うん。「オール讀物」に載ります。

尾崎 楽しみです。ちなみに『コースアゲイン』の短編は何枚くらいですか? 

北方 同じく十五枚かな。あの短編は小説という意識を強くは持たずに書いた。今のは明確に小説として、表現をきちっと考えて書いている。十五枚目の原稿用紙の最後まで。

尾崎 しっかりきれいに収まっていますよね。

北方 そう。我々は小説修業として、五十枚で書いてくれと言われて、一枚でも違ったら駄目とされた。だから体が覚えた。昔はそういう編集者がいたんだね。

尾崎 その方の影響がかなりありますか。

北方 いや。その人は小説を読めたかどうかじゃなくて、新人をいじめていた(笑)。でも自分のものにしちゃえば、こちらの勝ちじゃないか? 

尾崎 そうですね。それで何かを得てしまえば。

北方 制限がないと、表現するときに一言でいいところを二言三言使ってしまったりする。言葉を選ぶ修練だね。

尾崎 『チンギス紀』の戦闘シーンはそういう感覚がないと書けないんでしょうね。あの短い言葉でスピード感を出すというのは。

北方 俺はそのスピード感は早い段階で身につけたかもしれない。ハードボイルド小説で初めて「棒。」と書いたけど、読んでいると本当に棒が飛んできた感じになる。「棒が飛んできた。」よりはるかにスピード感があるわけ。

尾崎 それはやってみて気づいたんでしょうか? 

北方 書いて気づいた。というか、スピード感を持って書けたという意識があれば、その方法が身についてくる。

尾崎 読んでいて、ああいう男と男の会話は、今なかなか読めないなと思いました。近年、男同士の連帯みたいなものについていろいろ言われたりするじゃないですか。でも、やっぱり子供の頃から漫画やアニメを通して触れていて、男らしい会話に憧れもある。

北方 会話を生かす描写も必要なんだ。それ次第で会話の重みが変わるから。

尾崎 『チンギス紀』の会話は簡潔で短い。でも、しゃべっているという感覚がすごく入ってきます。

北方 ありがとう。

尾崎 今、音楽の話というか、バンドの話をずっと書いてます。依然としてチケットの転売が問題になっていますが、それがいいとされるような世界を。

北方 音楽業界だけど、チケットにまつわる物語なのかな? 

尾崎 そうですね。バンドをやっている主人公が、自分のチケットを転売させて、価値をどんどん上げていくという話です。

北方 音楽が関わる小説はいいと思う。さらに違う視点も持って、少し離れたところで書くと自由に泳げるかもしれない。転売は値段が上がるから駄目なの? 

尾崎 関係ない人が儲けるということに納得がいきません。アメリカなどではオフィシャルに転売があるんですけど。

北方 いろんなところに隙間産業ってあるんだな。儲けているやつが滅ぶまでを書けるかもしれないね。

尾崎 はい。徹底的に肯定し尽くしたうえで、否定したい気持ちなんです。

写真=露木聡子

青春と読書
2023年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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