家族や仕事ではない「良心」が結びつける人間関係の40年を描いた、ささやかで壮大なストーリー

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水車小屋のネネ

『水車小屋のネネ』

著者
津村 記久子 [著]
出版社
毎日新聞出版
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784620108629
発売日
2023/03/02
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

良心を生み出す力

[レビュアー] 栗田隆子(文筆家)

 津村記久子著『ポトスライムの舟』に収録されていた「十二月の窓辺」のハラスメント描写に衝撃を受けたのは10年以上前。私は非正規労働人生真っ最中だった。それから十数年経ち、新著『水車小屋のネネ』を読んだ。本作の中心となるのは二人の姉妹だ。18歳の姉である理佐は、母親が入学金を付き合っている男の起業のために差し出してしまったため、短大に入学できなくなる。そして8歳の妹の律はその男から虐待を受けていた。それに耐えかねた理佐が律を連れて実家を出て独立を決める……と書くと本書は虐待のトラウマや、母親との葛藤の話なのかと思う人もいるだろう。しかし物語は思わぬ展開を見せる。理佐は職業安定所で(ハローワークとは呼ばれていない時代)「鳥の世話じゃっかん」と記載されたそば屋の求人を見つける。すぐさま律と向かった先は川の音が響き水車を使ってそばをひく夫婦と、水車小屋でそばの実をそば粉にする際に容器が空になると「からっぽ!」と容器に補充する必要を人に伝える「ヨウム」(オウムではなくインコ科の鳥)のネネがいた。……その出会いがあった1981年から2021年まで、この姉妹と姉妹に関わる人々の視点からこの物語は紡がれる。ヨウムは3歳児ほどの知能と言われ(5歳児という説もあり)、動画で確認したが人の声を本当にうまく真似る。さらにネネは歌も得意で懐かしい歌(なぜか洋楽)も登場する。ヨウムは平均寿命が50歳ほどであり本書で起こるさまざまな人々の仕事、出会い、成長にはこのネネと水車小屋が中心にある。

 ヨウムのネネは誰かを救おうとしているとも思えないし、相手の発言を完全に理解してはいないだろう。だが、ネネは、結果として社会の周縁に置かれた人々へのさりげない救いと居場所を示す。居場所やサードプレイスといった言葉は世に出回っているが、水車小屋とネネの存在は人々が再び何かを取り戻す場所なのだ。登場人物たちは何らかの喪失経験を持っているが、ここに出てくる人々は惜しみなく誰かを支えようとする。律が「自分はおそらくこれまでに出会ったあらゆる人々の良心でできている」と述懐するシーンがあるが、その良心を生み出す力をネネと水車小屋は持っているかのように見える。そして水車小屋は時の流れそのもののように回り続ける。水車小屋を潰してお金にしようとか、ネネの世話を放棄しようという選択肢はここにはない。この場所では血縁や地縁、家庭という関係のみならず「男女」という枠組みにも留まらない関係が紡がれ、今の時代の希望そのものに映る。それは物語の冒頭、理佐と律の母がすがるように結んだ男性との関係とは実に対照的だ。

 2021年、時は確実に流れ、後の世代が続いていく様子は描かれているが、川は流れ水車はがらがらと回り、年をとったネネも登場する。「家族」や「社員」といった関係のみではない大切な関係が、まさに40年の長さの中で穏やかに示されている。

河出書房新社 文藝
2023年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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